剣と修行
ミイナが片足で夜明けまで立てるようになった時には、一か月以上が経過していた。
この頃からミイナは、一時間でも二時間でも、軸をぶらさずに片脚で立てるまでになってきた。
『よし。合格でござるよ。よくやった、ミイナ殿。次へ進むでござる』
「やった! 次は何をするの?」
『“剣”を持つ。そして、あとは同じでござる』
クロスケはそう言うと、手頃な棒切れを見つけてきた。
『上段に構えて振り下ろす。そして、その姿勢のまま、動くな』
「え? また? 振ったりしないの?」
『左様。“剣”は振り回すものではない。ミイナ殿には、まずは“型”を叩き込むでござる』
「型?」
『そうでござる。それとも拙者が信用できないか? それなら、別の者に修行を頼むでござるが……』
「ううん。クロスケさんのこと、信じてるよ。だから、続けてください。お願いします!」
ミイナは剣を上段に構えて振り下ろす。
そして、そのままの姿勢で立ち続けるのだった。
*
『拙者が教える剣の型は“十”ある。そのすべての形を、正しく身体に叩き込む必要がある』
唐竹割、右袈裟、左袈裟、右胴、左胴、逆右袈裟、逆左袈裟、逆唐竹、そして突き。
その九つに、抜刀前の構えを合わせて“十の型”だった。
それぞれの型を、正しい姿勢で一時間でも、二時間でも、長時間立っていられるようにしなければならない。
ミイナがすべての型で立っていられるようになる頃には、二年が経過していた。
*
『よし。ミイナ殿。よくここまで頑張ったでござるな』
「え? どうしたの、クロスケさん」
『教えられることは、もうないでござる。あとは実践あるのみ』
「そんな……まだまだ、実戦なんて私……」
ミイナは不安そうな声を上げる。
『大丈夫でござる。拙者を信じて。卵拾いの後、村の子供たちと立ち合いでござる』
「……はい」
ミイナは渋々といった形だったが、反論することはなかった。
水汲みの時間になった。
ミイナは、バケツ二つを持って走って運べるようになっていた。
それでも、ギギたちの方が速い。
「遅いゾ! 鱗なシ!」
バケツ三つを持ち、通り過ぎる時に、いつものように罵声を浴びせてくる。
「……はいはい」
ミイナは慣れたもので、いつものように受け流した。
卵拾いは、ミイナの得意分野になっていた。
最初はランダムに産んでいるように思われた武軍鶏の卵だが、実は規則性があることに気づいたのだ。
(今日産むあの子は木陰を好む。明日産む子は日向だったよね)
ミイナは、最短距離で卵を運べるようになっていた。
*
そして、夕暮れ。
『……というわけで、立ち合いを申し込むでござる』
ミイナはクロスケの指示で、ギギに立ち合いを申し込んでいた。
観客には、取り巻きのググ、ゲゲ、ゴゴもいる。
ギギの背丈は二年前よりも伸び、人間の大人を遥かに越していた。
筋骨隆々とまではいかないが、がっしりとした若者特有の健康的な肉体だった。
「いいのカ? 鱗なシ。俺も親父ニ、剣を教わってル。怪我するゾ?」
「うん。構わない。よろしくお願いします」
ミイナは、はっきりと答える。
「一本目、始メ!」
ググの掛け声で、試合は始まった。
ギギが木刀を上段に振りかぶる。
そして、強烈な振り下ろし。
ミイナも木刀で受ける。重たい。手が痺れた。
ギギはすかさず、ミイナの腹に蹴りを入れ、今度は胴を薙ぐように横に木刀を振る。
ミイナはこれも受け止めるが、木刀が弾かれてしまう。
ミイナの眼前に、ギギの木刀が寸止めされる。
「勝負あり!」
ググが宣言し、ギギが勝鬨を上げた。
ミイナは愕然としていた。
まったく勝てる気がしない。
この二年は、なんだったのだ。
絶望に打ちひしがれる。
せめて泣くものかと、歯を食いしばる。
その時だった。
『ミイナ殿。作戦タイムでござる』
クロスケが、軽い口調で言った。
*
「……クロスケさん。私、スピードもパワーも全然敵いません……。それに、動かない修行ばかりで、剣を振ったことすら……」
ミイナは焦りからか、早口でまくし立てた。
『大丈夫でござる。まずは落ち着いて』
クロスケの言葉に、一切の動揺はない。
『ミイナ殿。これは“剣”の勝負でござる。力比べでも、速さ比べでもない』
「え? それはどういう……?」
ミイナは首を傾げる。
『相手の長所と闘っては負ける。ミイナ殿の長所は、なんでござるか?』
「長所……」
思いつかない。
強いて言うなら、動物と話せることくらいか。
ミイナは、自分自身に失望するのを感じた。
『何かあるでござろう?』
「……動物と話せます」
それが何になるというのだ――
そんな思いを込め、吐き捨てるように言った。
『それでござる!』
「え?」
『本当に動物だけでござるか? 拙者とも、リザードマンとも、普通に喋れているではござらぬか。声も出していないのに』
「え……? それは、どういう……?」
ミイナは困惑した様子で、クロスケを見つめる。
『無自覚でござったか。ミイナ殿。それは立派な才能でござる。相手の心の声が、聞こえているのでござるよ』
クロスケは、案山子の瞳を真っ直ぐにミイナへ向けた。
『つまり、相手が何をしてくるか、どういう動きをしてくるかが聞こえてくる。ここまで言えば、分かるでござろう?』
「……え? ……え?」
ミイナは、まだ困惑している。
『相手の心の声に、耳を澄ませるでござるよ。これ以上伝えるのは野暮でござる。作戦タイム、終了!』
そう言うと、クロスケはぴょんぴょんと跳ねて、離れていってしまった。
ギギが近づいてくる。
「終わったのカ? 二本目も本当にやるのカ? 鱗なシ!」
嘲笑っている。ミイナは悔しかった。
「やります」
ミイナは言い切り、木刀を修行の時と同じく、抜刀前のように腰に構えた。
「二本目、始メ!」
ググの掛け声。
ミイナは、今度は耳を澄ませることに集中した。
(今度モ、上段からの振り下ろしデ、怯ませル)
聞こえた、とミイナは思った。
相手が振りかぶると同時に、ミイナは距離を詰めた。
そして、逆左袈裟の型で、がら空きになった脇を叩く。
「うぐッ!」
ギギが片膝をついた。
「しょ、勝負あり!」
ググが困惑したように言う。
「まぐれダ! もう一度ダ!」
今度は、ギギが正眼に構える。
「……わかったかも」
ミイナは変わらず、腰に木刀を添えて構えた。
(今度ハ、最短の突きデ、顔面を打ち抜いてやル!)
聞こえた。
ミイナは半身になって突きを躱し、そのままの姿勢で左胴を振り抜いた。
「勝負あり!」
今度は、ググがはっきりと宣言した。
「くそッ! なんで、鱗なしなんかニ! もう一度ダ!」
「いいよ。何度でも相手になってあげる」
ミイナは、わかった気がした。
剣は、振るのではなく――
“置いてくる”。
正しい型で、正しい場所に、剣を置く。
それだけで、よかったのだ。
この日、日が暮れるまで立ち合いは続いたが、ミイナは、もう一本も与えることはなかった。




