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呪いの指輪と猫勇者

ミイナは再び檻の中にいた。

気づいたときには、もうそうだった。

朝の光が、鉄格子の隙間から差し込んでいる。

砂の匂い。

湿った藁。

擦れた木材。

オアシスの噴水は、もう見えない。

夜明け前、誰かに肩を掴まれた。

水音と一緒に眠っていたところを、後ろから。

「いたぞ」

その一言で、すべてが終わった。

抵抗はしなかった。

どうすればいいか、分からなかった。

縄をかけられ、口を塞がれ、馬車に押し込まれた。

揺れの中で、ミイナは何度も左手を握った。

指輪は、あった。

白銀のそれは、夜明けの薄い光を受けても、ただ静かだった。

誰も、それに目を留めない。

市場に戻ると、檻に放り込まれた。

鍵が閉まる音は、はっきり覚えている。

「さて」

奴隷商は、檻の前に立ち、腕を組んだ。

「火、つけたのはお前だな」

ミイナは顔を上げた。

「……え?」

声は、小さかった。

意味がわからなかった。

男は、耳を貸さない。

「屋敷は全焼だ。

 護衛も、使用人も、主人も。

 生存者なし」

淡々と告げられる言葉が、胸に落ちてこない。

「逃げた奴隷が火を放った。

 そういう話にしておいた」

男は、ミイナを見下ろす。

「分かるか?

 お前がいなきゃ、話が繋がらねえんだ」

ミイナは首を振った。

「……わたし、にげただけ……」

次の瞬間、視界が揺れた。

頬に、鈍い衝撃。

地面に倒れ、口の中に砂の味が広がる。

「口答えするな」

靴が、腹に入る。

息が詰まる。

「逃げた。

 屋敷が燃えた。

 じゃあ、火をつけたのは誰だ?」

答えられない。

ミイナは、ただ首を振る。

蹴りが、もう一度。

「泣くな」

怒鳴り声。

「泣かれると、俺が悪者みてえだろ」

涙は、勝手に出た。

痛いからでも、怖いからでもない。

分からないからだ。

なぜ、ここにいるのか。

なぜ、ニイナが来なかったのか。

なぜ、世界が元に戻らないのか。

「……あの女も、運がなかったな。すげえ上玉だったのによ」

その言葉で、ミイナの息が止まった。

「一晩で屋敷が火の海だ。

 焼け跡からは、死体がごろごろ出てきた」

男は、興味なさそうに続ける。

「首が折れてるのもいた。

 刃物でやられたのもいた」

ミイナは、音を立てずに息を吸った。

噴水の縁。

夜の空。

『必ず追いつく』という声。

胸の奥が、きしむ。

「盗賊とでも組んだのか? ま、どうでもいい」

奴隷商は、檻に鍵をかけ直した。

「お前は生きてる。憲兵に突き出してやる。

 それで十分だ」

足音が遠ざかる。

檻の中は、静かだった。

ミイナは、体を丸めた。

左手を胸に寄せる。

指輪は、まだそこにある。

殴られても、汚れてない。

血も、砂も、ついていない。

それが、少しだけ嬉しかった。

檻の外で、誰かが小さく言った。

「……また、来てるぞ」

ミイナは、顔を上げた。

日陰の端。

そこに、黒い影があった。

夜のような毛並み。

額の白い×印。

空色の目。

黒猫は、鳴かない。

動かない。

ただ、こちらを見ている。

ミイナは、ゆっくり息を整えた。

「……こんにちは、黒猫さん」

声は、かすれていた。

黒猫の目が、大きく見開かれる。

黒猫さんもビックリするんだなと、ミイナは思った。



黒猫は落ち着かない様子で、檻の周りを彷徨いていた。

奴隷商の男がいなくなった途端、鉄格子の中に入ってきた。

「ニャア、ニャアァ、ニャアァオ」

いつもと違う激しい鳴き声。

ミイナには、その意味がハッキリとわかっていた。

『おい。何があった。

 おい、チビ娘。

 もう一人の女はどうした?

 ……っても通じるわけねぇか……クソッ』

「ううん。聞こえてるよ、黒猫さん」

黒猫は、さらに眼を見開いた。

空色の目が、飛び出してしまいそうだ。

『聞こえる?

 聞こえてるって、俺の言葉がわかるのか⁉︎』

「わかるよ、黒猫さん。

 私、昔から動物さんとは話せるんだ」

『なんだと⁉︎

 早く言えよ!

 それで、なにがあった⁉︎

 あの後、馬車を手下に尾行させたんだが、見失ってしまってな。

 ずっと探していたんだ』

ミイナは、あの屋敷で起こったことを、一つずつ丁寧に黒猫に話して聞かせた。

「……それでね。

 屋敷が火事になったって。

 みんな死んじゃったって。

 ニイナも……」

そこまで話すと、ミイナの目から涙が溢れた。

拭いても拭いても、とめどなく溢れてくる。

『お屋敷に烏男。

 それに指輪……指輪⁉︎

 おい! チビ娘!

 その指輪を見せろ!』

「うん。これだよ。

 大切なお守りだって。

 奴隷商のおじさんにも、何故か盗られなかったの」

ミイナは、左手の薬指にはめた指輪を、黒猫の眼前に突き出す。

『盃を飲み込む蛇……

 マジか! 本物か!

 シャクナ族の指輪!

 見つけた! ついに!』

「どうしたの、黒猫さん?

 そんなに驚いて」

大騒ぎする黒猫を、ミイナは不思議そうに見た。

『……お前を、ここから逃がす。

 今すぐだ。時間がない。

 烏男が来る前に、この街を出るぞ』

黒猫は、決意を込めたように宣言した。

その空色の目は、キラキラと輝いているように見えた。



黒猫はひょいと飛ぶと、窓から小屋に侵入した。

そして、すぐに鍵束を咥えて戻ってきた。

『鍵だ。開けろ、チビ娘』

檻の前に落とされた鍵が、ジャラと音を立てた。

ミイナは、すぐには動かなかった。

鍵を見る。

黒猫を見る。

そして、自分の足元を見る。

檻の床はざらついて、裸足の裏がじんと痺れている。

ここにいるのが、当たり前だった。

捕まって、閉じ込められて、待つ。

それが、ずっと続いてきたことだった。

それでも笑顔でいられたのは、ニイナがいたからだ。

でも、今はいない。

「……また、捕まるよ」

声は、自分でも驚くほど小さかった。

『捕まらないさ』

黒猫は即座に言った。

迷いのない声だった。

ミイナは、ゆっくりと膝を立てた。

指先が震えている。

それを見ないようにして、鉄格子に近づく。

「外……こわい」

『大丈夫だ。俺がついてる』

鍵を取ろうとして、指が滑った。

床に落ちる音が、やけに大きく響く。

ミイナは一度、息を止めた。

誰かが来る気がした。

怒鳴り声と、殴られる痛みが、頭の奥でよみがえる。

それでも、しゃがみこんで鍵を拾った。

冷たい。

重い。

どれが合うのか分からない。

一つ、違う。

また違う。

鍵穴に差し込んだ手が止まる。

「ニイナ……ごめんね……」

ミイナは、ぎゅっと目を閉じた。

そして、鍵を回した。

――ガチャリ。

音は、拍子抜けするほど小さかった。

鉄格子が、わずかに揺れる。

ミイナは、しばらくそれを見つめてから、

恐る恐る、手を伸ばした。

開いた。

檻の外の空気が、肌に触れる。

ミイナは、初めて自分の意思で、一歩だけ外に出た。

『出れたじゃねえか。行くぞ! 時間がない。ついてこい』

「黒猫さん、待って。

 何がどうなってるの?

 教えてくれなきゃ、わからないよ」

『ええい。今は時間がない!

 とにかく行くぞ!

 逃げながら話してやる』

黒猫はピンと尻尾を立て、急かすように言った。

『まずは路地裏に向かう。

 そこで手下どもと合流だ』

「手下?

 黒猫さんの友達ってこと?」

『手下は手下だ。

 ええい、まどろっこしい。

 で、聞きたいことってなんだ?』

せかせかと歩く黒猫の後ろを、忍び足でミイナが続く。

「ねえ、この指輪は何?

 なんで追われてるの?」

『シャクナ族の指輪。

 解呪の一族。

 正確には、その里の場所を指し示す呪具だ』

「しゃくな……?

 かいじゅ……?

 よくわからないよ……」

『わからないなら、それでいい。

 烏男はそれを狙ってるんだ。

 だから、さっさと逃げる。以上』

路地裏に入る。

旋風が砂を巻き上げ、埃っぽく感じる。

黒猫は構わず、スタスタと歩き続ける。

「……ねぇ、黒猫さん。

 ……ニイナ、生きてるよね?」

ミイナの声は震えていた。

黒猫は、思わず立ち止まる。

『わからない。

 それでも、お前が死んでいい理由にはならない』

「でも……」

その時、背後から怒鳴り声が響いた。

「脱走だ!

 逃げたぞ!

 あの女のガキだ!」

『ヤバいな。

 もうバレたのか。

 話は終わりだ。先を急ぐぞ』

黒猫は、有無を言わさぬ口調でぴしゃりと言った。

ミイナも口をつぐみ、黒猫の後に続いて駆け出した。



路地裏を右に左に、黒猫の後をついて走ること数分。

通りを曲がると、細い一本道に出た。

建物の土壁が、両端に聳えている。

『よし。ここを抜けると、もうすぐだ』

「待って……黒猫さん……速いよ……」

ミイナは肩で息をしていた。

必死に呼吸を整える。

その時だった。

「いたぞ!

 奴隷のガキだ!」

背後から怒鳴り声。

振り返ると、奴隷商の手下の髭面の男が、

棍棒を振り乱しながら追いかけてきた。

『マズイ!

 チビ娘!

 走れるか⁉︎』

「うん……

 辛いけど……

 まだ、もう少しだけなら……あっ!」

ミイナは、驚愕の声を上げた。

路地の進行方向、前方からも追っ手が現れたのだ。

完全に挟み撃ちにされた格好だった。

『……いいか、チビ娘。

 よく聞け。

 俺の言う通りにするんだ』

「……うん。

 でも、どうやって」

追っ手は、ジリジリと距離を詰めてくる。

『走れ!』

黒猫の一声で、ミイナは前方に向かって駆け出した。

追っ手は面を食らったような表情をしたが、

すぐに気を取り直し、棍棒を振り上げてこちらに向かってくる。

『しゃがめ!』

棍棒を振りかぶった瞬間、黒猫が叫んだ。

ミイナは、その場にうずくまるようにしゃがみ込んだ。

急に視界から消えたミイナに、追っ手は足を取られ、

前につんのめる。

そして背後の追っ手に突っ込むようにして、派手に転んだ。

『やったぜ。

 先を急ぐぞ、チビ娘!』

「う、うん」

一匹と一人は、路地の向こうへと消えていく。

ミイナの胸は、まだ痛いほど鳴っていた。



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