〝じゅっぼっこ〟ぬらりひょん
その日、オレは遅番だった。
残業していたのではなく、朝寝坊して遅刻してしまったゆえの時間調整のためだ。
「どうだ、今夜は一杯やらんかね」
退社前に鉄鼠部長に声をかけられた。ネズミ顔の部長はいつも妖怪あたりの良さそうな柔和な顔をしている。しかも気前がいい。
その時のオレは給料日とボーナス前だったので、少し懐が寂しかった。そのため、ちと、ご相伴にあずかろうかと考えホイホイついていってしまったのだ。
人間達の居酒屋に紛れて営業している、妖怪居酒屋《八犬士》で部長と二人で飲む。
「まぁ、ビールでもどうぞ、どうぞ」
ごちそうになる分、たんと接待せねば、
「ふむ、実は他の部署である企画が頓挫しておる。旨味は十分あるんだが、人数と予算が足りておらんでな。外注ではなく、新しい部署をつくろうと考えておるのだ」
仕事の話を漏らし始めた。別に興味もないし、適当に聞き流しつつ相づちを所々に討っておく。
「できれば経験者が望ましい」
こういうことに頭を悩ませたくないから出世はしたくないのだ。もちろん出世できる能力も持ちたくはない。日々、酒が飲めればそれでいい。
「やぁ、やっとるかね」
なんか後から入って来た知らない小汚いおっさんが気さくに声をかけてくる。
「これは、これは、お久しぶりです」
部長が立ち上がり、その相手に深々とお辞儀をした。オレもそれに合わせてお辞儀をする。
「やぁやぁ、堅苦しい挨拶は抜きにしようじゃあないか。どうかね、ワシも付き合ってもかまわんかね」
「それはもちろんですとも」
あの部長がまるで新人社員のように接している。よほどの大物に違いない。なんてラッキーなんだ、これは完全にタダ飯にありつけたぞ。
「まぁ、どうぞどうぞ」
二人に酌をしていると、居酒屋に他所の会社と思われるかなりの団体さんが到着した。
津波のように店内に押し寄せてくる。
九十九神達だ。九十九神とは、長年人々に親しまれ愛用されてきた道具達。それは年月を経て霊魂が宿り妖怪となった者達。彼らは道具の数だけ種類があり実に多様な姿形を持つ妖怪達だ。
彼らもおっさんの姿を見るや否や、平伏するように挨拶をする。おっさんはさぞ偉そうに。
「構わん、構わん。あぁ、君たちもどうかね、混ざってみては」
な、なんだと。この妖怪はどれだけ顔と懐が広いんだ。
部長の背広から着信音、彼は
「申し訳ありませんが、緊急の案件がありまして」
部長はおっさんにお辞儀をすると、あとはよろしくやってくれ給えとオレに労いをかけ去っていった。なぞのおっさんは九十九神達が取り囲んで祭り上げている。
オレもハメを外して彼らと酒を楽しんだ。彼らは実に親しみやすい性格でノリがいい。すぐに打ち解けた。
中でも化け草履とは特に話が合った。
彼は人間大の草履に手足が生えた造詣で、一つ目をした九十九神だ。彼の足下をこっそり見ると、わらじがわらじを履いている。コレが本当の二足のわらじを履くということだろうか。いや、彼は別にダブルブッキングとかしてはいないはずだ。ならなんで草履をはいているのか、やたらに気になる。
こちらの気も知らず、化け草履は悩みを打ち明ける。
「いやぁ、最近は仕事内容よりも出世を優先される時代ですから、一つのことをコツコツ積み重ねるよりもなんでもできる汎用性な人材が望まれてるのでしょうな」
前述したように彼らは九十九神と呼ばれる長年、誰かに使われたことで生命を得た妖怪達だ。そのため勤労に関しては非常に熱心だ。
「家にも会社にも居場所はない。仕事はやたらとキツクて薄給。生きる望みといえば安い酒くらいなもの」
「まぁまぁ。それだけあれば十分じゃあないですか」
「家に帰ると息子のスニーカーなんかは平然と自分をバカにしますし、妻のハイヒールには給料が少ない、出世はまだかと愚痴を叩かれる」
彼に同調のうなずきをしながらも、むしろ妻と子供が足になにを履いているかが気になってしまう。
それでも全体に酔いが周りはじめ、まるで宴会のように広がった飲み会は楽しく、あっという間に過ぎていった。
たらふく飲み食いしいい気分で寝転がっていたオレの耳に野太い声が入ってくる。
「お客さん、もう店じまいですよ」
飲み屋の店主に揺り起こされ、目を覚ました。みると空は白み、あの爺さんは煙のように消えていた。化け草履達の姿も見えない。
「ああ、オレが最後か。もう出社しないと」
背広を着て、会社に行く準備を整える。そんなオレの鼻先に店主は黒い伝票板をつきつけてきた。
「なにこれ?」
「何言ってるの。お会計、お願いしますよ」
「えっ!?」
ハ、ハメられた。突きつけられた領収書の額にオレは一気に青ざめた。