第百二十八話 夜の襲撃者と、平穏に終わらない一日
図書室にて、虹塚先輩から、遊里が俺のことを何とも思っていないということを、ネタばらしされてしまった。
あんなに言い寄ってきていた遊里が、俺のことなど、何とも思っていない……?
振り返ると、面白い本が見つかったのか、遊里が手に取った本を読みながら爆笑している姿が目に入ってくる。
遊里の姿をジッと見ていたが、虹塚先輩の話が本当かどうかは分からなかった。さっき話しかけてきた時も、いつもと変わった素振りは感じなかったし。まさか本人に聞いて確かめる訳にもいかない。どっちの場合でも、かなり恥ずかしいことになってしまう。
そうやって考え込んでいる内に、遊里に好かれているかなど、どうでもいい問題だったということに思い至る。
本当かどうかハッキリさせたいというのもあったが、分からずじまいでも構わなかった。どっちみち遊里と付き合うつもりはないのだ。彼女の気持ちが本当かなど意味がないだろう。
気になったのは、遊里が俺に気がないのを、虹塚先輩がどこで知ったのかということだった。だが、そっちはすぐに察しがついた。大方、女子同士で雑談している時にでも耳にしたんだろう。俺が関谷先輩たちと、わいせつな話で盛り上がっていたように。女子はコイバナが大好きだからな。
「あら。思ったより驚かないのねえ」
「そりゃそうですよ。むしろ、鬱陶しいのを気にせずに済むようになって、せいせいするくらいです」
実をいうと、ちょっと強がりも混じっていたりする。
「さっきはあんなに驚いていたのに。やっぱりタイミングなのかしら」
「見ていたんですか!?」
恥ずかしいところを見られたということで、身を乗り出しそうになってしまうが、第三者の介入によって、中止を余儀なくされるのだった。
俺と虹塚先輩が会話をしているというのに、先輩と思われる男子生徒が割り込んできたのだ。
こう書くと、いかにもDQNの先輩が、威圧的に接してきたようにとられるが、話しかけてきたのは運動よりも勉強の方が得意そうな華奢な先輩だった。
「に、虹塚さん!!」
よほど緊張しているのか、今にも倒れそうなくらい苦しそうに息をしている。虹塚先輩をさん付けで呼んでいるところから、やはり三年らしい。そんな彼と対照的に、虹塚先輩は落ち着き払っていた。
「何かしら?」
「い、今、時間大丈夫かな。お話したいことがあるんだ」
どもりながらも、必死の形相で虹塚先輩に話しかけている。頑張っているところを申し訳ないが、先輩を呼び出して何を話すつもりなのかは、丸分かりだ。玉砕覚悟で告白するつもりなのだろう。案の定、二人きりになれるところで話をしたいと切り出してきた。先に会話を始めていた俺への配慮はナシか。空気を読めない人だね。
「ごめんなさいね。私、今取り込み中なのよ」
虹塚先輩も、本心では面倒くさがっているだろうに、笑顔を崩さずに、社交辞令でやんわりと断った。
「そっ、そんな……。話だけ聞いてくれるだけでもいいからさ。ねっ!」
遠回しに、告白を拒否されているというのに、男子生徒はしつこく食い下がってくる。ネバーギブアップという言葉があるが、人間、諦めが肝心なんだよ。虹塚先輩も、あまりにしつこいから、眉をしかめているじゃないか。
「仕方がないわねえ。ちょっとだけよ」
結局、根負けした虹塚先輩が、話を聞くだけという約束で、話を聞くことになった。男子生徒は、告白が成功したかのように喜んでいたが、地獄を見るのが、多少遅くなっただけだ。彼氏がいるとか関係なしに。
男子生徒の案内で、図書室を出ていく二人。虹塚先輩は、俺を見ながら、ウィンクしてきた。心配しなくても大丈夫だという意思表示なのだろう。元々心配していませんので、気遣いは無用ですよ、先輩。男子生徒の方も、去り際に、俺の顔をちらっと見たが、俺は視線を外して興味のない風を装った。
去っていく二人の会話がとぎれとぎれながらも、俺の耳に入ってくる。どうやら、俺について聞かれているらしい。虹塚先輩が、ただの後輩で、あなたとは関係がないという旨を、穏やかながらも、反論を許さない口調で説明していた。
残された俺は、図書室ですることは残っていないので、とりあえず教室に戻ることにした。図書室を出るときに、遊里をちらっと見ると、携帯電話で会話してやがった。お~い、ここは携帯電話の使用は禁止だぞ~。
図書室から去っていく俺を横目で見ながら、遊里は、自身の援交相手に連絡を取っていた。
「あっ、パパ?」
パパと呼んでいるが、相手は女性だ。さらに言うと、アリスの母親だったりする。なぜ同性とそんな関係になっているのかについては、レズの気があるからではないかとしか言えない。個人的に、あまりディープな世界に首を突っ込み宅たくないという気持ちもあるのだ。
「そうだね。もうアリスと別れたみたい。うん……。理由? 分かんないけど、単純に飽きたんじゃないの?」
アリスの母親から、俺とアリスの仲を引き裂くように依頼されていた遊里は、既に別れていることを告げた。電話なので、向こうの反応は分からないが、どうせ手を叩いて喜んでいるんだろうな。
電話を切った遊里は、背伸びして体をほぐしつつ、次のとる行動を模索していた。
「さ~てと! パパからの依頼は、もう終了した訳だけど、まだまだ爽太君の周りでは、トラブルの種が尽きないみたいねえ。面白そうだから、ちょっかいをかけちゃおうかなあ~?」
もう用事は済んだんだから、放っておいてほしいのに、遊里はまだ俺に付きまとう気らしい。無論、この時点で、俺はそんなことを知る由もなかったのだがね。
その日の放課後、虹塚先輩と帰路についていると、いきなり謝られてしまった。
「学校ではごめんなさいね」
「いえ……、心愛が謝ることじゃないです。それに、俺も気にしていません」
結果を聞くと、やはり告白だったらしい。言葉に気を付けて断ったとのこと。ただし、断った後も、例の調子でしつこく食い下がってきたらしく、その場を離れるのに難儀したらしい。
「彼氏が側にいるのに、無粋よねえ」
虹塚先輩は、口をとがらせていたが、学校の連中には、俺たちの交際は秘密な訳だし、仕方ないだろう。ただ、アタックしてきた男子生徒は、関係を疑っていたようだったがね。
「ちなみに何人くらいに告白されているんですか?」
本当は、こんなことを彼女に聞くべきではないんだろうが、告白している男子は、複数いると聞いている。ちょっと興味があったので聞いてみた。
「そうねえ……。爽太君と交際を始めてから、十人は超えているかしら」
「そんなにですが……」
虹塚先輩を密かに狙っていた男子が思っていた以上に多かった。
「あら? ひょっとして爽太君。妬いているのかしら?」
「そんなんじゃないですよ」
今、質問したのは、純粋に興味があったから。この程度で、虹塚先輩が俺から離れていく訳がないと、何度も説明したが、俺の頬を小指で何度も突いてくる。俺が強がっているとでも誤解しているのかね。
俺が何度もそんなのじゃないと言っても、虹塚先輩は、意味深な笑みを漏らすだけだ。説明にも疲れたので、もう誤解されたままでいいやと諦めることにした。先輩とは、その後、ファミレスで食事をした後で別れた。本当は、俺の家までついてきたかったようだが、虹塚先輩も、門限には抗えないようだった。まあ、客を殴り飛ばすことだってある母親が相手では仕方ないだろう。
一人帰宅した俺は、玄関ドアの前で、鍵を取り出しながら、ため息をついた。悩み事があったからではない。無事にこの日が終わってくれそうなことに、緊張が緩んだからだ。
もちろん、冷や冷やする場面は何度かあったが、総合的にみれば、ここ数日の中では、平穏に終わった方かな?
鍵を手に取って、穴に差し込もうとしたところで、誰かが後ろから急接近してくるのが、足音で分かった。誰かが通りがかっただけだろうと軽く考えていたのだが、いやに接近してきた。
このままでは、俺とぶつかるんじゃないとかという勢いだ。ていうか、本当にぶつかりそうだ。焦って振り返ろうとした時だった。
「声を出すな……」
俺のすぐそこで急ブレーキで立ち止まった何者かから、低い声で脅されてしまった。首に冷たくて固いものが添えられる。これは……、鉄の棒?
何てことだ。こいつが接近してくるのは気付いていたのに。中途半端に感づいていた分、後ろを取られてしまったことが、なおさら悔しく感じた。
あ~あ、もう少しで比較的平穏なままで、この日を終えられる筈だったのに、どうしてこうなっちゃうのかなあ。