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第百十二話 俺の記憶が、海に沈んだ日

 自分が許嫁であることを明かした虹塚先輩が、過去のことを話してくれていた。そして、話は、俺が記憶を失った時のことへと移っていく。


「事件が起こったのは、爽太君からプロポーズされてから一か月ほど経った時だったわ……」


 プロポーズした時のことは、夢で見ているから、だいぶ思い出すことが出来る。ただし、覚えているのはそこまでで、そこから起きたたことは、簡単にしか聞かされていない。


「私たちは、子供ながら、将来を約束し合ったことで、よりいっそう仲睦まじく過ごすようになっていたわ。私のお父さんは面白くなさそうにしていたけどね」


 虹塚先輩にとっては、一番楽しかった時期だろう。ただでさえ、子供時代は美化される傾向がある。先輩の脳内では、かなりの補正がかかっているのだろう。うっとりとするような顔で、目を潜めて、当時を懐かしんでいるのが分かった。ただし、その顔も、すぐに曇ることになるのだが。


「でも、その満ち足りた生活も、あの女が舞い戻ってきたことで、唐突に終わりを告げたの」


 あの女……。優香のことか。彼女が話に出てくる頃になると、虹塚先輩の表情がサッと変わるので、そろそろくるなって、あらかじめ分かっちゃうんだよな。


「ちょうど親が仕事や買い物で留守にしていて、私と爽太君の二人きりで遊んでいる時に、やつはやって来たの。誰から聞いたのか、私と爽太君の婚約のことを既に知っていて、烈火の如く、怒り狂っていたわ」


 ヤンデレ状態の優香に襲撃された訳だ。今の俺でも怖いのだから、子供時代の虹塚先輩からすれば、かなりの恐怖体験だったに違いない。


 実際、虹塚先輩も、昔は大人しい性格だったみたいで、殴り込みをかけてきた優香にぶるってしまったらしい。というか、子供の頃から、どんな修羅場を体験しているのだ!? 確実に常人より二十年は早熟の恋愛を経験しているよな? 子供のくせに、プロポーズなんかもしちゃっているくらいだし。


「私はすっかり怯えちゃったんだけど、爽太君は平気そうな顔で大丈夫だよって笑ってくれたの。今にして思うと、爽太君も強がっていたと思うんだけど、その頃は、普通に格好良かったな」


 確実に無理をしていたな、当時の俺。生憎、自分にそういう度胸が乏しいことは、周知の事実だ。


「怖がって動けないでいる私を置いて、爽太君とあの女で、外で話をしようって、家を出ていったわ。そこで親に電話でもしておけば良かったんだけどね……」


 虹塚先輩は悔やんでいるようだが、親に連絡したところでどうにもならない気がする。親からすれば、子供同士が見解しているくらいの認識だろうし、それで用事を切り上げてまで駆けつけるとも思えない。


「結局、その日、爽太君が家に戻ってくることはなかったわ。救急車で病院に運ばれたから。通報してくれた人の話によると、崖から足を踏み外したらしいのよ。幸い、落ちた場所が海だったから、命に別状はなかったみたいだけど、私は目の前が真っ黒になったわ」


「……」


 何を言いたいのか、結末を聞かずとも予想出来てしまえる自分が怖い。最早二時間サスペンスの話じゃないか。どれだけ壮絶な子供時代を過ごしているんだよ……。むしろ、今よりも血にまみれているとは……。


「その時はあなたが崖から足を滑らせたとしか聞かされなかったけど、私は信じなかった。おっちょこちょいなところはあったけど、そんなことをする訳がないって信じていたもの」


 俺もそう思う。とはいっても、崖から滑り落ちるような間抜けな真似はしないとか、格好いい理由からではない。自分で言うのも何だが、度胸がない人間なので、崖から滑り落ちそうな距離まで近付くなんて、成長した今でも足が震えて無理なのだ。


「私は、事故の現場を見ていた人がいないか、執念深く聞き込みを行ったわ。本職の刑事顔負けのしつこさでね。そして、その現場を見ていたという人をついに見つけたのよ。爽太君が、あの女に崖の上から突き落とされる瞬間を見ていたやつがね……」


 ……よく死ななかったな、俺。自分で思っているより、数段丈夫に体が出来ているのかもしれない。


 あと、崖の上から突き落とされたことについては、さっき予想出来てしまっていたから、もう驚かなかった。


「今なら目撃したやつを連れて警察に相談に行くとか、いくらでも方法は思いつくんだけどね。当時は、まだ幼かったから……」


 悔しそうで、申し訳なさそうな、複雑な顔で、虹塚先輩は顔を背けてしまった。あの時に、しっかりと優香に引導を渡せなかったことを悔やんでいるようだ。


「いくらあなたを盗られて悔しいからって、手にかけようとするなんて、どうかしているわ……」


「そんなに気にすることはないですよ。その……、先輩だって、大変だったじゃないですか」


 確か、俺が記憶を失ってから、程なくして、虹塚先輩の過程は崩壊している。原因は、子煩悩だったはずの父親の浮気。


 それでドタバタしている内に、優香のことを追及する機会を逸したのだろう。そんな先輩を責める気などない。


「その件が元で、俺は記憶を失っちゃった訳ですね……」


 当時、失った記憶は、まだ完全には戻っていない。それどころか、再び優香に身の危険に脅かされてしまった。もし、虹塚先輩が優香のヤンデレの面を消してくれていなかったら、また脅かされていただろう。先輩が、優香の一方の人格を消したと聞かされた時は、やり過ぎだと思っている部分もあったが、こうして昔話を聞かされた後は、妥当な処置に思えてしまう。


 こうして振り返ると、俺の人生は何かに呪われているような気がしてならない。今度、本気でお祓いを受けてみようか?


「虹塚先輩は……、俺を崖から突き落としたりはしませんよね?」


 優香ほどではないにせよ、虹塚先輩もヤンデレなところがあるため、恐る恐る聞いてみた。


「ええ。私はどんなことがあっても、あなたの命を脅かすようなことはしないわ」


「俺には刃を向けないってことですか……?」


「たまにじゃれ合いの延長で、ぶったりとかはすると思うけど、あなたに明確に危害を加えるようなことは控えるようにするわ。だから、恐がらずに、私に甘えてきていいのよ」


 虹塚先輩のこれまでの行動を考えると、手放しで信用は出来ないが、もしこの話が本当なら、俺にとってかなり助かることになるかもしれない。


 もしかしたら、頼めば、俺の方からキスしたら、アリスと別れてよりを戻すという約束の件を、水に流してくれるかも……。


「だからといって、約束を踏み倒そうなんて、考えないでね……。命を脅かすことはしないとは言ったけど、気が動転すると、人ってどんなことをするか分からないものだから」


「……そんなこと、思っちゃいませんよ」


 言い出す前に釘を刺されてしまった。俺の考えそうなことは、簡単に予測出来るということか。ていうか、今の虹塚先輩。笑顔のままなのに、声に感情がこもってなくて、めっちゃ怖かった。


「もう! ちょっと甘くしてあげたら、これだもの。つくづく油断がならない子ねえ」


 顔は笑っているが、内心ではどう思っているだろうな。約束をさらりと流そうとしている俺に対して、強硬手段に出ようとか考えていないことを願うばかりだが。


「……爽太君に対して、気が許せないなんて、寂しいわ」


 虹塚先輩の瞳から涙が流れているのを見て、俺は複雑な気分になってしまった。考えてみたら、先輩は俺との約束のために、ずいぶん長い間待ち焦がれていたのだ。それが再会してみたら、俺は関係を頑なに拒んでいる。


「やだ……! ちょっとしんみりしちゃった」


 頬を伝っていた涙を腕で拭うと、虹塚先輩は健気に笑った。無理をしていることが丸分かりの様子を目の当たりにすると、さすがに心が痛む。


 何か声をかけた方が良いかなと思っていたが、次に放たれた一言に凍り付くことになった。


「こうなると、爽太君が変な気を起こさないように、一刻も早くアリスちゃんと別れてもらわないとね」


 いきなりの爆弾発言に、心臓を鷲掴みにされて、そのまま握りつぶされてしまうような衝撃を食らってしまった。


「せ、先輩……! あのですね……」


「時間稼ぎをしようとしても無駄よ。約束通り、爽太君から、私にキスをしちゃったんだから、大人しく観念なさい」


 笑顔のままだったが、絶対に断らせないという覚悟が感じられていて、背中に震えが走ってしまった。今更、あれは間違いでしたと言っても、聞き入れてくれそうにはない。というか、虹塚先輩も気付いていることだ。昨日、俺の部屋から帰る時に、それを匂わせる発言をしていたくらいだしな。


 それを分かった上で、強引に話を進めようとしている。それなら、俺も強引に止めるしかないのか?


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