〝じゅぼっこ〟それは自分は働かない妖怪
薄暗い場所で待ち受けていたのは、九十九神達の亡骸、その奥に隠れるようにして根を張る木それを背にするやせ衰えた老人。
先の一撃で疲弊した老人の精は、追い詰められたネズミのように目をギラギラさせて、オレを睨みつける。
じゅぼっこと一心同体のそれは、顔面を冷や汗で埋め尽くしながら、
「まさか、貴様のような怠惰妖怪がこれほどの妖力を持つとはな。妖怪社会と人間社会は表裏一体という、今の人間達がどれだけ腐っているのか見誤っておったわ」
「よく言うぜ、自分は彼らを一方的に搾取しておいてよ」
「同族相哀れむとは、このことよな。だが、そのもの達相手では貴様も手が出せまい」
九十九神達の体に張った根、それがまるで糸のように動き、そして彼らを操り人形のように立たせた。
傀儡人形となった彼らがオレへと襲いかかる。それを捌きながら。
「よせっ、辞めろ。コイツのために働いてもアンタ達には何にもならないんだぞッ」
意志が残っているのか、あるいは自我が残っていても考える能力を無くしているのか、ただ〝じゅぼっこ〟の命令にだけ従うそれはロボットのようにも思えた。
彼らを盾としてこちらの妖力を削ろうとする〝じゅぼっこ〟の計略。
九十九神達を避け、なんとか本体の木を倒そうとするが壁となって阻み、押し寄せる彼らを傷つけることなくそれを行うなど、到底できそうになかった。
(同族相哀れむか、そいつは違うな)
胸中で独りごちたが、途中から声を上げて叫ぶ、訴えかけるように。
「オレは別に働かないから、何かに一生懸命になることも、身をすり減らすようなストレスも感じない。でもアンタらは違うんじゃあないのか」
後方から赤い樹液を高圧弾のように飛ばし、他のもの達ごとオレの体を打ち抜く。それに巻き込まれた電子レンジと掃除機が破片を飛び散らして宙に舞う。
「今のはアンタ等の仲間じゃあないのか、仲間を平然と切り捨てるアイツのいうことを聞いて、本当にそれで満足なのかよッ」
長年働いた物に宿った魂が彼らなら、彼らは自分の意志で行動できるはずだった。
その声に応えるように、彼らの動きがピタリと止まる。
相変わらず樹を守ろうとしてはいるが、自分の言葉に耳を傾けてくれたように。それらを代表するかのように、化け草履が樹を守るかのようにたちはだかっていた。
「……」
無言で立ち尽くすオレに木々の枝が鞭のように襲いかかってくる。
それは皮膚を切り裂き、いくたの裂傷をつけ血を流させてくる。枝が蛭のように傷口へと入り込み、オレの血管から内部を破壊しようとしてくる。
勝ち誇った哄笑が地下の閉鎖空間に響き渡るなか、ぽつりと、彼の声が聞こえてきた。
「無職妖怪さん、あなたは何のためにここまでするんですか。会社の利益のためですか、出世のためですか、立場のためですか」
オレの足下に転がっていた箱を拾いあげる。それは自分にとってはただのスニーカーだが、彼にとっては違うはずだ。
「オレはあなた方のように守るものは持たない。誇りも、家族も、仕事すらも。でも、それならせめて自分の意志だけは持ち続けたい。自分が信じた生き方を。だから、あなた方を助けると決めた」
化け草履はそれを受け取ると、昨日の夜みせたあのやすらいだ表情を浮かべた。
「仲間達のためならば、私も捨てましょう。自らの意志で」
〝じゅぼっこ〟の呪縛から離れるように、決意を秘めて道を開ける。
「そんな、馬鹿なッ、ワシなくして、そいつが生きていけるはずがないッ、オマエの意志はワシの意志のはずだ」
狼狽する老人にオレは言い放つ。
「彼らにもようやく定年の時がきたってわけだよ。退職金くらいは支払ってやるんだな」
虐げてきたものからの思わぬ造反に、根が怒りにその身をくねらせる。
「オノレ、オノレ、おのれ~、オマエ達、何をしている。そのバカな妖怪と裏切り者を八つ裂きにしろっ」
他のもの達も最初はとまどっていたが、やがて一人、また一人と自らの意志で樹から離れていく。そして、ついには樹を守るものは誰もいなくなった。
道ができていた。花も実もつけない、大地から養分だけを吸い取り枯らす大樹。それへと続く道が。
「オマエらはワシがいなくては生きていけん。ワシが存在するから生きていけるのだぞ」
「まだわからないのかッ。オマエのために彼らがいるんじゃあないッ。彼らのためにオマエがいてやるべきだったんだ。それを忘れたオマエはやはり妖怪以下の存在だ」
あるいは枝葉に一欠片の温情があれば、身を呈しても守っていたかもしれない。
残された最後の妖力を使い、右腕を発火させる。
火の玉やプラズマと呼ばれる青白い炎、幽火。狐火ほどの鬼火ではないが、オレにも使える。
それを宿し真っ直ぐに樹の幹、そこにひそむ老人へと走り向かう。
「ヒ、ヒィ、ヒィィィ、火ィィイィイイィィ、それをこちらに向ケルナァァァァ」
炎の拳となったそれを迎え打つべく、木々の枝が再び迫り来る。
右拳でそれをなぎ払う。
「バカじゃねえんだ。一度見た手をそうなんども喰らうかよっ」
枝を燃やし、木々に火をつけながらも前進を続ける。枝が壁に生えた剣山のように盾をつくっていたが構わず突き進む。
老人が驚愕の表情を浮かべ、何事かを叫んだが聞き取れなかった。
(どうせ、大したことじゃねえさ、オレもこいつも。他人を食いものにしてるのは同じだ)
そのまま幽火を老人の顔面へと叩き込む。
樹の精であるそれは瞬く間に炎へと包まれ、火だるまへとかわる。
それはすぐさまじゅぼっこに伝播し、老人がパチパチと枯れ木の燃える音で泣き叫ぶ。
「ああ、燃えていくワシがワシが育てた樹が、あれはワシの全て、ワシそのものだというのに」
赤い樹液を蒸発させ、樹が燃えていく。
じゅぼっこの老人が断末魔の声を挙げ、オレに呪いの言葉を投げかけた。
「オマエは――――――のはずだッ。なのになぜ――――――」
それを心に残しながら、オレは最後の言葉をかけた。
「燃え尽きて灰になれ、オマエにはそれが相応しい」
それを眺める九十九神達の心境を想像することはできない。自分が心血をそそいできたものが失われる感覚など、働いたことのないオレに察することなどできるはずがないのだ。
焼け跡にはただの黒いすすけた墨だけが残っていた。
それが自らに停まる者を搾取してきた宿り木の最期だった。
あるいはそれは最初は大地に根を張り、恵みをもたらし、他の生き物たちの宿り木であったのかもしれない。いつからかだろうそれが妖怪と化し、他者を搾取するだけの存在となったのは。おそらくそれは、その樹自身も覚えてはいないか。
九十九神達はボロボロの体でも集まり、
「無職妖怪さん、ありがとう。これで良かったんです。私達はかつて人間が持っていた〝もったいなさ〟と〝勤労への感謝〟から生まれた妖怪。それが現代で薄まってきたということは、もう私達が住むべき場所はないのかもしれません」
自分と彼らは対極に位置する妖怪だ。かつて彼らは妖怪でありながら、神の称号を人間から貰っていた。それが今や妖怪からもゴミとして消耗品にされている。
オレのような怠惰妖怪が生まれたこと自体、彼らの存在が否定されつつあるのかもしれない。
それでも、彼らはまだどこかで必要とされているはずだ。
「待ってください。あなた達はオレと違ってまだ働く気があるんでしょ。誰かの役に立ちたいんでしょう」
「ええ、ですがこんな私達ではもう、どこも……」
それを確認し、人事部長へと電話する。
挨拶と二、三の世間話をしてから、ある話題を切り出す。
「ちょいと小耳に挟んだんですが、新しい労働力が欲しいとか。例えばこういう案件と人材があった場合はどうなりますか」
例えば、ある会社が火災によって倒産し、社員が放り出された場合の事案。とその社員達の職歴。
「会社更生法や雇用支援を使えば、再雇用することは可能だ、もし書類を用意し鉄鼠君経由で送付してくれたなら。あとはこちらでなんとかしよう」
「そうですか。ありがとうございます」
失礼しますと、謝辞を述べ電話を切る。
さてと。一息入れる。オレにはまだ仕事でない仕事が残っていた。もしかして鉄鼠部長はこうなることを見越していたのか。だとしたら相変わらず食えない上司だ。
それから、会社はすこしドタバタしていた。
企画段階でとまっていたプロジェクトが大量の人材確保で、実行の目途がたったからだ。普段は暇している内の課もその手伝いで少々慌ただしくなっていた。
書類束を両腕に抱えた古椿さんが、手を動かさず窓際を眺めていたオレに目をつけた。
「あなた、この間の外回りでなんの成果も挙げられなかったんですって、まったく呆れちゃうわ」
会社自体が焼失したため、契約自体がお流れとなってしまったのだ。それでも結局人材は確保されたので問題はなかったが、オレの成果はなしとなった。
「ええ、まったく骨折り損のくたびれ儲けってヤツですよ」
「アンタがいつ骨を折って働いたのよ」
すかさず突っ込みを入れてくる。
「それにしても新しく入って来た妖怪達、随分と働き者達みたいね。真面目にこつこつよく働くわ。それに彼ら前の職場よりも待遇が大分上がったんですって」
「そりゃあ、よかったですね」
呆けた顔でぼぉ~と外を眺めていたオレは、それが彼女の皮肉だと気がつかなかった。
「あんたも少しは見習いなさいッ」
ポカッ
「はい」
古椿さんに頭を殴られ、オレは仕方なしに机へと向かい会った。と周囲には見せつつ、お気に入りサイト更新チェック作業に戻っただけなのだが。