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二十億光年の邂逅

掲載日:2026/03/20

初めまして!あるいは『帝都東京で配信中!』からお越しいただいた皆様、ありがとうございます。

ふらいんぐタートルです


連載開始を記念した短編セレクション、今回は『二十億光年の邂逅』をお届けします。


本作は、PixivのSFコンテストに投稿してみた作品です。

図書館とSFというテーマだったので、谷川俊太郎様の詩集『二十億光年の孤独』を重要なモチーフとして引用・参照しております。

最先端科学の孤独とロマンをお楽しみください。


連載中の「帝都東京で配信中」は、いろいろ要素ごった煮の作品ですが、芯のところは結構SFです。その意味で、そんな作者がSF全振りで書いてみたらどうなるか、ご堪能ください。


 その図書館には、奇妙なうわさがあった。

 蔵書の中に、読むと宇宙に行けるという本があるというのだ。

 将来宇宙飛行士になれるという話ではない。本を読んだ瞬間宇宙空間に行けるということらしい。


 その噂が妙に気になった。


 私は、宇宙に行きたい。


 いつからだったか、ずっとずっと心の片隅でその渇望が埋火のように私の胸を焦がしている。なぜかはわからない。ただ、行きたい。

 しかし宇宙飛行士は狭き門なうえ、さらに女性の私がその門をくぐる確率は男性の十分の一だ。宇宙に行ける希望は薄い。

 その代わりにと、私はよく天体観測に向かう。日本の星空スポットははあらかた回ったし、世界の名所にも足を運んだ。それでも心が満たされることはなかった。世界一の空の下にも、私が求める星空はなかった。


 だからだろう。その噂は私の心を磔てしまった。

 本当に宇宙に行けるのならば。そこには私の求める空があるかもしれないのだから。


 普通、そんなあやふやな期待なんて、実際に大量の本の前にしたら消え去るものだ。

 なにせこの図書館の蔵書数は数十万に及ぶのだ。この中からあてもなく目的の一冊を見つけ出そうとするなんて馬鹿げている。


 なのに、むしろ強烈にのめりこんだ。


 言い知れない確信が心に浮かんだのだ。私はきっとこの場所で何かを見つけることができる、と。

 感じるというよりは、知っている。そんな不可思議な感覚だ。

 こんな感覚を当てにするなんてどうかしていると思う。なのに、無視できない。慣れ親しんだあの渇望に似ている。私は仕方なく、宇宙と関連しそうな本は片っ端からあたってみることにした。

 そうやって長い時間図書館内を徘徊しているうちに、文学のコーナーに差し掛かった。文学で宇宙とか星空を扱っていそうなのは詩歌だろうか。そう思って何気なく背表紙の文字をさらっていって――一冊の本が私の目に飛び込んできた。



 『二十億光年の孤独』谷川俊太郎



 確信だった。図書館に来た時と同じだ。私はこれだ、と知っていた。



 今まで一度も読んだこともないこの本を、私はなれた手つきでめくっていく。



    『万有引力とは

     ひき合う孤独の力である』



 その言葉は本当に引力を持っていた。



    『宇宙はひずんでいる

     それ故みんなはもとめ合う』



 だからこそ、この邂逅は必然だ。




 *




 気が付くと何もない真っ白な部屋の中にいた。

 部屋の形は正確に立方体。そのうちの一つの面に、長方形の扉らしきものが取り付けられている。あの外が宇宙だろうか。


「――久しぶりですね」


 振り向くと、青紫の顔をした男が空中に腰を掛けて本を読んでいた。よく見れば手の指が4本しかない。宇宙人、という言葉が頭に浮かぶ。

 まあ、どうでもいいか。


「宇宙に行けるって聞いたんだけど、どこ?」

「そう焦らずに少しだけお話をさせてください。私はあなたをずっと待っていたのですよ」

「あなたと会ったことなんてあったっけ?」

「…やはり記憶は失われているようですね」


 男は無表情にそういうと、読んでいた本を閉じて立ち上がった。『二十億光年の孤独』、私が先ほど手にしていた本だ。


「では改めて挨拶をします。&%|●です。」


 男は抑揚のない口調でそう名乗った。宇宙でも名乗る習慣はあるらしい。


「あなたは今置かれている状況が理解できてますか?」

「その本を読んでたらここに来た。今から宇宙に行く」

「…あの、それだけですか?急にこんな場所にやってきたことについて、気になったりしませんか」

「別に。そういう噂だし。ちゃんと宇宙に行けるなら、他はどうでもいい」


 そう返事すると、男はすこし表情をぴくぴくと動かす。どういう感情なのだろう。表情からは読み取れない。


「まあいいでしょう」


 男はそう言って扉のほうに歩いて行った。扉が自動的に開いて、奥に真っ黒の空間が続いているのが見える。


「案内しますよ。――歩きながら色々説明させていただきます」




 白い部屋を出たらそこは宇宙――ではなかった。

 そこは、どこかの星の地表面らしかった。一面に広がる濁った濃いオレンジ色の海と、これまたどんよりとぼやけた暗い黄色い空。ところどころに見られる黒いマットのように広がったものは、もしかしてこの星の植物だろうか。


「まさかここが宇宙って言いたいの?星が見えないじゃない!」

「今のあなたはせっかちですね。少しは私の感傷に付き合ってくださいよ。そのあとちゃんとお連れしますから」

「…あなたの感傷って、ここはもしかしてあなたの思い出の場所なの?」

「厳密には、思い出の場所を再現した場所です。空間移動は全く行っていませんよ」

「じゃあ、これは幻ってこと?」

「まさしく。あなたは図書館に立ち止まって本を読んだままの状態で、感覚器官と体のコントロールの処理のみをいったん外界と分断した状態になっています。そのうえであなたの五感に感知可能な仮想空間を構築したうえであなたの脳に視覚や聴覚として認識してもらっている状態です。まあ、VRだと思ってください」

「なにか器具を付けたわけじゃないのに、そんなことできるんだ。それともこっそりアブダクションされていろんな機械につながれちゃったりしてるの?」

「そんな野蛮なことはしませんよ。あなたが開いた本のページに人間に感知できない光情報でコードを埋め込んでいただけです」


 男はそう言いながら、目を細めて再現されたという光景を眺めている。


「ほら、御覧なさい。夕焼けです」


 見れば、黄色がかった空が加速度的に暗くなっていく。海と空の境界線は完全にぼやけて見えなくなり、血の色の空とぼんやりとした円盤のような恒星だけが暗い空を彩っている。


「…ここによく来ては、二人でこの夕焼けを眺めたものです」

「はあ。あなたの彼女か誰かデートした思い出の地ってわけ」


 私がそういうと、男はこちらを向いた。無表情だが、瞳だけがやけに色づいて見える。


「誰か、ではありません。あなたですよ」

「は?」

「ここは、私とあなたとの思い出の地なんですよ」


 そう言われて目が点になった。


「いや、こんなところ来たことないけど?それとも私の記憶が抜かれているだけで、私はかつて宇宙をまたにかける大冒険をしてて、この星にも訪れたってこと?」

「まさか。硫化水素に満ちた我々の星はあなたたちには過酷すぎますよ」

「じゃあ思い出の地ってどういう意味なのよ。もったいぶってないでさっさと言ってよ」

「…もったいぶっているわけではないのですよ。ただ、確かめたかっただけです。あなたが思い出すかどうか。……やはり、失敗のようですね」


 なんだかカチンとくる。私は何に付き合わされているのだろうか。


「来たことがないと言ってみたり、思い出すかと言ってみたり!どっちなのよ!」

「今のあなたは、来たことがない、と言いました。――かつてのあなたならば、来たことはありますよ。あなたはこの星の出身ですから」

「…なんて?」



「あなたは元は宇宙人なんですよ。それを忘れているだけで」




 *





 太陽が沈んだ空はただ黒塗りの空間と化している。

 星空は、見えない。


「あなたの星の人って目が悪いの?私の指五本指だし、顔色だって青紫じゃないよ?」

「目は良いと思いますよ?我々の星は大気中の硫黄粒子による光の散乱と吸収が激しいため、地表に届く光は非常に少ないのでね。わずかな光でも見えるよう進化しています」

「そんなのどうでもいいから。私はどっからどう見ても地球人だって話。…誰かと人違いしているんじゃないの?」

「それはありえません。我々の星出身の人間だけが、あの本に埋め込まれたコードを読み取れるようになっています。特に、私が最初に待っていた空間にアクセスできるのは、私の探し人ただ一人です」

「探し人って…?」

「妻です」


 再び脳がフリーズする。


「…えっと、刺身の?」

「配偶者です。嫁、家内、連れ合い、細君、山の神でもいいですよ」

「で、でも私がれっきとした地球人なのも間違いなく事実だから!DNA鑑定してくれてもいいよ!」

「はい。そうですね」


 男はうなずく。


「…あなた、よく結婚できたね。話が見えないって嫌われてなかった?」

「は・は・は・は・は」


 突然、男が小刻みに呼吸をし始めた。…もしかして、これが男の笑いなのか?


「…記憶が残っていなくてもそう言われてしまうんですね。ええ、何度も怒られていましたよ」


 男はそう言って目をつぶる。今まで一番、感情が読み取れる表情だった。だから私はこの男にとってその「かつての私」はとても大事な人なんだと正しく理解できた。


「話が込み入っていますので、一つ一つ、お話しさせてください。我々の試みと失敗について」




 *




 まず、我々●#?*人についてお話ししましょう。

 我々はあなたたちと同じように有機物で構成された知的生命体でした。だから、抱えている問題も、解決策も大体似ていました。まあそのトライアンドエラーは科学技術の面であなた達のだいぶ先を行っているとは思いますが。

 …先を行きすぎましてね。星を失いました。自らの手で。

 まあ、ここら辺の事情を長々と話すとまたあなたに怒られるので先を進めましょう。

 そうやって我々は否応なく宇宙に進出せざるを得なくなりました。資源も限られ、環境も過酷。とても有機生命体として生存し続けるのは難しいという問題に直面しまして。


 そこで我々は体を捨てたのです。


 この星のSFで既に同じような発想がでてきますから、それで例えましょう。いわゆる精神のアップロードを行ったのです。

 精神のアップロード、知りません?簡単に説明しますと、あなたという情報をそのまま電脳世界、コンピューターとかそういったものに写し替えることです。

 知的生命体の意識は突き詰めれば情報の塊ですし、脳の働きは突き詰めれば信号回路です。だから我々の記憶をすべて情報化してアップロードし、さらに脳の動きを解析してそっくりそのままプログラムとして再現することで、情報としての生命体に生まれ変わるんです。そうすれば、宇宙船を動かす計算機と記憶媒体、エネルギーさえあれば生存はし続けられる。そう我々は考えました。

 ちなみに、我々が新しい体として選択した媒体は、ナノデバイスです。え?ナノデバイスも知らない?まあ、機械の細胞だとでも思っておいてください。小さな機械がたくさん集まっていろんなこと実現するものという理解で結構です。


 そうやって我々は生き延びました。

 途方もなく長い、ただただ飛行するだけの時間が続いても、既に肉体から解放された我々は、意識だけで、その果てしなく長い時間を生き続けることができました。

 そう。ただ、生きることだけは。


 次第に、我々は自分たちの欠落を認識するようになりました。

 まあSF的にはべたな話になるんでしょうかね。感情ってものが、よくわからなくなってきたんです。

 もちろん写し忘れじゃないですよ?我々は、自分たちの技術の粋を集めて自らの解析を行い、それを再現可能な形で電子情報に写し替えた。その中には、当然、感情だってありました

 ですが、それがどういうものかわからなくなりました。

 計算はできます。例えば、大切な何かを失ったとき、ちゃんと悲しいってわかるんです。反応としてそういう感情に分類されるものが表出することも、過去の具体的な感情データにアクセスすることもできる。

 でもそれだけなんです。ただ思い出すだけ。

 思い出す情報自体は詳細なんですよ。その時考えたことも一字一句たがわず再現できます。でもね。だからどうした、って感じなんですよ。計算結果がでたものの、じゃあどうしたいって言われて、我々は立ち止まってしまうんです。


 我々は始めその欠落を些細なものと考えていました。しかし、致命的な支障が生じることになってしまったんです。

 写し取った精神体たちがね、次々と活動を停止していったんですよ。

 新しい刺激ならたくさんありましたよ。むしろ体を持っていた時より多くの情報にアクセスし、なんでも可能な体を手に入れたんです。ですが彼らは沈黙を選びました。そんなの不要だと、活動する意義を感じないと言って、ただの漂う物質に成り下がりました。

 こうなってしまうと、何のために体を捨てたのかわからなくなりました。

 そこで漸く我々は気づいたんです。

 我々の生命に対する理解は足りていなかったんだと。星を滅ぼすほどの科学技術の粋は、それでも生命における根源的な何かを見落としてしまったと。

 それを理解して、我々は絶望しました。何せ我々の元の体も、生命体のサンプルもとっくに無くなっていました。もう研究することも、再現することもできない。

 我々はただ無意味に沈黙したまま航行を続ける物体となり果てることを受け入れるしかありませんでした。


 そんな折でした。奇跡のように我々がこの星にたどり着いたのは。


 この星には、かつて我々と同じような有機生命体としての知的存在が無数に存在しました。我々はそれを知って歓喜した。この星でなら研究を進め問題解決にむけて前進することができると。

 我々はまだ活動できる個体を募ってこの星に降り立ち、サンプルとなるこの星の知的生命体の研究・実験をすることにしました。

 え?やっぱり野蛮じゃないかって?

 仕方ありません。他に方法なんてないでしょう?我々だって切実だったんです。

 まず私たちはいくつもの個体の解析を行いました。…念のために言うと、別に解剖なんてしませんよ。普通に生活する彼らの体内にナノデバイスを潜り込ませてスキャンと解析をするんです。

 そうして理解を深めてから、次の段階に進みました。まずは感情で動くタイプの個体を見繕っては体内に侵入し彼らの感覚器官や動作機関の代替制御と観測を行います。要は体の乗っ取りですね。各シナプスに働きかけてナノデバイス側で情報の制御を行うんです。ちょうど今あなたにしているように。

 そしてそれがうまくいけば最終段階。彼らの脳が行っている感情を含む情報処理の代替制御と観測――つまり、精神の乗っ取りです。それで感情処理を直接ナノマシンが行えるようになると私たちは考えた。

 だってそこに何の障害もありません。あなたたちは各細胞を自在にコントロールすることもできない、原始的で不自由な存在なんですから。



 ここまで言えば理解できたでしょう?

 そうやってあなたの体を乗っ取ったのが、私の妻だったのですよ。




 *




 私は震えを抑えることができなかった。

 私の体の中に、得体のしれない物体が入り込んでいる?それに私は乗っ取られている?なんだかめまいがしてきそうだ。そんな私も本当に私なのか疑わしい。

 そんな思いをぶつけるように、私は目の前に座る青紫の物体をにらみつけた。


「…何を考えてこんな話を私にしているの?私をどうするつもりなの?」

「どうもしません。これは感傷です。そして実験です。実験結果は出ました。あとは協力してくれたあなたに報酬をお渡しすれば終わります」


 表情も変えずにそう答える物体が気持ち悪くてならず、思わず私は相手を思い切り殴りつけた。


「ふざけるな!何が報酬だ!それを受け取ったら私はお前の妻に戻るのか?!そういう実験か!」

「…落ち着いてください」


 相手はまるで痛そうに頬をおさえながらゆっくりと立ち上がった。その姿は人間みたいだった。


「言ったでしょう?これは失敗譚です。実験は失敗に終わりました」

「…失敗?」

「はい。あなたはかつて間違いなく私の妻でした。…今は違います。……妻は失われていました」

「失われた?だってあんたはさっき、私の体を乗っ取ったって」

「ええ。乗っ取りました。体の制御の奪取は極めてスムーズに進みました。その先の精神の奪取についても、計算上、問題なく行えるはずでした」


 物体は再び目をつぶった。


「精神の奪取は、全て失敗に終わりました。精神情報にアクセスしようとしたナノデバイスは急に制御不能になり、そして沈黙しました」


 その目の下で何かが光った。


「我々は…結局何もわかっていなかったんです。私たちが単純な欠損と考えている感情は、きわめて複雑な生命情報の一部にすぎませんでした。生命の情報量は私たちが写し取ったと思っていたものよりはるかに膨大でした。脳内の数百兆個のシナプス、数十兆の細胞同士が独自にコミュニケーションを行う多重で複雑なシステム、さらにその個々の細胞の中にすら複雑な情報のやり取りとシステムが構築されている。そんな中で、化け物みたいな量の情報が毎時発生し、その次の瞬間には更新される環境に、最先端のナノデバイスですら対応はできませんでした。

 ――それどころか最終的には乗っ取りを試みたデバイス側が彼らの体のシステム系に乗っ取られてしまったんです。笑ってしまいますよ」


 男は感情がない瞳から、確かに涙を流していた。


「さらに笑ってしまうのは、それがわかった後の仲間たちの行動でした。なんとね。失敗することがわかっても、仲間たちは精神の乗っ取りをやめようとしないんです。…一瞬でも乗っ取りを行おうとした仲間はね、最後不思議と歓喜に満ちた顔になって潰えるのです。それが目に焼き付いて離れないっていうんですよ。

 …そうやって仲間たちは減っていきました。…妻もその一人です。――それからです。私があの空間で待ち始めたのは。妻に、仲間たちに最後のアプローチをするために」


 そういって男は目を開けた。そこには感情のようなものは読み取れない。

 男は真っ黒な瞳を海に向けて続ける。


「妻からの最後のメッセージでした。自分は消えたりしない。必ず全てを思い出す。だからこの図書館に、この本を置いておいて待っていてくれと。そう言って去っていきました。…だから私は待ちました。時折訪れるかつての仲間のナノデバイスに働きかけアプローチを繰り返しながら。…それは何の意味もないどころか、人間側の記憶にすら印象程度しか残らなかったようですが」


 私は理解した。それがあの噂の正体か。


「最後に残ったのが妻でした。手を凝らしましたよ。思い出してもらえるよう当時の私の姿を何とか記録から再現したり…この海岸線を用意したり。妻はここが何より好きだったんですよ。何度も何度もここに来ました。この仮想空間を作り出したのだって妻だったんです。ここならば、きっと、彼女のナノデバイスを再び活性化させることができるのではないか。そんなつまらない希望を抱いて私はずっとあの部屋で待っていました」


 男は改めてこちらを振り向いた。その瞳は空洞のようだった。


「実験は失敗に終わりました。後はあなたとの約束を果たせば全て終わりです。――さあ、お待たせしました。宇宙を見せてあげましょう」


 唐突に、空間に長方形の穴が開いた。ちょうど最初の白い部屋に空いた穴のように。

 男はそこに何も言わずに入っていった。私は何も言うこともできず、ただ男に従ってそのまま穴に入っていった。









 そこにあったのは、真っ赤な渦巻き模様の浮かぶ星と、それを取り囲むように寂しく光る小さな瞬きの、絶大なるオーケストラだ。








「これは、我々が宇宙航行を始めた時の記録です。さあ、これで約束を果たしました。こんな暗闇と小さな光だけの光景でよければいくら、でも…?」


 男はそう言って、目を見開いた。不思議とその表情が面白く感じて、私は声をかける。


「なんでそんな顔をしているのよ」

「…同じ質問をさせてください。あなたは、どうして、そんな顔をしているのですか?」



 ふふ。

 どうしてだって?

 そんなの知ったことか。心がうるさいんだ。そんな中で、なぞなぞなんて考えていられるか。でも、なんか答えてあげたくなったから、私は何も考えずに答えた。




「懐かしいから」




 確信だ。

 私は、ずっとずっと、この空が見たかった。




「あ、言っとくけど、別にあなたの奥さんの記憶が戻ったとかじゃないからね。これは私の気持ちだから」


 まあ、懐かしいという言葉が出てきたことには驚いたが。もしかしたら、若干、男の妻の記憶も入っていたのかもしれない。だがどうでもいい。由来はどうあれこれは私の気持ちだ。宇宙思う、ゆえに我あり。


「…そんな奇跡は期待してませんよ」


 男はそう言って、目を閉じる。


「……でもね。妻も言ったんです。同じ顔をして、なんか懐かしい気がするって。…我々の星、大気が濁っていて星空なんか見えないから、それが初めて見る星空のはずなんですがね。それを聞いて不思議なことを言うと思ったものです」

「私も初めてだよ。宇宙から星空見るの」

「じゃあ、なんで懐かしいんですか?」

「そんなの決まってる!」


 意味もなく私は断言した。



「万有引力だ!」



 意味も分からない適当な言葉を。

 男は一瞬黙り込むと


「は・は・は・は・は」


 そんな風に声をあげて笑った。


「……本当にもう。なんで、そんな言葉までいっしょなんですかね」


 そういう男の目に浮かぶ涙は、夜空の星のように光っていた。




 *




 どれくらい経ったのだろう。気が付くと私たちはまた最初の白い部屋にいた。


「さて。実験はおしまいです。ご協力ありがとうございます」


 男は再び無機質な表情で私に頭を下げた。


「何か結果は出たの?」

「はい。ナノデバイスが活性化しなかったことは明らかです。妻の精神が戻ることはないであろうことはわかりました」


 男は淡々とそう告げる。


「…この後あなたはどうするの?」

「今回の交信についての記録を分析します」

「実験は失敗に終わったのに?」

「ナノデバイスの活性化実験には失敗しました。一方で、あなたの精神は少し興味深い状態になっていると思われるので、妻のデバイスがあなたに与えた影響を解析しようと思っています」

「やっぱりアブダクションするんじゃない!」

「だからしませんって。仮想空間上での脳の動きは全て記録に残っていますので、それを解析させていただくだけです」

「…そんなことをしてなんか意味あるの?仮に私があなたの奥さんのデバイスから影響を受けているとしても、あなたたちの精神が存続しない以上意味ないんじゃないの?」

「いえ、そんなことはありません。我々は情報という生命体です。その主体がどうであれ、形がどうであれ、生命の情報として何らかの働きを残しているのであれば、存在として存続しているのと同じです。いわば共生ですね」

「寄生の間違いじゃない?」

「寄生も立派な共生ですよ」


 ふてぶてしい。だが少し安心した。なんとなくだが、男がこのまま全ての活動をやめて沈黙してしまうのは悲しいと思ったからだ。


「これまでの実験結果に照らせば、この空間から離れればあなたはきっとここでの記憶を失うでしょう。ですがここまでご協力いただいたことへの誠意として、最後に何か聞きたいことがあれば答えますよ」


 そういう男に、私はぱっと思いついた質問を聞いてみることにした。


「じゃあ、一つだけ。――なんで『二十億光年の孤独』だったの?」


 別にほかの本でもよかったと思うが。

 その質問に、男はぎこちなく口角を吊り上げた。


「…妻がね、好きだったんですよ。この星に降り立って、まずは我々は電脳空間であなたたちの情報をかき集めました。そこで見つけたんですよ。この詩を。どうしても気になったらしく、図書館にまで来て実際の本まで見つけ出して読むくらい、彼女のお気に入りでした。…おそらく、彼女は、出発の日の言葉を思い出していたのでしょうね」

「出発の日?ああ、さっきなんか言ってたね」

「ええ。本当にあなたと同じ言葉でした。『万有引力だ!私たちは逃げ出すんじゃない、旅立つんだ!あの懐かしい光の下で、私たちが来るのを待っている星のもとに!』ってね」


 ふうん。なんか、そのテンション他人事と思えないから不思議なものだ。


「案外、それが正体なのかもね」

「正体?何の話です?」

「だから、万有引力。それがあなたたちが見逃した、生命という情報の正体なんじゃない?」


 乗っ取りだなんだと言いながら、彼らは案外、眩しい生命体を見て、一つになりたいと思ってしまったんじゃないだろうか。何かに引き付けられるように。


「は・は・は・は・は」


 男は笑った。

 どう見ても、彼には感情があるように私には見えた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

本作『二十億光年の邂逅』は、NHKの『人体』から着想を得た作品です。細胞の中にある、単なる物質にすぎないタンパク質が、あたかも一つの社会のような精緻なネットワークを築いているという事実に衝撃を受け、この物語を書き始めました。

生命を分解していくと、最終的には物質に行き当たります。では、そんな物質の連なりが、なぜ生命という切実な「引力」を生むのか。本作では、そんな答えのない哲学的な問いを、SFという形を借りて私なりに描いてみました。


このような、目に見えないが確かに存在する不思議な世界というのが、現在連載中の『帝都東京で配信中!』でも登場します。想像や願いという曖昧な情報が、なぜか目に見える形となって帝都東京の現実を作り変えていく。そんなSFとオカルトを掛け合わせたような話になっていますが、根底はこの話に見えるような私なりの世界に対するロマンが詰まっています。ご興味がある方は是非読んでみてください。


それではまた、次のお話でお会いしましょう。

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