05 魔法
一般に夏と言えば海であるが、俺にとっては海より山の方が好ましい。
祖父母の家が海より山に近かったからだろう。
海に近い山陽町に住んでいればまた好みも変わっていたのかもしれない。
山が好き、とはいえ、俺はあまり体力のある人間ではない。
持病があり、激しい運動を止められていた。
この世界に来てからは症状が全く出なくなったが、生前はまともにスポーツをした経験が無かっ
た。
山が好きだが体力が無い。となれば、山歩きよりも川遊びが主流になるのは自然な事だろう。
泳ぐ事は出来ないが、川では体力を使わない遊びも出来る。
滝壺近くには日陰も多く、何もせずにただ滝の音を聞いて数時間を過ごす事も珍しい事ではなか
った。
滝の名を、隠れ滝という。神隠しの伝承があり、この名になったと聞いた覚えがある。
それを聞いて恐れるよりも、むしろ神隠しを望んでよく通うようになった。
今でこそ親不孝な事を考えたものだと思いもするが、当時の俺にとっては神隠しに会う事こそが
家族への貢献であるように思えたのだ。
持病があり体が弱く、手間のかかる子供だった。
家族からの愛は常に感じる事が出来たが、だからこそ身の置き場が無かった。
誰も口には出さなかったが、皆俺の将来を憂えていた。
どんな仕事をするにも、体力が要る。体が悪いと、何をするにも足かせになる。
幼いながらに、大病を経験した人間は出世コースから外されるという話も知っていた。
大人になっても大成できない。
大人になるまでにかかる費用は、手間は、そこいらの子供の比ではない。
俺は、居なくなった方が良いのではないか。そう思っていた。
未来に希望など、持てたものではなかった。
実際の所は、それほど大層な病気でもなかった。
成長とともに多少は体力が付き、それに伴い風邪や体調不良も減り、まともに働ける程度にはな
った。
持病とは一生付き合わねばならなかったが、激しい運動さえせねば大して害のあるものでもない
。子供であるから事を大きく考えすぎていたのだ。
病気で働けないと思っていた頃は働いて家族に恩を返したいなどと殊勝な事を考えていたが、い
ざ普通に働けるとわかると働きたくないと思うようになった。
人間そんなものである。今では立派な怠け者だ。
激しい運動を避け、省エネを意識した生活を続けていた為か、本来の性格か。
面倒事を嫌い、手間を嫌い、少しでも労力を削ぐ方向で物を考える人間に育った。
魔法に対しても、自然とそういうスタンスになる。
最初に手を付けるなら自動化・効率化に利用できそうな魔法にしたい。
省ける手間は省いてしまうに限る。
山陽町から帰った翌日、俺は子供の頃に入り浸っていた隠れ滝を訪れていた。
座布団と背もたれ用のクッション、魔法学入門書二冊と筆記具を持参している。
座るのにちょうど良い岩があるのだが、いくら形が良いと言っても結局の所石なのだ。
座面や背中に柔らかい物を当てなければ長時間座れたものではない。
滝を訪れる際は忘れずに持って行くよう心掛けている。
この世界に来てからここに来るのはこれで二度目だ。
俺らしくもなく毎日あちこちを調べ回っていて、ここもざっと見て回るだけで済ませてしまって
いた。
ある程度情報を集めて現状を認識しないことには落ち着かなかったのだから、まあ仕方がない。
前回既に気づいていた事ではあるが、コンクリートで固められていた歩道も、落雷で焼亡したは
ずの大木も元に戻っている。
ネットで写真を探しても見つからず、もう二度と在りし日の姿を拝む事はできないのだと諦めて
いただけに、これは嬉しかった。本当に、記憶通りだ。
川のそばは気温も低く、風が心地よい。
夏場ならこの滝の辺りはいつ来ても子供が数人は遊んでいるものなのだが、この世界では誰も居
ない。
ここによく通っていた頃は子供連中に数人の顔見知りが居た。
自身が子供の頃から子供が嫌いな俺といえど顔見知りともなると話は別で、彼らの騒がしさは嫌
いではなかった。
煩わしく感じた事もないではないが、もう聞けないとなれば少し寂しいものがある。
いつになく静かな川べりを歩き、滝壺のそばの木陰にある岩場に向かう。
いつも座っていた場所にはチリ一つない。
ここに通い始めた頃は落ち葉や苔を自分で片づけていたが、子供たちと話すようになってからは
彼らが代わりに片づけをしてくれていた事を、ふと思い出した。
あの一部分だけが片付いている不自然さ。それが懐かしい。ほんの数年前までは見慣れた光景だ
ったのだ。
今チリ一つ無いのは、そのように世界の管理者に設定されているからだろう。
わかっていても、そこに彼らの影を重ねてしまう。
座布団とクッションを設置して腰掛け、本を開く。魔法学入門、か。
目次を見る。ちゃんと日本語で書かれているようだ。が、魂殻だの魂核ゲートだの空白帯だのと
専門用語らしきものが目次に並んでいる。
やはり、最初から順に見ていく他なさそうだ。とりあえずざっと目を通すくらいはしておかない
と、後々困るだろうな。
ページをめくる。
第一章、魔法糸。
魔法糸とは魔力によって作られた型である。
魔法糸という型に通した魔力は型に合わせて性質を変え、目的の物に干渉する力に変わる。
目的のものとはその多くが物質であるが、魔法糸によっては魂や情報に直接働きかけるものもあ
る。
魔法糸単品で完結する魔法もいくつか存在するが、基本的には魔法は複数の魔法糸を組み合わせ
て作られる。
……要点はこんなところだろう。ノートに要点をまとめる。
こういうものは、書いた方が記憶の定着が良い。
面倒な事は一度で済ますに限る。急がば周れ、だ。
目次を見るに、次のページからは魔法糸の具体例が三百ページ近く続いているようだ。
これは便利だな、暗記の手間が随分省ける。
個別の魔法糸を無理に暗記せず、魔法糸を記号化して組成式や構造式の形でメモを残せばいい。
しかし魔法糸は立体構造をしていて微妙な色合いの違いや光度の違いで効果が変わるなかなか厄
介な代物だったはず。
図でそれを完全再現できているわけもなし、こういう形で1500カンデラで一秒に二回の頻度で点
滅する瓶覗き色の魔法糸、などと書かれているのかもしれない。
そうなると、それを読んで魔法糸を作れるかどうか、俺の想像力では微妙な所だ。
ページをめくる。目の前に魔法糸が飛び出した。
「おっふぅ!」
魔法学入門を取り落す。俺は不測の事態に弱いのだからこういうのは本当にやめてほしい。
本を拾い上げて傷をチェックするが、掠れも折れも装丁のへこみもない。
材質が特殊なのだろう。まあ、予想して然るべき事ではあった。
これを不測の事態などというのは俺の甘えだろう。
飛び出した魔法糸はどうも立体映像的な何からしい。ページを閉じると消える。
これなら魔法糸をど忘れしても安心だ。
この出来の立体映像を見ながらなら魔法糸作りに失敗する事はあるまい。
映像を出力しているページも白紙ではなく、びっしりとその魔法糸の性質や注意点、具体的な使
用例などが書かれている。
これはありがたい。魔法糸の実物を見ればそのおおよその効果がわかる体になっているものの、
立体映像ではそうもいかないようなのだ。
実際に魔法糸を作ってからでないと詳しい効果がわからないのであれば随分不便になってしまう
。細やかな気配りが嬉しい。
魔法糸のページをざっと読んで先に進む。
正直、気になった魔法糸をいくつか組み合わせて実際に魔法を作ってみたいという気持ちはある
。が、俺の性格からいって、それをやってしまうと実践に夢中になって基礎がおろそかになる。
結果として行き詰まり、基礎から学び直しになるだろう。
車輪の再発明ばかりに時間を空費してしまうのが目に見えている。
とりあえずキリのいいところまで読んで、それから少し息抜きに試すぐらいならいいだろう。
第二章、魂。
魂には肉体の情報を含むヒトの全情報が格納されている。
情報の保管庫としての役割が主であり、基本的に魂は肉体に干渉しない。
ひたすらデータの蓄積を行うばかりである。
魂は魂核と魂殻より成る。
魂殻は魂核によって出力されている情報であり、魂核の影に過ぎない。
ただし、魂殻の方が魔法で利用される頻度が高く、例えば回復魔法などでは魂殻が利用される。
圧縮され格納されたデータよりも展開されているデータを利用した方が参照する際に魔法糸を省
略できるからである。
魂核に干渉する魔法は主に魂殻のデータを書き換える際に利用される。
また、通常は魂核よりも魂殻が先に形成される。
これは魂殻が魂核の要となるゲートを引き寄せる性質がある為である。
魂核が形成された後は、基本的には魂殻が魂核に影響を与える事は無い。
魂核はゲートとその外周部で構成されている。
魂核の機能の殆どは外周部が担っており、ゲートは主に外周部が情報を引き出す為に利用する。
人の魂核のゲートの先は原則としてヒトレベルの知性体が存在する異世界に繋がっている。
ゲートは通常閉じた形で世界に遍在しており、魂殻情報に惹かれて現れる。
魂殻情報に適合する魂核がどこからか引き寄せられて開き、ゲートからの情報と元となった魂殻
をもとにゲート外周部を形成する。
こうして魂核が誕生する。
なお、ゲートから情報を引き出すのは魂殻に欠損がある場合に限られ、既に魂殻が完成している
場合は魂殻情報がそのままゲート外周部を形成する。
通常胎児の魂殻には欠損があるため、魂殻情報のみでゲート外周部が作られるのは稀である。
具体的な魔法での利用法。
魂殻情報内の肉体情報を読み取り、それを肉体情報形式に変換して実際の肉体に適用する。
これが初級回復魔法である。
魂に記録されている肉体情報は肉体の変化が即座に反映されるわけではなく、およそ一時間程の
情報の遅延がある。
その魂と肉体のデータの差異を利用してロールバックを行う。
魂への肉体情報伝達の遅延具合は部位によって異なり、二時間近く魂情報が更新されない部位も
あれば数秒で更新されてしまう部位もある。
負傷箇所が良ければ負傷から一時間経っていても跡形も無く完治するが、負傷箇所によっては負
傷直後に魂情報が更新され治療不能になる事もある。
欠損部位は指定範囲の無生物を分解して材料を調達する。
魂の影響下にある物質は分解が困難なためである。
困難だというだけで不可能では無いが、事故防止の為にも生物を分解対象に加えるのは推奨され
ない。
具体的な利用法その二。
魂核に格納されているデータを書き換え、回復魔法で魂の情報を体に書き込み体を作り替える。
変身魔法や強化魔法がこれにあたる。
人体を熟知していなければ大惨事になるので道具の補助がない限り使用しないほうが良い。
魂を書き換える事で人格や記憶も影響を受ける。
魂が肉体の情報を読むように、肉体も魂の情報を利用しているからだ。
心臓の近傍に魔力生成器官という臓器があり、そこで魔力が作られる。
魔力を生産する事で臓器が疲労し生産量が減り、やがて魔法が使えなくなる。
これを指して魔力が枯渇したという。
魔力生成器官は回復魔法で回復が可能だが、魂情報の更新頻度が五秒に一度程度と異様に高い。
ただ回復魔法を使うだけではいずれ枯渇する。
これを解決するために、魂情報の固定化と呼ばれる技術が開発されたらしい。
これを用いて魔力生成器官に疲労が無い状態で魔力生成器官部分の魂情報を固定化し、必要に応
じて回復魔法を使用する。これで魔力の使用制限が撤廃される。
いやー、きつい。
図鑑を眺める気分で読めた一章とは違い、文字がびっしり書かれていて読むのがつらい。
充分に理解して要点をまとめられたのはこのくらいまでだ。頭が疲れてきた。
一冊目は半分以上が魔法糸の紹介だった事もあって、二章までで終わりらしい。
が、二章が長い。ページ数はそれほどでもないが、魂とゲートについてみっちりと書かれていて
読むのが厳しい。
本当に入門かこれ。仮説段階の理論とか数式とかいっぱい載ってるぞ。
空白帯だの魔力の源だの世界の素だの専門用語も増えてきた。
暗くなってきたし今日はこの辺にしておこう。
自動化・効率化に手を付けるどころではなかったが、収穫はあった。
魔法に関しても、この世界への疑問に関しても、だ。
魔力生成器官。
心臓の近傍にある臓器だそうだ。
生前の記憶に、そんなものはない。今の体は生前の体とは作りが違うと見て良いだろう。
仮説段階の理論。
魔法は俺に与えられたオモチャではなく、まだ研究段階の技術。
研究している誰かが、どこかに居る。
この世界は、俺以外が存在しない世界ではない。
通常の移動方法では人間の居る場所には行けないかもしれないが、少なくともどこかに俺とは違
う主体を持った誰かが居る。
なら、ここは俺の内部世界ではあるまい。
となれば、俺は何者かにこの世界に招かれ観察されている、と考えられる。
確定ではないが、可能性は高くなった。
「何を思って俺を呼んだのかねぇ」
答が返ってこないと知りながら独り言を呟き、立ち上がる。
荷物をまとめて祖父母の家に帰る事にした。まだ夕方六時前後だが、夕飯を作らねばならない。
冷蔵庫に食材は入っていても惣菜は入っておらず、カップ麺もない。自炊するしかないのだ。
今日は疲れているし黄身と醤油の卵かけごはんと、白身だけの目玉焼きでいいだろう。
野菜炒めは飽きたから今日はいいや。
夕日の中を一人歩く。あの頃も、いつもこのぐらいの時間に帰っていたっけか。
誰が何の目的で俺をここに放り込んだのかは知らないが、悪い気はしない。
こういう時間をもう一度過ごせるとは思っていなかった。
一部とはいえ、夢が叶った。
現代社会では、いや、時代を問わず現実世界では、日々を穏やかに過ごすのは難しい。
毎日好きな事をして生きて、それでいて飢えとも争いとも無縁。将来の心配も無し。
殆どの人間はそんな人生を送れない。
一時的なものかも知れないが、俺は今そんな生活が出来ている。そこそこ、幸せだ。