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01 死後

 何があったのか、はっきりとは覚えていない。

 ただ、じわじわと時間をかけて思考力が削られ、眠りに落ちるように意識が消えたように記憶している。

 酷く痛かったようにも思えるし、感覚がなかったようにも思える。寒く、心細く感じたのは覚えている。

 恐らく俺はなんらかの外傷を負い、失血死したのだろう。

 なぜそうなったのかは、解らない。



 2本の足でしっかりと立った状態で、唐突に覚醒した。

 視界の端に、風に稲穂が揺られているのが見えた。

 青みが強い。収穫はまだまだ先だろう。


「死後の世界……か?」


 なんとはなしに、そんな言葉が口から漏れた。

 死後になんらかの形で続きが用意されている。

 ありえない話ではないとも思ってはいたが信じてはいなかった。

 人格なぞ肉体の影に過ぎず、肉体によって絶えず再生され続けなければ存在できないものだと考えていた。

 なぜそんな言葉が出たのか。

 思い出せる範囲の最後の記憶が、逃れられない死を予感させるものだったからなのだろう。

 あれで助かったとは思えない。


 思考力は完調だ。夢だとは考えづらい。

 明晰夢なら何度か見た事はあるが、それとは感覚が違う。

 頭が冴えている。

 明晰夢を見る度に試している事がある。

 三桁の掛け算だ。今まで成功した試しがない。

 明晰夢の中では思考が曖昧になりがちで、複雑な思考をしようと集中を始めるといつも目が覚めてしまう。

 今回に限ってそれが無かった。

 計算は成功。世界が曖昧になる様子もなし。

 今まで出来なかった事が今突然に出来るようになったという事もあるまい。これが明晰夢という事は無いだろう。


 夢でないとするなら、ここは死後の世界であろうか。


「死後、といってもあの世なのか、この世なのか」


 一般に言われる死後の世界とは肉体を離れた魂が向かう場所である。

 しかしこの状況では、ここがあの世であると判断するには材料が足りない。

 今までの体と同じものであるかはわからないが、俺の体は健在だ。


 道端の石を拾い、手触りや重さを確かめる。

 予想より多少軽く感じたものの、生前の感覚とほぼ同じだ。

 五感は正常に働いているように思える。


 上方から鳶の鳴き声が聞こえる。

 青い青い、夏の空だ。

 生命力溢れる青い稲、洋瓦の二階建て、コンクリ製の橋に、自動販売機。

 まるで現実世界のようだ。

 死者の国というイメージと、かけ離れ過ぎている。


「……あるいは、再生された、か?」


 俺は死ぬには死んだがここは死者の国ではない。

 なおかつ、肉体で以て物質に干渉する事ができる。

 それらが矛盾なく成立する状況……たとえば俺個人を構成する情報をなんらかの形で読み取り、死亡直前の記憶を持たせた形で再生産した、というのはどうか。


「……いや、有り得んな」


 それほどの扱いを受ける大人物になった覚えはない。

 まして、俺個人を再生するだけに留まらず、我が心の故郷を幼少期の記憶そのままに復元するなど有り得ない話だ。


 最も感受性豊かな時期を過ごした我が心の故郷。

 記憶の中にあるそれが今俺の眼前にある。

 他の事ならいざ知らず、俺がこの町を見間違えるはずがない。

 失われてしまったはずの風景も記憶のままに蘇っている。

 なんの功績も無く死んだ一般人をこのように扱う者など居るものか。


「とりあえず、婆ちゃんの家に行くか」


 三年前に火事で焼け落ちたはずの商店の前を通って祖母の家に向かう。

 草と土と泥の酷く懐かしいにおいがした。





 家に着くまでの道中この世界について考えを巡らせていた。

 ただ考えも無くうろついても仕方がない。

 情報を集めるにしてもどういう部分に意識を向けるかで得られる情報の内容は変わる。

 先入観によって却って重要な情報を見落としてしまうおそれもあるが、おおよその見当をつけてから行動をするのが俺にとっての普段通りの行動パターンだ。

 こういう非常時は、なるべく普段通りに行動して精神状態を落ち着けた方が良い。


 わかっている事がいくつかある。


 俺の体はこの世界の物に触れられる。

 この世界の物は俺の体に触れられる。

 蹴躓いてとっさに前回り受け身を取った際、俺が地面に触れる事ができたのは勿論の事、俺の体にも砂がこびりついた。

 俺は砂粒を体に付けようと意識はしていなかった。

 考えなしに、咄嗟に前回り受け身をしただけである。

 この事から、俺の意思に関わらず俺とこの世界の物質は触れ合う事ができるものと推測できる。

 俺だけが幽体であるとは考え難い。

 俺が幽体であるのだとしたら、この世界そのものも幽体であろう。

 相互に干渉できるのだからおそらく種類が同じ存在だ。


 次に、この世界は俺の記憶にある俺の故郷そのままの姿だという事。

 故郷といってもここに生家があるわけではなく、ただ長期の休みになるとここにある祖父母の家によく遊びに来ていたというだけのものなのだが。

 それでも思い出深い場所だ。

 故郷と言って頭に浮かぶのは生家ではなくこちらの方だ。

 その故郷であるが、最後に訪れた際の記憶とこの世界の風景には大きな違いがある。

 潰れたはずの店が残っている。

 災害対策で建てられた建造物が無くなっている。

 舗装されたはずの道が土の道に戻っている。

 転落防止の柵が無くなっている。

 ……過去の姿に戻っているのだ。

 ここは、俺の生前の世界ではあるまい。非常によくできた作りものだ。


 最後。体が軽い。

 何かから解き放たれたかのようだ。体力と身体能力が妙に向上している。


 以上の情報から、一つの仮説を立てた。

 いや、仮説と呼んで良いものかどうか。願望と言った方が近いか。


 まずここは死後の世界だ。

 全くの一般人として生を終えた俺が誰かに再生された可能性は薄い。

 俺が最も愛した時期の故郷をわざわざ現実世界に用意するというのは更に考えづらい。

 で、あるなら死者の魂なり情報なりが自然と向かう場所、つまり死後の世界と呼ばれる場所であろうと推測される。

 死者の俺が物に触れられるという点も、これを補強する。


 次。ここは、俺の心、願望を元に作られた世界である。

 俺が死んだ時点の故郷ではなく、俺が最も愛した時期の故郷が再現されている事からの推測だ。

 俺の心がこの世界に影響を与えているというのはそう突飛な考えでは無いだろう。

 現実世界ではなく死者の世界であるなら、住人の心象風景が世界に直に反映されるという事も有り得るような気がする。

 体力と身体能力の向上もこれによるものだろう。

 体力がなければ好きな土地を一日見て回る事ができない。


 それらを元にこの死後の世界像を組み上げると、死後の世界は相部屋以外にも個室が存在し、そこでは住人の願望に合わせて部屋の作りが変容する、となる。

 罰せられたいと願う人は地獄のような世界に、救われたいと願う人は天国のような世界に。

 帰りたいと願う人は故郷のような世界に。

 そうなっている、と考えれば生前伝え聞いたあの世の話にも今の状況にも、一応の説明がつく。

 仏教もキリスト教も、神道すら熱心に信仰してはいなかった俺には、明確な死後の世界のイメージがなかった。

 その為一般的な死後の世界にならなかった。

 死後は無であるという考えに懐疑的であった為、死後意識も人格も保持する事ができた。


 なんというか、根拠が弱いな。

 もう少し情報を集めて組みなおす必要がある。

 今持っている情報ではこの程度が精一杯だ。




 祖母の家の前に着いた。入るべきか、否か。

 様々な神話伝承怪談話の類の内容が頭に浮かぶ。

 こういう異界に一人で放り込まれた人間は大抵が酷い目に合う。

 桃花源やマヨヒガのような話もあるが、いざ自分が当事者となると理不尽な物語ばかりが思い出される。

 もっともらしい教訓話の体で伝えられているが、相手が望む通りの反応を返す事が出来なければ即座にゲームオーバーというような、立場に差がありすぎる話が多い。

 相手の縄張りに入り込んだのだ。立場に差が出るのも自然な話である。

 俺は、今まさにそういう立場におかれている。


 この世界の主の機嫌をちょっと損ねただけで、消える事も出来ず永劫苦しみ続ける事になるかもしれない。

 そういう懸念がある。

 ……どうでも良い。今の俺とは無関係な話だ。

 苦しむのは未来の俺であって今の俺ではない。


「ただいまー」


 引き戸を開けて無遠慮に無警戒に中に入り込む。

 別の誰か、下手をすれば人では無い何かが居る可能性が頭をよぎったが、やめる気にはならなかった。

 ここは、俺の家だ。ずっと帰りたかった場所だ。危険なはずがない。

 理屈よりも感情が優先された。

 既に一度死に、終わった身である。

 これで酷い目にあうならそれでも良いと思えた。


「……」


 返事が、無い。祖母は出かけているのだろうか。

 あるいは、ここの祖母は耳が遠くなったあとの祖母なのだろうか。


 幼少期の記憶そのままとは言っても、なにしろ田舎であるからこの辺りは変化が少ない。

 六年前にコンビニもどきになった酒屋が健在であるから、おそらく六年以上前の状態であろう、という事以上は解らない。

 もっと言えば、過去の一時期の姿そのままという訳では無く別の時期のものを繋げて作っている可能性もある。


 先程否定した仮説。

 仮説とすら呼べない出来ではあったが、俺はそれを信じて祖母の家に来た。すがったと言って良い。

 なにしろ故郷の姿を、においを、空気を、再び体感してしまったのである。

 あの頃をもう一度、その願いが叶ったかのような状況に放りこまれたのだ。心が昂らないわけがない。

 自分にとって都合の良い未来を期待してしまうのも止む無しと言える。

 冷静であろうとして否定してはみたものの、期待しない訳がなかった。祖母の家で、幼い頃のあの夏の日々を、また過ごす事ができる。

 その可能性のある思いつきが頭に浮かんでしまったなら、それ以外の事など考えられなくなる。


 しかし、必ず有るものと信じた祖母からの返事はない。


 居間に駆け込む。居ない。

 裏庭に出る。居ない。

 二階に上がる。居ない。

 外に飛び出す。居ない。

 祖母どころか、外にも誰も居ない。

 蛙は居る、蟹も居る。しかし人が居ない。


 いやまて、このあたりはそもそも日中に人はあまり居ない。

 なにしろ田舎だ。ひとまず落ち着くべきだ。

 冷蔵庫を開ける。麦茶が入っていた。

 冷凍庫を開ける。筒状のビニールに詰まった氷菓子が入っていた。


 懐かしくて涙が出そうになった。祖母に、会いたい。

 顔も声ももうはっきりとは思い出せない。

 死を自覚して、生前のしがらみから解放されて、今眼前にあるのは幼き日々を過ごした我が故郷、祖父母の家。冷静であり続けるのは無理がある。

 涙をこらえるのに、相当苦労させられた。


 少し休んで、落ち着いたら人を探してみよう。

 ひとまずこの家を拠点として周囲を探索し、現状を確認しよう。

 そうこうしている内に祖母が帰ってくるかもしれない。

 もしかすると、ずっと前に亡くなった祖父にも会えるかもしれない。


 なんにせよ、時間は腐る程ある。

 俺は死んだのだから時間に追われる必要もない。

 まずは心を落ち着けるべきだ。他人が居ないのは吉報であるとも言える。

 他人に出会うまでは、少なくとも不審者として追われる事がない。

 態勢を整える余裕がある。


 まずは足元をかためて、ゆっくりと行こう。

 死んでいるなら食の心配もないだろう。

 時間が俺を追い詰めるという事は……まあ、あるかもしれんが考えても仕方がない。今は焦らずいこう。





 それから二週間経った。未だ、誰とも会えていない。

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