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第百九話 さよならも言わずに、彼女は消えていった 後編

 虹塚先輩を探していたら、偶然アカリと遭遇した。あまり話している時間はなかったが、知らない仲ではないので、挨拶だけはしておくことにした。


 いつもみたいにはにかみながら、挨拶を返してくるだろうと思っていたら、俺のことを気味悪そうに見つめるだけで、挨拶に応じてくれなかった。


 戸惑った俺は、足を止めて、あれこれと話を振ってみたが、どんどん表情が曇っていく一方で、トレードマークともいえる笑顔を向けてくれることはなかった。それでも粘り強く話を続けていると、ある一つの事実に思い至ったのだった。


 まるで俺のことを知らないみたいな反応をしてくると思っていたら、本当に覚えていなかったのだ。ちょうどそこに割り込んできた、アカリの親友のゆりが尋ねた際に、俺のことを知らないとハッキリのたまったので、確かだ。


 アカリとは、さっきプリントを運んでやった際に、アクシデントが発生して、彼女の胸に、顔をうずめているのだ。あれまで忘れたというのか。俺は結構ドキドキしたというのに、アカリにとっては取るに足らない出来事なのか!? いやいや、そんなことはないよね。


「ちょ、ちょっと、あなた……。爽太君のことが好きだって、あんなに話していたじゃない。何を言い出しているのよ。それとも、何かの作戦な訳? もしそうなら、私にだけネタばらししてよ」


「? そりゃあ、爽太君は、確かに格好いい人だとは思うけど、交際相手としては考えたことはないよ?」


「……」


 うわあ、ハッキリと否定された。マジで言っているのか? ゆりと二人で、アカリの顔をまじまじと見つめるが、いつまで待っても、「ドッキリ大成功!」という台詞は聞こえてこない。


 さっきからもしかしたらと思っていたが、こうして突きつけられるとショックだわ。忘れているからといっても、そこまで言わなくてもいいじゃん。アカリとくっつく予定はなかったが、ここまで言われると、さすがにどう声をかけたものか、分からない。というか、声をかけても、反応が薄い。


「ね、ねえ、爽太君。アカリ……、どうしちゃったの?」


 親友の変貌に手を焼いたゆりが、俺に説明を求めてきたが、説明してほしいのはむしろこっちなのだ。


「俺にも分からない……」


 そう答えるしかなかった。とはいえ、心当たりがない訳でもなかった。程度が少ないとはいえ、アリスにも似た症状が出たことがあるからだ。


 俺の許嫁が多用している記憶喪失剤だ。あれでアカリの中の俺に関する記憶が、根こそぎ持っていかれたと考えれば、辻褄は合う。だが、どうしてこのタイミングで?


 アカリは今までだって、散々俺にちょっかいをかけてきたにも関わらず、ノータッチだったじゃないか。胸に顔をうずめるというハプニングだって、今回が初めてではない。


 ふと、虹塚先輩の顔が思い浮かんだ。ついでにいうと、虹塚先輩の用事の話も思い出した。


 俺の馬鹿! どうして先輩の顔が思い浮かぶんだよ!


 アカリから顔を反らして、頭をかきながら、考え込んでいると、廊下の向こうでこちらを見ている虹塚先輩と目が合った。それだけなら、特に気にすることでもないのだが、こちらを覗く彼女の表情と持っているものが気にかかった。


 虹塚先輩の手には、何やら光るものがあった。あれは……、注射器? 針の部分に光が反射して、まぶしく見えたのか。だが、最も気になったのは、この不可解な事態をすべて見透かしているかのような虹塚先輩の笑みだった。


 先輩……、あなた、何か知っているのか? というか、あなたがやったのか?


 俺は、しどろもどろになっているゆりに別れを告げると、廊下の向こうに歩いていく虹塚先輩を追って走り出した。その際に、アカリと一瞬目が合った。にっこりと笑ってくれたが、ただの社交辞令の笑みであって、俺を好きだったころに見せてくれた笑顔とはまるで別物だ。それを見てから、アカリと話すことはもうないんだろうなと、漠然と感じた。アカリとはいつか離れることになると分かってはいたが、こういう形になってしまうとは。もうあのアカリと会えないかと思うと、心がズキリと痛んだ。


 考えたくないことだが、アカリの記憶がすっぽりと抜け落ちたのは、虹塚先輩の仕業と見て間違いないだろう。でも、どうして虹塚先輩が……?


 くそ……! せっかく優香の問題が解決しようとしていたのに、今度は虹塚先輩かよ。どうして、俺の周りは常にトラブルばかり起こるんだ?


 ……そういえば、優香のやつ。俺を監禁した時、記憶喪失剤を使ってこなかったな。俺から自由だけでなく、記憶も一緒に奪えば、完璧だったのに、詰めが甘い。


 記憶喪失剤……。俺の許嫁が頻繁に使ってくることで、俺の中ではかなり有名なアレだ。俺に接触し始めてきた頃には、頻繁に使っていたくせに……。


 考えてみると、変だった。状況的には、どう見ても、優香が俺の許嫁なのに、ところどころ会話が噛み合わないのだ。両方の父親の面前で結婚の約束をしたことも忘れているし、俺からキスをしたらアリスと別れて、文面通り婚約するという約束のことも、覚えていないようだった。というより、元から知らないようなのだ。


 約束するだけして、さっさと忘れてしまった。俺だけが律儀に覚えていて、一人で勝手に奔走していたということになるのかね。


 ……そんな訳がねえだろ。ここまでやらかしておいて、勝手にさっさと忘れるとかねえよ。


 考えてみたら、ここ数日に起こったことは、どれも辻褄が合わない。だが、答えはもう出ようとしていた。


 虹塚先輩は、俺を引き離さず、かといって追いつかせもせずに、屋上へと向かっているようだ。明らかに誘っている……。今にして思えば、注射器を俺に見せてきたのもわざとだろう。それらの説明を屋上まで連れ出してから、一気に済ませようとしているとみた。屋上に行けば、全て教えてもらえるというのなら、そこまで待てばといいという話だが、出来れば、それまでに自分の頭で答えを見つけたい。何から何まで後手に回っているというのも、虫の居所が悪いのだ。


 屋上に着くまで考えをまとめろ。閃きを生め……! 体も頭も、フルスロットルの状態で、俺は校内を駆けていた。


「虹塚先輩! アカリに何をしたんですか!」


 俺の問いかけに、虹塚先輩は俺の追跡に愉快そうにしながら、しっかりと質問に答えてくれた。


「廊下を歩いている彼女を呼び止めて、軽い世間話で和んだ後に、これを注入してあげただけよ」


 虹塚先輩が見せてきたのは、中身が空になっている注射器だった。やはりあれは見間違いではなかったのだ。


「それ……、記憶を消す薬品ですよね……」


 腹の底から振り絞るように出した俺の質問に、虹塚先輩はニコリとほほ笑んだ。ハッキリと言葉が返ってきた訳ではなかったが、質問の答えはイエスで間違いあるまい。


「彼女が悪いのよ。私を差し置いて、爽太君とイチャついていたんですもの。前回は見逃してあげたけど、今回は水に流すことは出来なかったわ」


「それだけで、アカリから俺の記憶を奪ったんですか?」


「まさか……。彼女から記憶を奪ったのは、あなたのことを愛していたからよ。あなたを独占したい私としては、どうしても見過ごせないことなの。実際、アリスちゃんという彼女の存在を知っていても、あなたへのアタックを止めなかったでしょ? 後々煩わしくなってくるのは、火を見るよりも明らかだわ」


「じゃあ、俺の記憶も消すべきなんじゃないですか?」


 そうすれば、自分に好意を持った女性全てに、さっきのアカリみたいに素っ気ない態度を取って、望まれなくても、追い払うようになるだろう。そっちの方が手間も省けて楽じゃないのか?


「駄目よ。爽太君が記憶を失くしたら、私と付き合うことが出来ないでしょう?」


「さっきのアカリみたいに、あなたは誰なのか聞くところからやり直さなければいけないでしょうね」


 かなり骨の折れる作業であることは間違いなさそうだ。ていうか、その前に、虹塚先輩と交際するとは言ってませんがね。


「虹塚先輩……。あなたは一体……」


 聞きたいことは山ほどあった。自然と質問が矢継ぎ早に口から零れだしてくる。そんな俺に、自身の口に、右手の人差し指を当てて、「しぃ~」と静かにするように訴えてきた。通常なら、子ども扱いされたことで、頬を赤らめているところだが、今の俺はこんなことで勢いを弱めたりしない。


「この続きは、屋上でお話ししましょうよ。ちょうど着いたところじゃない」


 虹塚先輩の言う通り、屋上へのドアは、もう目と鼻の先ほどの距離にあった。


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