11 前世
サニーが犬になって一週間が経った。事前にたてた予定に従うなら、今日が森本機関と連絡を取る予定日当日にあたる。気が重い。明日に延ばすわけにはいかないか。
「和仁、顔色が……」
「や、大丈夫大丈夫、問題ないない」
いかんいかん、気を強くもたねば。サニーを不安にさせるわけには……不安とかあるのかな?いやまあ、心配をかけるわけにはいかない。不安やら心配やらの心の動きがあるのかはよくわからないが、まあとにかく情けない姿を晒すわけにはいかない。
パソコンの前に座る。ボタンを押すと待ち時間0で起動した。起動が速すぎて心の準備をする時間もなかったが、かえってそのほうが良いのかもしれない。時間があれば迷いが生まれる。勢いに任せて行動せねば動けなくなる。このままの勢いで森本機関窓口に突撃してしまおう。
森本機関窓口のページを開き、受話器マークのアイコンをクリックする。インターネット通話用のウィンドウが開き、白人男性の姿が映し出された。若い。十代後半……いや、前半だろうか。
「はい、こちら森本機関小世界担当です」
「あ、はじめまして私志田和仁と申す者ですが」
「はい、存じ上げております。はじめまして志田様、私はこの小世界の維持管理を任されております森本新一郎と申します。どうぞよろしくお願いします」
「あ、はい、こちらこそよろしくお願いします」
おお、まともそうだ。少なくとも威圧的な態度ではない。相手は圧倒的な上位者であるというのに予想以上に丁寧な対応だ。あるいは上位者故の余裕によるものか。いや、小世界担当という肩書きからして、まず上司が居るとみて良いだろう。彼個人の対応から知れるのは彼個人に偉ぶる気がないという事だけだ。気が無いのか、立場的にできないのかはわからないが。とにかく、森本機関自体のスタンスを判断できる段階ではない。
しかし日本人名の白人か。まあ生前の日本でも居るには居たが。
彼は遠い未来の日本人か何かだろうか。それにしては新一郎などという今風の名前だ。大きく時代が違えば名前の傾向も変わるだろうし、ちょっとこれだけじゃ何とも判断がつかないな。
「本日はどのようなご用件でしょうか。何かご不便など御座いましたら直ぐにでも対処いたしますが」
「ああ、いえ、不便とかそういうわけでは」
「そうですか、それは良かった。充分に意を凝らしたつもりだったのですが至らぬ所もあり、お買い物の際などにご不便をおかけ致しました事、心よりお詫び申し上げます。申し訳御座いません」
「ああ、いえ、お気になさらず。こちらこそつまらない事に拘ってお手数をおかけして申し訳なく」
「いえいえ、私がもう少し気を配っていれば」
「いやいや、充分良くして頂いて」
「いえいえ、考えが至らずお恥ずかしい限りで」
「いやいや、お気になさらずとも」
うーん、緊張をほぐす為の戦術だろうか。毒気を抜くというか。ちょっと空気が弛緩してきた。警戒心が落ちてきているのが自分でわかる。いかんな、気を引き締めねば。
「用件を申し上げても宜しいか」
「はい、伺いましょう」
「私はこの世界に何の説明もなく放り込まれました。まずはその意図を伺いたい」
「意図、ですか。少々長いお話になりますが」
「ええ、大丈夫です」
「では許可を取りますのでしばらくお待ちください」
「はい」
許可が必要……まあ、そうだろうな。新一郎氏個人の意思でやった事ではあるまい。首謀者というか発起人というか立案者というか、何かそういう人物が別にいるのだろう。なんにせよ、この判断は彼の権限を超えているようだ。小世界の維持管理を任される彼でも判断が許されない。重要な情報、影響の大きい情報であると考えられる。
「お待たせしました。いま許可が下りました」
「はい」
「まずは、説明が遅れました事をお詫び申し上げます。少々事情が込み入っておりまして、突然異世界に連れて来られて気が動転しておられた志田様に長々と説明申し上げてもおそらく受け入れて頂けないだろう、との上の判断でして」
「なるほど」
まあ、確かに多少動揺していた。冷静になるには多少放置された方がよかったのかもしれない。放置された事で混乱はしたが、現状把握を自分の目と足で行う事で異常な状況を段階的に受け入れられるようになっていった。段階的に、というのが重要だ。一気に情報を渡されてもはいそうですかと受け入れられるものではない。最初に祖父母の家という拠点を得られたのも大きい。思い出の詰まった家を拠点として行動するなら精神状態の悪化も抑える事ができる。
ただ受け身で情報を与えられるのでは無く、自分で情報を収集する。それによって精神の安定を得る事が出来た。誰にでも通用するやり方では無いだろうが、彼らは俺の情報を把握している。成算有りと判断したのだろう。
「志田様はこの世界についてどの程度ご存じで?」
「私の生活を覗いていたならそれも把握しておられると思いますが」
「管理の為とはいえプライバシーを侵害しておりました事、お詫び申し上げます。ただ、行動や音声は取得しておりましたものの、内面に関しましては触れておりませんので」
「声に出していない内心についてはわからないから、どの程度理解しているかわからないと」
「はい」
ふうむ。てっきり心も読まれていると思っていたのだが。では、「おい、お前、お前の事だよこの心の声を聴いてる奴」とか精神不安定な時期にやってたのは聞こえてなかったわけか。ちょっと安心した。
「まず、私は過去に一度は死んだが、今の私は生きている。ここはあの世ではない。この認識に誤りは?」
「ありません」
「では初日に考えた仮説は誤りですね。死後の世界は死者の内面を反映して形を変える仕組みになっていると考えた」
「なるほど」
「この世界には魔法がある。これは私の為に誂えられたおもちゃではなく、あなた方の世界で研究中の技術だ。この認識に誤りは?」
「ありません。基礎研究は随分進みましたが技術の応用が進んでいません」
「なるほど。ではその応用の為に、自分達とは違う環境で育った価値観や発想の原点が異なる人間を欲した、と」
「いえ、違います」
「え、違うの?」
間違ったか。え、じゃあ魔法研究頑張らないととか思ってたのはどうなるんだろう。俺は何を求められてたんだろうか。
「じゃあ、私に求められていたのは魔法研究だというのも」
「はい、違います」
「違ったかー」
ちょっと恥ずかしい。
「まあ、いいや。とりあえず、私はあなた方によって作られた。既に以前の肉体は失われている。これはどうです」
「はい、間違いありません」
「記憶は実在の人物のものを流用している。それに多少手を加えている」
「破損していて復元不能であった部分には手を加えていますが、記憶は殆どそのままです。生前のあなたも志田和仁で、外見もほぼ変わりないはずです」
記憶は作られたものではなかったか。かつて存在した志田和仁と俺を同じ存在と見做して良いかはわからないが、少なくともこの記憶の持ち主、こういう人生を歩んだ人間が実際に存在していたのは確からしい。新一郎氏の言葉を信じるなら、ではあるが。
記憶を継承した俺と志田和仁との関係についてはまたじっくりと時間をかけて考える必要がある。志田和仁を俺と言って良いのかどうか。「俺」はどこに宿っているのか。俺は彼の延長線上の存在で同一視しても問題はあるまいと今の所考えているが、急いで答えを出すのはよくないだろう。
「あなた方は、私が生前過ごしていた世界の情報を得る事ができない。志田和仁の記憶している範囲の事だけを知る事ができる」
「はい。志田様がおられた世界は未だ発見できておりません」
やはり。本やネットの状態から推測できた事だ。で、あるなら……
「志田和仁の情報は、魂核のゲートより取得した」
ゲートを通じて異世界に情報が流れた。彼らはそれを取得し、その情報を元に俺を作り上げた、となる。
俺の生きた世界の情報を得る方法が俺の記憶以外に無い。つまりは、彼らは俺の生前の世界に干渉する事はおろか情報を読み取る事もできていない。ここまでは言質を取ることが出来た。
俺の生前の世界の情報を収集出来る状態でないにも関わらず、彼らは俺個人の情報を持っている。であれば、俺個人の情報のみが自ら彼らの世界に流れ込んだと考えるのが妥当。世界を超えて情報が流れるといえば、魂核ゲートが関わっているに違いない。
「半分当たり、半分外れです。情報はゲートでは無く魂核に刻まれていたものを取得致しました」
「…………魂核が本人以外の記憶を保存していた、と」
「はい、前世の記憶です。通常はただ保存されているだけで利用される事はありません。特殊な例を除いて魂殻にも出力されませんので変身魔法エディタでは確認できません」
「ははあ、なるほど」
俺、転生済みなのか。ちょっと驚いた。
いや、まあ普通に考えてそうだわな。ゲートから取得したなら開いてるゲートを通じて普通に世界の情報も取得出来たはずだし。世界の情報が取得出来ないなら、当然その世界に繋がるゲートは閉じている。
しかしゲートが閉じているとなると……
「転生は、一度では無い?」
「はい。何度転生しているかわかりません」
新生児は母体によって書き込まれた魂殻とゲートから送られた情報によって魂核を形成する。前世の記憶はその際にゲートを通じてやってくる。前世の記憶が通ってきたそのゲートは、前世の記憶の出所である世界と繋がったまま。そのまま開きっぱなしだ。前世の記憶を取得出来て、尚且つ前世の世界の情報が取得出来ない。これはありえない事のはずだ。
ゲートの先の世界と記憶にある世界が異なる以上、その記憶は一つ前の人生の記憶ではありえない。間にもう一回以上は転生を挟んでいるはずである。
「志田和仁以外の記憶は?」
「残っていません。通常は転生の度に前世の記憶が上書きされるのですが、志田様の記憶は数回の転生を経てもそのまま残り続けました。魂にちょっとした異常がありまして」
ふむふむ。……うん、複数回の転生からは特に新しい推測は浮かばないな。別のポイントをつついてみるか。何かあったっけな。
俺の生前の名も志田和仁で、記憶には手が加えられていない。なら、志田和仁という名前は生前の世界の日本人が聞いても日本人名に聞こえると考えていいだろう。であるなら、森本新一郎という名前もまた日本人名であると思われる。
彼らは日本人名を名乗っている。記憶に手を加えられていない以上、新一郎氏の使う言葉は日本語で、新一郎氏の名前は日本人風の名前とみて間違いはあるまい。
彼らは、どこから日本語の知識を得たのか。日本人名を名乗るほど日本語が浸透しているのは何故なのか。
「あなたの新一郎という名前は、私に合わせて日本語で作られた。あなたの御同輩は日本人名ではない」
「いえ、違います。我々の世界には日本語とは別の言語が存在しますが、我々が使うのは基本的には日本語です。名前も、私の国では一人を除いて全員日本人風の名前です」
では、やはり
「私の転生体は、あなた方にとって重要な人物である」
俺の世界の情報及び日本語は俺の記憶を通じてでしか手に入れる事が出来ない。つまりは俺の転生体を通じて手に入れた日本語を、自分たちの名を日本風に改称するほど重用していると考えられる。森本機関の日本語普及率は高そうだ。どういった種類の関係かはさておいて、俺の転生体の重要度は高いものと推察される。
「はい。私のオリジナルです」
「……オリジナル?」
「私は志田様の転生体の複製体です。尤も、魂も肉体も手を入れてますから私とオリジナルでは性格などが異なりますが」
複製体、ときたか。