第九十九話 メインディッシュは、グチャグチャのひき肉で
自室に監禁されてしまっている俺の元に、アリスがアキを従えて訪ねてきてくれた。しかも、先に訪ねてきてくれた方々とは違って、鎖で封鎖されている玄関ドアを破壊して、無理矢理入ってこようとしている。
こうして室内でミノムシの真似事を強制されている間にも、玄関からトンカチが振り下ろされる音が、軽快に聞こえてきていた。
さて。優香はどう出るかな。こいつなら、上等だと迎撃に移りかねない怖さがあるんだよな。
そんな注目の優香は、床に転がっていたトンカチを拾い上げると、丹念に見つめたり、時折振り下ろす練習をしたりしていた。イメージトレーニングをしているようにも見えるが、今からやって間に合うのだろうか。正直、優香に勝たれると困るので、俺にとっては望ましいことなのだが、不可解ではあった。
「うん、駄目。正面から迎え撃っても、私、負けちゃう!」
「……」
聞いている俺の方が焦ってしまうくらいに、あっさりと自分の不利を認めた。これまでの優香の留まるところを知らない行動を間近に見ていた身としては、キレてアリスたちに襲いかかるとばかりヒヤヒヤしていたので、驚く以上に穏便に済みそうでホッとした。
「素直にギブアップするのか?」
「? そんな訳がないじゃない」
ですよね。優香がただで匙を投げる訳がありませんもんね。今のは、あっさりと緊張を緩めてしまった俺が悪い。
「作戦を変更するの。爽太君、ちょっと窮屈な思いをしてもらうわよ」
何か企んでそうな笑みを浮かべて、優香は台所へと移動し、何かを引きずって戻ってきた。これは……、旅行者がよく利用している、人も入れるサイズのキャリーケース?
「まさかとは思うが、その中に俺を入れて、別の場所に移動するつもりか?」
「すごい! どうして分かったの!」
それしか思いつかなかったんだよな。半ば適当に行ってみたら、的中してしまったので、実は困っているのだ。アリス……、急いでくれ。
「もしもの時のために、持ってきておいたの。出来れば、役に立たないままで終わってほしかったけど、結局使うことになっちゃったわね」
「どこに逃げるつもりだよ……。まさかお前の家じゃないよな」
「家に招待したいのは山々だけど、家族がいるからね。爽太君のことを隠しきれないわ」
隠れたくもないね。ていうか、お前の家には門限はないのか? 家に帰っていないのに、親からの呼び出しが一切ないぞ。放任主義にも限度があるんじゃないのか?
「これから行こうとしているのは、親が所有している別荘よ。年に数回しか使わない場所だから、隠れるには絶好のポイントなの」
隠れるのに絶好ということは、万が一そこに連れ込まれたら、発覚は困難になるということか。
「それに……」
ほんの少し言いよどんだ後で、優香は話し出した。
「私も原因の一つだから、あまり偉そうなことは言えないけど、これだけ派手に室内を荒らしたら、どっちみち部屋を追い出されるから、同じよね。だから、これから行く別荘が、爽太くんの新しいおうちになるのかな?」
「う……」
言われたくない一言だった。
自分にも責任があることは、一応承知しているみたいだが、優香の態度を見るに、まだまた反省は足りない。
損害が室内のみだったら、大家にばれない内に修理すれば、どうにかなったが、さすがに玄関のドアノブが粉砕されたのは誤魔化しきれない。
依然、破壊活動を続けているアリスたちに、止めるように呼びかけてみるか? 窓ガラスが未施錠だから、そこから入って来いと……。話している途中で、絶対に優香から妨害されるだろうけど、まだこの部屋で住み続けたい俺としては、軽~く注意を促したいのよね。
「さあ、雑談も済んだところで、トランクの中に入りましょうか。ちょっとの辛抱だから、暴れないでね❤」
わああぁぁぁ! トランクに詰められる! もうどこからでも良いから、乱入してきてくれ~!
一応の抵抗はしてみるものの、脇腹を思い切り蹴りつけられると、悶絶して動きが止まってしまう。そこを慣れた手つきでトランクに入れられそうになる。このスムーズな動き、ひょっとして、優香がこういうことをするのは初めてじゃないのか?
「……突入してくるのに、もう少しかかりそうだけど、やっとのことで部屋に入ってきた時には、ここはもぬけの殻。全部無駄な努力で終わっちゃうのよね」
追い詰められて逃走を図っている人間とは思えない、落ち着き払った態度で、アリスたちがいるであろう方向を向いて、優香は人を小馬鹿にした笑みを浮かべた。
アリスたちが強行突破を始めた時は、救出も秒読みかと思ったが、結局は失敗に終わってしまうのか……?
無念な想いで俯きそうになっていると、ベッド下から何かが放られてきた。虹塚先輩が俺に向けて放って来たのだろう。玄関ドアの方向を向いている優香は気付いていないみたいだが、俺にとって、かなり嬉しいアイテムだった。
放ってこられたのは、俺を拘束している鎖の鍵だった。
驚いて虹塚先輩を凝視すると、ガッツポーズと共に、空になったビニール袋を見せてきた。その袋にはセロハンテープが四隅に貼られていたことから考えて、ベッドの下に張り付けられていたと見られる。見つけることが出来ても、鍵を入手することが出来ないように焦らすつもりだった訳か。あまり趣味の良い隠し方じゃないね。
しかし、咄嗟に虹塚先輩を隠したベッド下に、鍵が隠されていたなんて、たいした偶然じゃないか。
鍵も手に入ったことだし、すぐさま脱出……しようとするほど、俺もアホではない。鍵を開けたからといっても、すぐに自由になる訳ではないのだ。自分の体を縛っている鎖を外して立ち上がるのに、どうしても多少のタイムラグは必要になるのだ。その間に、逆上して襲いかかって来られたら、ひとたまりもない。
鍵を使うのは、体の自由が効くようになるまで、確実に優香が目を離してくれる瞬間だ。
「よく考えてみれば、彼女と、その妹の頑張りに期待するのって、男としてどうよって話だよな」
本来は、俺が二人を守ってやる側なのだ。それなのに、全力で助けを頼むなんて、どうかしていた。鍵を手に入れた以上、自分でどうにかしなくては。
この鍵を使って、悠々と鎖を解くのに適した場所……。
目に入ってきたのは、俺が入れられようとしているトランクだ。あの中なら、優香の目を気にせずに、拘束を解くことが可能だ。仮にトランクの中で、ゴソゴソと動いているのがばれたところで、気にするとも思えない。
さっきまでは、あんなに詰め込まれるのを嫌がっていたトランクの中。だが、事情が変わった。むしろ、さっさと入れられたいくらいだぜ。
もちろん、急に素直になったら、怪しまれるので、それなりの抵抗はしよう。でも、最後には、抵抗虚しくトランクにわざと入れられる。中で拘束を解いて、別荘とやらで、トランクが開けられた時に、勝負を決める。うん、これがベスト。
「なかなか素直に収まってくれないんだね。それなら仕方がない。爽太君、悪いんだけど、少しの間、また眠ってくれるかな?」
「へ!?」
にっこりとほほ笑む優香の手には、フライパンが握られていた。何のために持っているのかは、敢えて聞くまでもなかった。
時間がないからと、戸惑っている俺に向かって、何の躊躇もなく振り下ろしてきやがった。部屋から出ようとする俺を昏倒させて監禁した時もそうだが、どうしてこう思い切り振りかぶれるのだろうか。確認なんだが、優香は俺のことが好きなんだよな。好きな相手を、そう簡単に殴れるものなのか? 殴れるんだろうな、優香は。
少なくとも俺は無理だね。止むに止まれぬ状況に追い込まれたから、仕方なくアリスを殴る? あり得ないね!
だが、優香は俺を殴っている。こんな愛の形があるのかよ!
「動くと危ないから、じっとしていて!」
「無理っ! 大人しく強打されるために待つとか考えられないから!」
ミノムシみたいな体勢で、必死になって右往左往する俺。そこに容赦なく叩きつけられるフライパン。寸でのところで躱して、ギリギリセーフ……といきたかったが、そこまで俺の運動神経は良くなかった。
頭への直撃こそ逃れることが出来たものの、肩や胸には当たってしまい、その度に女々しい悲鳴が漏れそうになってしまう。もうすぐここに乱入してくるだろうアリスたちのことを考えて、必死に耐える。
ただでさえ俺は非常に情けない姿を強いられているのだ。これで鳴き声でも上げようものなら、アリスに合わせる顔がなくなってしまう。
いや、警戒すべきはアリスより、アキだ。玄関から部屋になだれ込んだ際に、俺がこの体勢で泣き崩れていようものなら、間違いなく救出作業を中断して、携帯電話を取り出すだろう。その後の行動は……、考えただけでも、腸が煮えくり返ってくる。
だから、意地でも悲鳴は上げない。我慢する。我慢して殴られ続けて、頃合いになったら、ぐったりする。そうしたら、優香も、攻撃の手を緩めて、俺をトランクに押し込めるだろう。
脱出劇はそこからスタートだ。……などと考えていたら、優香の後ろに人影が……。
そいつは勢いよく、優香の後頭部にハンマーを叩きつけた!
「虹塚先輩‼︎」
俺のピンチを助けてくれたのは、ベッド下から這い出てきていた虹塚先輩だった。慣れないことをして、全身を震わせていたが、俺に向かって気丈に微笑んでくれた。