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第百六話 突きつけられる約束と、破局の足音

 自分の不注意で、彼女であるアリス以外の女子とキスをしてしまった。


 ていうか、間違えてキスした虹塚先輩。身長もスタイルも、全てがアリスと違うじゃん。どこをどう間違えたんだよ、俺⁉︎


 周りが見えなくなるくらい、強烈な自己嫌悪に陥っていて、電信柱があれば、頭を叩きつけたい衝動に駆られてしまう。マジで周りが見えなくなっていて、さっきからアリスに名前を呼ばれているのに、気付かない有り様だ。


「爽太くん‼︎」


「わわっ!」


 あまりにも俺が無視をするので、アリスから耳元で叫ばれてしまった。大口を開けて驚く様子は、なんとも様にならない。アリスのことを考えていて、本人にどやされるとはな。


「監禁されていた時の疲れが、まだ残っているの? 浮かない顔をしているわよ」


「ああ、大丈夫……」


 俺が浮かない気持ちでいるのは、監禁疲れじゃなく、罪の意識からなんだよな。だが、そんなことをアリスには言えない。


 アリスを見ると、心配そうに俺のことを見つめている。俺の様子がおかしいのを監禁されていたのが原因と決めてかかっているためか、微塵も疑っていない真っ直ぐな目をしている。それが余計に、俺の心を重くしているのだった。


 学校に着いてからも気持ちは揺らいだままで、俺は一人で廊下を彷徨っていた。


 窓ガラスに寄りかかり、外に目をやる。中庭の辺りで優香が、友人たちと楽しそうに談笑していた。昨日まで俺を監禁していた人物には、とても見えないな。


「優香さん。昨日の面影が一切ないわね」


 俺の心中を代弁したかのような発言だ。


「虹塚先輩……」


 優香からの支配から脱出する立役者ともいえる人が、傍らに立っていた。本来なら盟友と呼んでもいい人間に、気まずい思いを抱いているのは、全て俺の不注意が原因だった。


「一晩経つけど、体の具合は大丈夫?」


「ええ、何とか……」


 駄目だ。虹塚先輩の顔をまともに見られない。先輩も意地悪で、右手で、唇を愛おしげに撫でているのだ。それが、昨日のキスを思い出させてしまう。


 いや、虹塚先輩は、分かった上で撫でている。明らかに俺を誘っていた。もしくは、からかっている。


「あ、あの、俺、事情があって……。失礼します!」


「あっ、待ちなさい」


 大人の虹塚先輩に迫られると、冷静でいられない。かなり強引に話を打ち切ると、逃げるように、その場から走って立ち去ったのだった。




十分後、虹塚先輩からようやく逃げ延びた俺は、その場にうずくまって、荒れた呼吸を整えた。


「虹塚先輩と、すっかりおかしなことになっちゃったな」


 原因を作ったのは、俺だから、何とも言えないんだが、出来るなら、普通の先輩後輩の関係に戻りたいんだよな。


 そんな都合の良いことを考えていると、向こうから、何かが崩れる音がした。駆けつけてみると、女子生徒がプリントの下敷きになっていた。


「もしかしなくても、埋もれているのは、アカリだよな」


 「そうで〜す」とか細い声が下から聞こえてきた。やはりか……。


 また小山から意地悪されて、無理な量のプリントを運ばされているのだろう。断ればいいのに、律儀なやつめ。


 見捨てるのも忍びないので、いつかのように、また半分以上持ってやることにした。かなり限界だったのだろう。アカリには泣きそうな顔で感謝された。


「もう大丈夫なんですか?」


「ああ、しばらく休んだが、この通り……」


「爽太くん本人じゃなくて、部屋の鎖的なもののことです」


「そっちね……」


 てっきり俺のことを心配してくれているものとばかり考えてしまった。結構恥ずかしいな。


 どう説明したものか、考えあぐねながら、俺たちは階段に差し掛かる。その後は、アカリが足を踏み外して転げ落ちそうになったのを俺がクッションになって防いだ。気が付いたら、アカリの胸に顔をうずめていたという、以前の出来事を再現する結果になってしまった。


「もちろん爽太くんも心配です。だって、こうして胸で押し潰しても無反応じゃないですか」


「人をエロの申し子みたいに言わないでくれるかな?」


 ま、概ね当たっているけど。


「家がおかしなことになっていたことと、何か関係はあるんですか?」


「うっ……」


 痛いところを突かれたな。アカリも、変わり果てた我が家を目の当たりにしているだけのことはある。それじゃ、下手な言い訳は通用しないな。観念して、これまであった経緯をかいつまんで話すしかあるまい。


「えっと……、つまり、間違ってやっただけですよね。それだけなら、浮気にはならないのでは? 爽太くんが思い悩むことはないと思いますよ」


「そういうものか?」


「ええ、むしろどんどんやるべきかと。爽太くんがガツガツやってくれないと、私にチャンスがありませんし」


「アカリ?」


 お悩み相談が、妙な方向に流れ出したので、釘をさすも、アカリの勢いは止まらない。


「あ、もちろん、アリスさんがどう捉えるかですけど、いっそ洗いざらい話して、ビンタをもらって解決ってところですかね」


「アカリ⁉︎」


「そして、アリスさんからの暴力で傷心している爽太くんを私がこうして慰めて……」


 また胸を押し付けようとしていたのを、涙を飲んで、押しとどめた。


「なんなら、今から私ともキスしちゃいますか? 何度もやっていれば、罪の意識も次第に薄らいで……」


「気持ちだけ、ありがとうな」


 相談に乗ると見せかけて、結局そういう考えに落ち着く訳ね。彼女持ちである俺を狙っている訳だから、ある意味で当然のことだが。


 途中まで、真面目な人生相談だっただけに、こんな流れになってしまったのが、悔やまれる。




「捕まえた!」


 アカリと別れて、教室に向かう途中、再び虹塚先輩に捕まった。


 ここまで俺に執着してくる人じゃなかったよな。昨日のキスで変なスイッチが入っちゃったとか?


「うふふ、お姫様をキスで起こしておいて、逃走を図るなんて、困った王子様ね」


「あははは……」


 相変わらずニコニコしているが、すこぶる機嫌が悪いのは分かった。何か背後にどす黒いオーラが発生している‼︎ 最後に一言付け加えられた「もう逃がさないから」が、例え冗談でも笑えない。


「しかも、ちょっと目を離した隙に、他の女の子に手を出すなんて、ふしだらもいいところ」


「見ていたんですか……」


「見ていないわよ。爽太くんが、アカリちゃんの胸に顔をうずめて満足げに昇天していたところなんて、断じて見ていないわ」


「全部筒抜けじゃないですか!」


 見られていたことに全く気付かなかった。俺の許嫁並みに、気配を消すのが上手いな。


「さて、この怒りをどう沈めさせてもらおうかしら? 爽太くんに弄ばれたって、全校生徒に吹聴して回るというはどう?」


「それ、洒落になっていませんよ」


 虹塚先輩のファンは多いのだ。それらを全て敵に回したら、学校にいられなくなってしまう。


「私には見向きもしてくれないのに、アカリちゃんはいいのね。胸に顔をうずませてくれたからかしら。それなら、私も同じことをしてあげたら、相手にしてくれるの?」


「わあ〜! ちゃんと話しますから、ボリュームを落として!」


 だんだん周りの目が気になってきた。悪い噂が広がりだす五秒前のような空気を感じる。


「虹塚先輩は誤解しています。俺が好きなのは、アリスだけです。他は……、全部不幸なハプニングです!」


 今、人として、最低なことを口走った気がするが、深く考えないでおこう。


「開き直るにしても、ずいぶん言い切ったわね。でも、それだけアリスちゃんのことが好きということかしら」


「ええ……」


 恥ずかしいことを言わせないでほしいものだ。もしかして、間違えてキスしたことへの憂さ晴らしか?そうだとしたら、勘弁してほしいよ。


「でも、もう別れるのよね?」


「はい⁉︎」


 いきなり何を言いだすんだ?悪ふざけにしても、趣味が悪いぞ。これも憂さ晴らしか?


 だか、今の虹塚先輩。一瞬とはいえ……、すごく怖かった。


「だって、約束したものね?」


 困惑を隠せない俺に、死刑宣告のような一言が、振り下ろされた。虹塚先輩の笑顔に変化は見られなかったが、どこか勝ち誇ったような威圧感を放っていた。



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