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福口哲郎の車選び  作者: 福口哲郎


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 ~欲しい車編~ 車とは・・・それは、多くの人々を魅了する魔性の乗り物である

「車なんて、走れば何でも同じじゃない?」


そう言う人は意外と多い。


確かに、目的地へ行くだけなら軽自動車でも、高級セダンでも、スポーツカーでも大差はない。アクセルを踏めば前へ進み、ブレーキを踏めば止まる。それだけを考えれば、車は単なる移動手段なのだろう。


でも、車好きにとっては違う。


車は”移動するための道具”ではなく、人生を少しだけ豊かにしてくれる相棒であり、おもちゃであり、ときには夢そのものでもある。


たとえば休日。


目的地を決めずに車を走らせる。


窓を開けると、春には桜の香りが流れ込み、夏には少し湿ったアスファルトの匂いが鼻をくすぐる。秋には山道が赤や黄色に染まり、冬には澄み切った空気の中でエンジン音がいつもより気持ちよく響く。


たったそれだけのことなのに、不思議と心が軽くなる。


「今日はどこまで走ろう。」


そんなことを考える時間さえ、車好きにとっては幸せなのだ。


だから車は、単なる”物”ではない。


アクセルを踏み、ギアを変え、コーナーを抜ける。


その一つひとつの操作に、自分の意思がそのまま伝わる。


まるで車と会話をしているような感覚。


思いどおりに曲がれたときには思わず笑ってしまい、少し失敗すれば「ごめん、ごめん」と車に謝りたくなる。


そんな気持ちは、車が好きな人なら一度くらい経験があるのではないだろうか。


もちろん、人によって車に求めるものは違う。


家族との時間を大切にしたい人もいる。


アウトドアへたくさん荷物を積んで出掛けたい人もいる。


燃費を最優先に考える人もいれば、安全性能を何より重視する人もいる。


どれも間違いではない。


むしろ、それが正解なのだと思う。


車選びに正解はない。


あるのは、その人にとっての正解だけ。


だから私は、「この車がおすすめです」と簡単には言えない。


なぜなら、車とは性能だけで決まるものではないからだ。


初めて見たときに胸が高鳴るか。


乗り込んだ瞬間に笑顔になれるか。


降りたあと、振り返ってもう一度眺めたくなるか。


そんな理屈では説明できない感情が、最後には一番大切になる。


実際、自分もそうだった。


カタログを開けば、スペック表ばかり眺めていた。


馬力。


トルク。


重量配分。


駆動方式。


数字ばかり追い掛けているはずなのに、最後に心を動かされたのは、スペックではなかった。


「格好いい。」


たった、その一言だった。


子どもの頃に道路を走るスポーツカーを見て立ち止まり、その姿が見えなくなるまで目で追い続けたこと。


書店で車雑誌を立ち読みし、フェラーリやポルシェのページを何度も開いたこと。


ゲームセンターでレースゲームをやりながら、「いつか本物を運転してみたい」と本気で思っていたこと。


そんな小さな憧れが、少しずつ積み重なって今の自分を作っている。


だから、この話は決して「どの車が一番優れているか」という話ではない。


一人の車好きが、何に憧れ、何に悩み、そして最後にどんな一台を選んだのか。



もしかすると、「そんな考え方もあるのか」と笑ってもらえるかもしれない。


逆に、「それは違う!」とツッコミたくなる人もいるだろう。


それでいい。


車好きほど、それぞれに譲れないこだわりを持っているものだから。


だから、この先に書くことは、あくまでも一人の車好きの独り言である。


独断と偏見。


思い込み。


勘違い。


そして少しだけ愛情をたっぷり詰め込んだ、車選びの記録。


もし読んでくださる方が、「この人、本当に車が好きなんだな」と少しでも感じていただけたなら、それだけで十分である。  



さて、ここからが本題である。

「あなたにとって最高の車は何ですか?」

こう聞かれたら、私は少し困ってしまう。

なぜなら、この質問には正解がないからだ。

「フェラーリです!」

そう答える人もいるだろう。

「いやいや、アルファードだ。」

「ジムニーしか勝たん。」

そんな人もいる。

きっと全員正解なのである。

車というのは、人それぞれの人生に合わせて選ぶものだからだ。

たとえば、子どもが三人いる家庭。

休日になれば家族みんなで買い物へ行き、旅行へ出掛ける。

ベビーカーを積み、お土産を積み、キャンプ道具まで積む。

そんな生活なら、大きなミニバンは最高の相棒になる。

ドアが電動で開くだけでも、小さな子どもを抱えたお父さんやお母さんにとっては感動ものだろう。

一方で、一人暮らしなら話は変わる。

毎日会社へ通うだけなら、小回りが利いて燃費の良いコンパクトカーが心強い。

狭い駐車場でもスッと停められる。

ガソリン代も財布に優しい。

これもまた立派な正解だ。

さらに雪国へ住んでいるなら四輪駆動が欲しくなる。

山道を走ることが多いなら最低地上高の高いSUVが頼もしい。

車は、住む場所によっても正解が変わる。

だから「一番いい車は何?」という質問は、実はとても難しい。

私なら、まず逆に質問する。

「何人乗りますか?」

「どこへ行くことが多いですか?」

「燃費ですか? 走りですか?」

そこから一台ずつ候補を絞っていく。

車選びとは、性能を比較するゲームではない。

自分の生活を想像することなのだ。

そして、ここで少しだけ軽自動車の話をしたい。

昔は軽自動車というと、

「遅い。」

「危ない。」

「狭い。」

そんなイメージを持っている人も少なくなかった。

しかし、実際に乗ってみると驚く。

今の軽は本当によくできている。

限られた660ccという排気量の中で、静かさも、燃費も、室内の広さも、とことん追求されている。

まさに日本の技術者たちの執念が詰まった乗り物だ。

初めて最近の軽自動車に乗ったときは、

「えっ、本当に軽なの?」

と思わず口にしてしまった。

天井は高い。

足元も意外と広い。

後席も想像以上に快適。

昔の軽自動車を知っている人ほど、その進化に驚くはずだ。

税金も安い。

保険料も比較的安い。

燃費も良い。

普段使いという意味では、これ以上ないくらい優秀である。

だから、日本でこれほど軽自動車が売れる理由もよく分かる。

海外メーカーが簡単に真似できない、日本独自の文化なのだろう。

間違いなく世界トップクラスの車である。


もちろん、万能ではない。

高速道路で長い坂道になると、アクセルを深く踏み込む場面もある。

追い越し加速では、さすがに排気量の差を感じることもある。

エンジンが

「もう勘弁してください!」

と言わんばかりに頑張って回っている姿を見ると、こちらまで応援したくなる(笑)。

でも、それは軽自動車が悪いのではない。

役割が違うだけなのだ。

野球選手にサッカーをさせても力を発揮できないように、車にも得意分野がある。

だから、自分の使い方に合った車を選ぶことが何より大切なのである。

……とは言いながら。

ここまで散々「用途が大事」と語ってきた私にも、一つだけ譲れないものがあった。

それは「走る楽しさ」である。

燃費よりも、コーナーを曲がる楽しさ。

荷物が積めることよりも、アクセルを踏んだ瞬間に思わず笑ってしまうこと。

完全に趣味の世界である。

だから、ワゴンやミニバンを否定するつもりはまったくない。

むしろ、あれほど家族思いの車はないと思っている。

ただ、自分がハンドルを握るなら。

やっぱり低い車高で、長いドアを開け、少し窮屈なくらいの運転席に体を滑り込ませたい。

エンジンを掛けた瞬間、

「今日はどこまで走ろう。」

そう思わせてくれる車がいい。

だから私の車選びは、いつの間にかクーペばかりになってしまった。

そして正直に告白すると……。

コンパクトカーの違いは、今でもあまり分からない(笑)。


ヴィッツ(ヤリス)とデミオ(MAZDA2)を並べられて、

「違いを説明してください。」

と言われても、自信はない。

きっと詳しい人には怒られてしまうだろう。

でも、それくらい私はスポーツカーばかり見て育ってきた。


だから、この先の話は、かなり偏っている。

けれど、それも一人の車好きの個性として、笑いながら読んでもらえたらうれしい。



「あなたにとって最高の車は何ですか?」


こう聞かれたら、私は少し困ってしまう。

なぜなら、実用性で選ぶ車と、夢で選ぶ車は、まったく別物だからだ。

家族を乗せるならミニバンが頼もしいし、通勤や買い物なら軽自動車やコンパクトカーが便利だ。そういう意味では、前回までに書いたように、車選びに正解はない。用途に合わせて選ぶのが一番である。

でも、もし「欲しい車を一台だけ挙げろ」と言われたら。

その答えは、もう決まっている。

フェラーリF40である。

初めてF40を見たのは、たしか子どもの頃に読んだ『こち亀』だったと思う。

ページの中に、ただ赤いだけではない、異様な迫力を持った車がいた。

低く構えたノーズ。

大きく張り出したフェンダー。

むき出しのような機能美。

そして、あの巨大なリアウイング。

「なんだこの車は……」

子ども心に、完全にやられた。

それまで車というものは、どこか“乗り物”という認識だった。けれどF40は違った。あれはもう、走るために生まれた塊だった。便利さとか快適さとか、そういう言葉とは無縁の世界にいるのに、なぜか圧倒的に美しい。

スーパーカーという言葉には、やはり特別な響きがある。

ランボルギーニ・カウンタック、ディアブロ、そしてフェラーリ。

どれも憧れだった。

あの紀宮様と婚約をした黒田さんの愛車ロータスエリーゼもその一つ(まあ、値段的にはスーパーカーとまではいえないかもしれませんね。500万そこそこで買えちゃうので)


だが、その中でもF40は別格だった。

理由は簡単である。

速いから、ではない。

高いから、でもない。

“本気”が伝わってくるからだ。

F40には、余計な飾りがない。

豪華な内装も、快適装備も、親切な電子制御も、必要最低限でいいという割り切りがある。

その代わり、走るためのすべてが詰まっている。

エンジン。

空力。

軽量化。

そして、ドライバーに対する容赦のなさ。

そこがいい。

むしろ、そこに惚れた。

今の車は本当に優秀だ。

エアコンは効くし、静かだし、雨の日でも安心して走れる。渋滞でも疲れにくいし、燃費も良い。そういう意味では、現代の車はとても親切である。

でも、F40は親切ではない。

じゃじゃ馬

暴れ馬

値段以上に乗り手を選ぶ車だろう。

たぶん、乗ったら「ちゃんと扱え」と言われる気がする。


アクセルを踏めば、ただ速いだけでは済まない。

エンジンが目を覚ました瞬間、背中を蹴飛ばされるような加速が待っている。

ステアリングを切れば、路面の情報がそのまま手に伝わってくる。

ブレーキを踏めば、車体全体が「本気で止まるぞ」と応えてくる。

想像するだけで鳥肌が立つ。

あれは移動手段ではない。

走る芸術である。

エンジンは全て手作業らしいし、V8の官能的なサウンドはまさに走る管楽器。


欲しい。

もちろん、現実的には無理である。

値段はもう車の値段ではないし、そもそも簡単に手に入るような車でもない。宝くじが当たったとしても、買えるかどうか怪しい。維持費を考えたら、さらに頭が痛くなる。


それでも買う車はF40に決定


っていうじゃな〜い。

でも無理ですから残念!

候補以前の問題で斬り!



……と、ここまで言っておいて何だが、それでも憧れは消えない。

むしろ、手が届かないからこそ、夢として輝き続けるのかもしれない。

子どもの頃、雑誌の写真を何度も見返した。

ポスターを部屋に貼って、寝る前に眺めた。

エンジン音を想像して、ひとりで勝手に興奮した。

そんな時間があったからこそ、今でもF40という名前を聞くだけで胸が熱くなる。

フェラーリF40は、単なる速い車ではない。

車好きの心の奥にある、「一度でいいから本物を見てみたい」という願いそのものなのだ。

だから、私にとっての最高の車は、やはりF40である。

乗れるかどうかではない。

買えるかどうかでもない。

ただ、そこに存在しているだけで夢を見せてくれる。

そんな車に、いつか本当に出会ってみたい。

そしてできることなら、せめて一度でいいから、その運転席に座ってみたいものである。





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