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第百二十九話 危険を冒してでも、負けられない戦いがたまにはある

 虹塚先輩と別れて、一人暮らしの自宅に帰った。ドアのカギを探して、ポケットをまさぐっていたら、その間に何者かに背後に立たれてしまった。しかも、声の感じからすると、俺を脅しているようなのだ。振り返ることも許されず、相手に関して分かることは、そいつが男ということだけ。


 雑談の折に、木下から、「お前など、闇討ちされて一生モノの傷を顔に作ってしまえ」と恨み言を言われることがあるが、まさか本当に襲われる日が来てしまうとは。


 いや、虹塚先輩や優香からも、襲われたことはあるがね。彼女たちは、俺に好意を持っていた訳だから、本気で危害を加えようとはしていなかった。


 だが、俺の背後にぴったり張り付いている男は、危害を加える気満々だ。もちろん、好意など持っていよう筈もない。


「声を出すな……」


 さっき言ったばかりの言葉を、俺に言い聞かせるように、もう一度囁いてきた。


「いいか……? これからお前にいくつかの要求を突きつける。それに対して、イエスなら首を縦に、ノーなら首を横に振るんだ。痛い目を見たくなかったら、言う通りにしろ。いいな……?」


 人の後ろにいきなり立って、上から目線でものを言いやがる。もっとも、丁寧な口調で脅されても、それはそれで気味が悪いが、今はそんなことを言っている時ではない。


「断る!」


「何!?」


 自分でも惚れ惚れしてしまうくらいに、気持ちのいい断りっぷりだった。つい反射的に口から出てしまったのだ。


 こいつの要求が何なのかは分からないが、後ろから近付いてきて、いきなり命令口調はないだろ。それに、やっと穏便に一日が終わるとほくそ笑んでいたのを台無しにされたことにも、気分を悪くしていたのだ。


 生憎と、こっちはここ数か月で、いろいろなトラブルに見舞われていてね。危険察知能力がぶれているんだろ。だから、ストレートに脅したって、ちゃんと怯えることが出来ないのさ!


 恐らく俺が素直に首を縦に振るとでも思っていたんだろう。予想外の返しに、黙り込んでやる。


 俺を甘くみやがって。ざまあみろ! ハハハ……。


 一通り笑って、一息つくと、膝が震えていた。たった今、危険察知能力がぶれているといったが、決して摩耗している訳ではなかったようだ。


「……」


 言ってしまってから、震えが来たが、鉄の棒による一撃が見舞われることはなかった。せめて頭に棒を乗せるなり、アクションは示せばいいのにと考えていると、ある一つの考えが思い浮かんだ。まだ予断は許さないが、俺を襲撃している人間が、人を殴り慣れていないという推測が、漠然ではあるが、頭に浮かんだのだ。


「虹塚心愛と……、別れろ……!」


 あ、こいつ。俺が何にも了承していないのに、勝手に話を進めやがった。実は、コミュニケーションをとるのが苦手なんじゃないのか?


「心愛……、虹塚先輩と別れろだと……?」


うっかり心愛と呼んでしまった。すぐに言い直したが、男は、たいそうご立腹のようだ。


「心愛……!? 俺だって、名前で呼んだことがないのに、心愛!?」


 こいつが、虹塚先輩とどんな関係なのかは知らないが、名前を呼ばせてもらえるほど、親しくないということだけは分かった。


 頭上で、蛍光灯の明かりが、ちかちかと点滅する中、ぼそぼそした声で許さないと連呼しているのが聞こえてきた。


「この野郎……。ちょっと虹塚さんから、親しくしてもらっているからって、名前を呼び捨てだと?」


 俺のことをそっちのけで呟いている。念のために言っておくが、俺は調子に乗って、虹塚先輩を名前で呼んでいる訳じゃない。本人から名前で呼べと、半ば強要されているだけのことだ。どうせ説明してやったところで、後ろの男は信用してくれないだろうから、言わないけどね。


 俺を許さないという呟きは、次第にエスカレートしていき、「意地でも別れさせる」へと変化していった。聞いている内に、だんだん鬱陶しくなってきた。


 正直、虹塚先輩とは、付き合いたくて付き合っている訳じゃない。アリスと別れさせられた時は、虹塚先輩と交際したくないと思っていたくらいだ。


 じゃあ、謎の男の要求は、望み通りなんだから、言われるがままに別れたら良いじゃないというと、それも違う。


 喧嘩の腕に自信はないとはいえ、俺も男だ。最小限のプライドは、存在する。こんな自分の名前や顔も明かさないような、それでいて闇討ちを仕掛けてくるようなやつの要求を、「はい、そうですか」と素直に聞き入れるほど、物わかりの良い性格ではない。


 メラメラと敵意が燃えてくると、回答するまでに、時間はいらなかった。


「やだね。誰が別れてやるか」


「言う通りにしないと、痛い目を見ることになるぞ」


 まるで忠告するかのように、もう一度念を押してきた。だが、そう言われたところで考え直す余地はない。


 話しているうちに、腹を括ったからか、だんだん饒舌になってきた。


「くどいな。別れるつもりはないと言っているだろ! しつこいぞ!」


「……!」


 語気を荒げて、威圧するような口調で反論したら、向こうが後ずさったのが分かった。意外なくらいに、あっさりと精神的に優位に立ってしまった。


 あれ? こいつ、ひょっとしてたいしたことないんじゃないのか?


 昼間、虹塚先輩に告白して玉砕した細身の先輩の顔が、思い浮かんだ。


 根拠はないが、あいつじゃないかという気がしてきた。


 俺と虹塚先輩の関係を疑っていたみたいだし、一緒にいるところを見ている。フラれた腹いせとすれば、動機も成り立つ。


 そう推測すると、なおさら強気になってしまった。


「そんなに別れさせたいのなら、力づくできたらどうだ?」


 何を血迷ったのか、実力行使で来いとまで挑発してしまったのだ。


「後悔するぞ……」


 すぐ返事はしたが、どことなく怯えているようにも聞こえた。この声を聞いていると、強行突破も有効ではないかと思ってしまう。


 そっと後ろを振り返る。俺の予想では、図書室で顔を真っ赤にして、虹塚先輩に迫っていた痩せた先輩が立っている筈だった。


 しかし、予想に反して、俺の目に飛び込んできたのは、二メートルはあろうかという、熊みたいな大男だった。ニット帽とサングラスとマスクの三点セットのせいで、顔は分からないが、腕は太かったので、力は強いのだろう。


 痩せた先輩を、大声で脅して、退散させる予定が狂ってしまったな。目の前の大男は、喧嘩慣れこそしてなさそうだが、怒鳴ったくらいでは逃げてくれそうにない。見ると、覚束ない手つきながらも、鉄の棒を強く握りしめて、臨戦態勢だ。今から話し合いに戻そうと提案しても、聞き入れてくれない雰囲気が伝わってきたね。


「これ……、まずいかも……」


 冬眠中の熊を、誤って起こした気分で、俺も遅ればせながら、臨戦態勢を取るのを余儀なくされた。




 数分後、悪い予想通りに、俺は後悔していた。相手は、やはり力が強く、振りなれていないといっても、鉄の棒の一撃は強力だった。まだ直撃は受けていないというのに、数発食らっただけで、もう足元がフラフラだ。


「図に乗りやがって……。自分の立場を考えろ! お前みたいなモヤシが俺に勝てる訳がないんだ。とっとと虹塚さんと別れると言え!」


「嫌だね。意地でも別れてやるもんか。あの豊満な胸は、俺の専有物だ……」


 ここまでくると、もう意地だ。何が何でも、こいつの要求は聞き入れないと、躍起になってしまっていた。


「む、胸……。虹塚さんの胸を独占する……、だと……!?」


 俺の挑発をまともに受けた男は、人でも殺しそうな目で、鉄の棒を握りしめた。今までは、多少セーブしていたが、次は全力で振ってくるという気がした。ありゃりゃ……、言い過ぎたか。


 これをまともにくらったら、また記憶が飛ぶかもなと、冷や汗をかいていると、大男の後ろに、知り合いが忍び寄っているのが見えた。唇に人差し指を立てて、黙っていろというジェスチャーを送っているが、頼まれなくたって、大男に知らせるようなことはしやしない。


「は~い、そこまで!」


 何故かこの場に居合わせた遊里が、大男の首筋にスタンガンを押し当てた。電流はまだ流れていないが、いつでも流す準備は万端だ。


「お、お前……」


「脅すのに夢中になり過ぎでしょ。あんた、隙だらけだったよ」


 俺を殴りつけるために、鉄の棒を振り上げた姿勢で、大男は固まるしかなかった。


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