親父の夢
今回短いです。
明日長いです。
夢を見ていた。
あれは何年前のことだろう。
親父がイギリスから帰国して、まだ幼かった俺に言った言葉がある。
「……賢一。ゲームはどこまで行っても、所詮ディスプレイの中での話だ」
俺はそんな当たり前のこと、一顧だにせず馬鹿にしていたと思う。「何を今さら」と。しかし、思えばあの時から親父はこの世界をゲームそのものにしたかったんだろう。
「現実がゲームみたいになったら楽しいだろうなぁ。お前の通学路の途中でな、モンスターが出てくるんだ。お前は友達と一緒に戦いながら登校する。やべぇ、これだけでゲームのプロローグの一部ができちまうじゃねぇか。なぁ、スゲー楽しいとは思わないか?」
そんな夢みたいなことをずっと語っていた。
四十過ぎてまだ中二病みたいなこと言ってるのかよ。恥ずかしくて友達に紹介できねぇよ。などと馬鹿にすれば、滅茶苦茶に怒って。
「俺は中二病って言葉は大嫌いだ! 夢を見て何が悪い! いい大人が空想して何が悪い! 夢も見れねぇ糞みたいな子供が増えてる方が問題だ! いいか、賢一。お前の目の前には、全てを飲み込む『現実』って名の津波がある。確かにその明確な脅威の先に夢を見るのは辛いもんだ。ほとんどの奴が絶望したり挫折したりで、無理なこと不可能なことだと決めつけて全部投げ捨てちまう。でもな、人間で最も崇高な行為は想像だぜ? それ捨てて何が残るよ。中二病だと笑う奴を笑え。俺はそれで飯食ってんだ。何を恥ずかしがるってんだ!」
親父はシナリオライターとしてはあまり論理的な思考を好んでいなかったようにも思える。
A→B。B→C。よってA→C。
このような証明をすっ飛ばして、ただ感情のまま「俺はAがCだと思う。だからそれでいいんだ」みたいな説明しかしない人だった。ガキの頃に何かを教えてもらった経験はあるが、何も身につかなかったのを覚えている。要するに親父は天才肌だったのだ。観念的な話題を好み、その傾向は年老いるごとに強くなっていった。
ゲームをもっとリアルのものにしたい。
その思いは理論をすっ飛ばして、常に親父の頭の中に存在し、不可能だという現実の津波の中をさ迷っていたのであろう。
――――親父は苦しんでいたのだろうか?
出来もしないことを世間に喧伝することに。
一時期親父たちは会社の中で分裂し、ネットゲームを主流にするか、今まで通りのRPGで行くかを争っていたことがある。親父はよりリアルに近いネットを選んでいた。そしてその先のフルドライブ化さえ夢見ていたのかもしれない。フルドライブとは自分という存在を全て情報に変換して、ゲーム世界にキャラクターとして存在させる未来の技術だ。親父はその未来に全ての希望を託していた。しかし、計画は頓挫。会社の役員会議ででた結論は『できっこない』その一言だったらしい。
ゲームの評価基準に安全性や社会性が関係していることは言うまでもない。その二つに思いっきり反していたし、21世紀中にそんな脳内電波を機械を介してゲーム内に投影するなんて技術ができるのかどうかさえ疑問だったからだ。ネットゲーマーの引篭もり増加も計画阻止の要因の一つとなった。これ以上社会不適格者を増産するようなゲームを作るな、なんてスローガンを掲げる民間団体まで出てきたくらいだ。親父の研究はますますやり辛いものになってしまった。
俺が中学を卒業して高校二年生に入った頃から、親父はフルドライブ化をすっぱり諦めた。
「俺も中二病は卒業かな」
なんて俺に笑って話してたけど、あれ実際はスゲー悔しかったんだと思う。
母さんに影で「畜生、畜生」となんども愚痴を言っていたのを知っているから。
俺は親父を馬鹿にしていた。
そして同時に。
尊敬してたんだ。
そのあんたが本当にやりたかったこと。
―――それがこの『世界』なのか?
ゲームと現実がゴチャ混ぜになった魔法と剣の矛盾した現代社会。
それがあんたの夢だったものなのか?