第百二十四話 嘘の使い道と、漂い出した不穏の影
帰宅すると、アリスとアキが、俺の帰りを待ちかねていた。突然の俺の心変わりに対して問い詰めるためだ。
アリスに対して、負い目のある俺は、包み隠すことなく、虹塚先輩との間にあったことを話した。俺の方から虹塚先輩にキスするようなことがあれば、アリスと別れて、婚約前提で交際すると約束していたことも含む。
当然のことながら、話し終わったと同時に、アリスの鉄拳によって、俺の体は宙を舞った。
「全く……。陰でコソコソしているかと思えば、私に黙って何をしているのよ……」
俺に向かって、ひたすら呆れるアリス。その後、まだ自分のことが好きかと聞かれたが、こともあろうに、口ごもってしまったのだ。
やばいとは思ったが、怒りのアリスから、さっきよりも強烈な一撃を食らって吹き飛ばされてしまった。
「一日もしない内に、あの胸に籠絡されやがって……。この色狂いが!!」
怒りの収まらないアリスは、俺を散々罵倒して去って行ってしまった。その際に、絶対に虹塚先輩から、俺を取り戻すみたいなことを言っていた気もするが、それは蛇足というものだろう。
「どうしてあそこで即答しないんだよ。嘘でも、お前のことが一番好きだって、言って安心させるところだろうが」
「いやあ~、嘘はまずいでしょ」
俺の呟きに、アキが返さなくてもいい返答をした。てっきりアリスにくっついて帰ったと思っていたのに、まだいたようだ。
「お姉ちゃんのご機嫌を取ろうと、下手な嘘をついていたら、より一層殴られてましたぜ。それどころか、きっぱりと別れを告げられていたと思います」
「それは慰めの言葉なのか?」
俺とアリスは、もう別れているのだ。今更慰めなんぞ要らない。お前のお姉ちゃんを弄んだ俺を、好きに罵倒していいんだぞ。
だが、アキの口から、罵倒の言葉は出てこなかった。
「言いよどんだってことは、虹塚先輩に対して好意があるというだけじゃなくて、お姉ちゃんへの気持ちも残っていると捉えられませんかね」
「物は言い様だな」
「もし、お姉ちゃんへの気持ちが完全に薄れているのなら、はっきりと言う筈ですよ。お義兄さん、そういう未練ったらしいことは、大嫌いですからね」
「ふん……」
どう噛み砕いたところで、所詮は言い訳だ。
言うだけ言うと、アキは俺の顔を、またじろじろと観察するように見出した。あまり気持ちのいいことではない。
まるで俺の駄目っぷりをあざ笑うかのように、アキはおかしそうに、俺をじっと見ている。
「何だよ……」
「ふっふっふ! それにしても、たいへんなことになっちまいましたな、お義兄さん。これは収拾をつけるのが、面倒ですぜ」
俺が痴情のもつれで、ひいひい言っているのを楽しんでやがる。俺からすれば、頭の痛い問題も、こいつにしてみれば、ワイドショー感覚で楽しむものなんだろう。性格の悪い趣味を覚えやがって。だが、はたいてやろうとは思わない。
「まだお義兄さんなんだな……」
「む?」
上半身を起こして、アキと向き合う。不思議そうな顔をして、俺を見ているが、こいつがここに残っている理由が分からない。
俺は、お前の姉と別れてしまっているのだ。どう呼ばれるのかと思っていれば、変化なしときた。
「俺の話は聞いていただろ? 俺はもう、アリスと別れたんだよ。だから、お前からお義兄さんって呼ばれる謂れもないんだ」
なのに、こいつときたら、いつまでもお義兄さん呼ばわりしやがって。
「そっちの方がたかりやすいと思ったんです。赤の他人でも、親近感が湧くじゃないですか」
「お水の女が、客を社長さんって呼ぶのと同じ原理かよ」
「まあ、そんなことはどうでもいいです。呼び方なんて、好きに呼べばそれでいいじゃないですか。爽太先輩と呼ぶよりも、お義兄さんと呼ぶ方がしっくりくる。これで十分でしょう」
こいつの話は、相変わらずよく分からん。姉をひどい振り方をしたというのに、怒ってもいないようだし、復縁するとでも思っているのか?
「しっかし! お姉ちゃんと、お義兄さんの彼女の、血で血を洗う最後の戦いが、これから幕を開けるんですな。胸が躍ります!」
「血で血を洗う展開になんぞならんぞ。万が一、そうなりかけても、俺が阻止するから。ていうか、どうしてお前が楽しんでいるんだ?」
もう叩くこともないと思っていた憎まれ口を、遠慮なく言い放ってやる。しかし、アキは堪えた様子もなく、俺に顔を接近させてきた。
「いっそ私も戦線に名乗りを上げちまいますかねえ……」
アキのくせに、妙に艶やかな表情と、赤みを含んだ唇をしてやがる。いきなり何の真似かと思えば、生意気なやつめ……。
「アホか!」
もちろん、ハッキリと否定してやった。こいつにときめくなど、天地がひっくり返っても、あり得んことだ。
「……お義兄さん、つまんないです」
恨みがましい目で睨まれてしまったが、興味のないものは興味がないのだ。
「おい、爽太! お前、もう聞いたか?」
翌日、登校すると、席に着くなり、木下がやってきた。俺は、まだ眠くて、机に突っ伏して寝たい気分だったこともあり、やる気のない声で「聞いていない」と答えた。
俺の様子から、あまり話したくないオーラを感じ取ってほしかったのだが、興奮している木下は、お構いなしにまくし立てた。
「あの虹塚先輩に彼氏が出来たらしいぞ。今まで、どんなイケメンが告白しても、絶対に首を縦に振らないことでも、有名だったのに。お前も、一緒に海に行っていたから、先輩のことは覚えているだろ?」
「ああ」
もちろん、知っている。何故なら、当事者だから。
「昨日の夜、虹塚先輩が、男と仲睦まじく歩いているのを見たってやつが、何人もいるんだよ。しかも、熱い抱擁の上に、キスまでしていたそうだ」
俺の家まで送ってもらっていた時か。まさか学校の連中に見られていたなんて。
「へえ、何人も見ているってことは、相手の顔も見ているんだろ? どこのどいつなんだ?」
「それが遠くからだったから、よく見えなかったらしい。あまり接近すると、ばれると思ったんだろ。まったく根性がないよな」
「その場にいたのがお前だったら、間違いなく接近していただろうよ。そして、あっけなく見つかっていたころだろうな」
わざわざ俺にそんな話をしてくるということから、木下本人も、俺と虹塚先輩の関係には、まだ気付いていないらしいね。
ここで正直に白状するほど、俺はアホではない。木下には、初めて知ったと、嘘をついておいた。
「あ~、こんなことなら、駄目もとで告白しておくんだった!」
俺の嘘に気付くことなく、木下は悔しそうに地団太を踏んでいる。いつもなら無駄な足掻きだと笑うところだが、もし、その駄目もとの告白が成功していれば、アリスと別れることもなかったんだよな。そう考えると、どうして行動に移さなかったんだよという気持ちも湧かなくもない。
「あんな美少女なんだ。彼氏の一人がいてもおかしくもないだろ」
「そりゃそうだけどよ。ああ~、羨ましいぜ、その彼氏。今頃は、あの豊満な胸を、悠々と料理しているんだろうな」
「今は昼だぞ……」
やはり体しか見ていないんだな。木下らしいといえば、木下らしいけど。
「まさか、噂の彼氏って、お前じゃないよな?」という旨の質問が、いつ飛び出してくるか、密かに警戒していたが、木下はひたすら悔しがっているのみだった。こいつに見抜かれる心配は皆無といっても良さそうだな。
心配ないと、この場では胸を撫で下ろした俺だったが、騒ぎは、それだけに留まらなかった。
木下以外にも、虹塚先輩を密かに狙っていた男子は多かったらしく、校内は、ちょっとした騒ぎになっていたのだった。
幸い、虹塚先輩が口を濁してくれているおかげで、俺の存在はまだ浮上していないが、この分だと、校内に知れ渡ってしまうのも時間の問題だな。その時、こいつは、どういう反応を示すかな。かなりの確率で、取っ組み合いの喧嘩に発展しそうだが、出来る限り、穏便にお願いしたいものだ。