第百二十五話 俺自身が、目的不明の何者かから脅されている
休憩時間に空きっ腹をさすりながら、何を食べようか考えていると、携帯電話が鳴った。虹塚先輩からだった。
「あ、爽太君。私よ。お弁当を作ってきたから、一緒に食べましょうよ」
これから学食に行くつもりだった俺には、嬉しい誘いだ。本来なら、喜んで申し出を受けたいところだが、周りの目が気になってしまう。今の虹塚先輩は、すっかり時の人になっている。迂闊に会いに行くのはトラブルの素なのだ。
「虹塚先輩。お気持ちは嬉しいんですが……」
俺は、自分たちが噂のカップルになっていることを告げて、直接会いに行けない旨を伝えた。
「そう。私と爽太君のことが、話題の中心になっているのね!」
「いや、彼氏が俺だということは、まだ公には、なっていませんけどね。ていうか、虹塚先輩、喜んでいませんか?」
憂慮すべきことなのに、当の虹塚先輩は、明らかに上ずった声を出している。
「? 喜ばしいことじゃないの?」
「いやいや……」
逆に虹塚先輩から不思議そうに聞き返されてしまった。俺がおかしなことを言っているのではないかと、自分のセリフを思い返してみたが、間違いは思い浮かばなかった。
「虹塚先輩と俺が交際しているのを、快く思っていない人がいるってことですよ。場合によっては、先輩の身に危険が及ぶ可能性だってあるんですよ?」
「爽太君が守ってくれるのよね」
警告をしたつもりが、当たり前のように頼られてしまった。そりゃあ、俺が守るって約束したけどさあ……。
この人が、この状況下でも落ち着き払っているのは、俺がどうにかしてくれるのを期待しているからか。いいよなあ、頼る側は……。余計なことに、気を回さなくていいから。
だけどですよ? 約束はしたが、俺は空手や柔道の心得がある訳でも、喧嘩の才能がある訳でもない。かといって、ひ弱という訳でもない。良くも悪くも、普通の腕っぷしなのだ。
だから、同年代のやつとサシで勝負すれば、そこそこの戦績を誇る自信はあるが、複数相手には分が悪い。積極的に、危険の中心に首を突っ込むような真似は避けてほしいというのが本音なのだ。
「先に断わっておきますが、不埒な輩から虹塚先輩を守ろうとしても、必ず守れるとは限りませんからね? あまり無謀な戦いだと、あっさり返り討ちに遭っちゃいますから」
「う~ん。そんな爽太君も見てみたいかな……。もうボロボロなのに、私を守るという意思のもと、悪い奴の足にしがみついてでも、私を逃がそうとする爽太君」
「ははは! 物騒な心の声が聞こえたよ?」
今更だが、守ると約束したことを後悔した。これなら、注射器を振り回して、トリガーハッピーをエンジョイさせた方が良かったかもしれない。
とにかく虹塚先輩に心の向くままにフルスロットルされたら、俺の命が持たないので、校内では必要な場合以外に、接触してこないことを、無理やり約束させた。先輩は落胆の声を出していたが、自分の安全のためには、仕方ない。
「でも、残念だわ。せっかく作ったお弁当なのに……」
きっと俺に渡す筈だった弁当を見ながら話しているのだろう。俺と接触出来ないのなら、渡すことも出来ない。頑張って作ったのに、捨てることになってしまうという残念がっている空気が伝わってくる。だが、心配はいらない。
「ご心配なく。虹塚先輩が作ってくれた弁当は、しっかりと食べますから。場所を指定してくれれば、回収に伺います!」
電話の向こうから、安堵したような、または噴き出しているような反応が返ってきた。貧乏学生の俺に、せっかくの食い扶持を逃すという手はない。
結局、弁当は、屋上に置いておくので、後で取りに行くということで話はついた。
「あとね、爽太君。ずっと気になっていたんだけど、今の私たちって、実質的に二人きりよね……?」
「あっ……」
そういえば、二人きりの時は、虹塚先輩のことは、心愛と名前で呼ぶ約束だったな。それなのに、さっきから虹塚先輩って連呼している。
「すみません。うっかりしていました、心愛」
「よろしい」
かなりぎこちないセリフだったが、名前で呼んだことで、虹塚先輩は満足してくれたみたいだった。
「げっ!」
放課後、帰ろうと廊下を歩いていると、あまり会いたくない人物が反対側から歩いてきているのが見えた。
優香だ。
虹塚先輩によって、俺に関する記憶を失っているせいか、こっちが見ていることに気付いても、不思議そうに首を捻るだけだが、俺は顔を見るたびに緊張してしまうのだ。
「何をこんなに冷や汗を流しているんだよ。これじゃ、俺の方が不審人物じゃないか」
そう思い、自身を奮い立たせたが、監禁されていたトラウマは、簡単に拭いきれるものではないらしい。
優香とすれ違った後で、冷や汗を拭っていると、携帯電話が振動した。
「またメールか……」
就業時間が近づくのに比例して、メールの頻度が増えてきていたのだ。差出人は、もちろん虹塚先輩。内容は、俺と会いたいというものだ。最初は、律儀に返信していたが、次第に煩わしくなってきていた。
向こうは、俺と会わないと死んでしまうとでも言いそうな勢いだ。俺の都合など、お構いなしな部分も垣間見える。虹塚先輩は、束縛するタイプの女子かね。
この分だと、会う約束を取り付けるまで延々とメールを送られ続けるのは、目に見えていた。
根負けした俺は、学校からかなり離れたカラオケボックスで落ち合うことにした。個室だったら、周りの目だって、気にせずに済むと考えたのだ。
やたら浮かれた内容の返信メールを見ながら、俺はため息をつきつつ、通用口に差しかかった。
「うん?」
下駄箱から、靴を出そうとしたとき、中に無地の封筒が入っているのを見つけた。コンビニで、十枚セットの百円で売られていそうな、お馴染みのアレだ。
「ラブレター……、じゃないな」
馬鹿な独り言を呟きながら、封筒をまじまじと見る。差出人の名前は書いていない。あまり深く考えずに、封筒を開ける。万が一、ラブレターだったとしても、断るだけだがね。
中には、紙が二枚入っていた。
そのうちの一枚は、写真だった。直観的に嫌なものを感じつつ、手に取ってみると、俺と虹塚先輩が夜道を歩いているところが写っていた。きっと昨日の夜に撮られたものだな。
どこのどいつか知らないが、この写真を焼き増しされて、ばら撒かれたら、俺と虹塚先輩の関係は、校内に知れ渡ることになるだろうね。何者かは知らんが、いきなりばら撒かれることをしてくれなくて助かったよ。
さて。封筒に入っていた紙は、もう一枚あるが、ここまでの流れで、どんなものか想像がついてしまった。考えたくも、確認したくもないが、大方脅迫状の類だろう。「写真をばら撒かれたくなかったら、俺の要求に従え」みたいな。
要求の内容も、だいたい想像出来てしまった。虹塚先輩と別れろというものに違いない。
こんな回りくどいことをせずに、堂々と俺の前に出て要求を突きつければいいものを。うんざりしつつ、もう一枚の紙に目を通す。
『ぶちのめす』
紙には、この文字だけが書かれていた。
「……」
反射的に紙を裏まで見返してみたが、やはり『ぶちのめす』の五文字以外見当たらなかった。差出人の名前は、相変わらず確認出来ない。
手紙を握りしめたまま、思わず立ち尽くしてしまう。これ……、果たし状じゃないか。だが、向こうの目的しか、俺は知らされていない。
ということは、何の予告も無く、いきなり襲撃されるということか!?
それ……、怖過ぎるだろ!