表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/24

砂とリザードマン

動物の鳴き声で、目が覚めた。

朝の光は白く、強く、天幕の布越しでも容赦がなかった。

風が吹くたび、砂粒が布を叩き、さらさらと乾いた音を立てる。

焦茶色の髪に、緑色の目を持つ少女ミイナは、ゆっくりと体を起こした。

寝床は地面に近く、毛皮と織布を重ねただけの簡素なものだった。

(あれ? ここ、どこだっけ?)

それが最初の感想だった。

天幕の外から、低く響く鳴き声が聞こえる。

鳥の声にしては重く、獣にしては規則正しい。

次いで、地面を踏み鳴らす振動。

どすん、どすん、と一定の間隔で近づいては遠ざかる。

ミイナは天幕の垂れを持ち上げ、外を覗いた。

そこには、砂の海があった。

波のようにうねる砂丘の合間に、いくつもの天幕が点在している。

布は黄土色や赤褐色。どれも低く、風を逃がす形をしていた。

そして――

その中央を、巨大な鳥たちが歩いていた。

武軍鶏と呼ばれるその鳥は、

二本脚で立ち、胴は人の倍以上。

羽毛は硬く、砂色に近い。

鋭い嘴と、強靭な脚。

背には鞍。

その側には、長い尾を引く巨大な者たちが手綱を引いていた。

蜥蜴人。

リザードマンである。

鱗に覆われた体は乾いた光を帯び、目は細く、周囲を常に測っている。

(……遊牧民、みたい)

定住しているのに、どこか仮住まいのような空気。

ここは「住処」であり、「通過点」でもある場所だった。

ミイナは、はっとして振り返る。

「……モノ?」

返事はない。

そうだった。

天幕の中に、黒猫の姿はなかった。

白猫の獣人、ペルシャもいない。

剣も、荷も、携帯用の水袋も――ない。

残っているのは、自分と、隣の天幕に横たわる案山子の戦士クロスケだけだった。

クロスケは、棒のように静かに横たわっている。

(……置いていかれた)

その言葉が、胸に落ちる。

見捨てられたわけではない。

それは分かる。

――預けられたのだ。



この場所、蜥蜴人の里に到着したのは、昨日の夜になってからだった。

「リザードマン?」

ミイナが尋ねる。

『そうだ。蜥蜴人。その里に昔の友人がいる』

夜のような漆黒の毛並みに、額の白い×模様。

そして、空色の眼をもつ猫、モノが応える。

「見た目は怖いですが、気のいい人たちですよ」

純白の髪に猫耳と尻尾。

そして途方もない美貌を持つ剣士、ペルシャが続いた。

『リザードマン。懐かしいでござるな。名前は確か……何でござったか?』

馬駱駝に荷物のように積み込まれた案山子、クロスケは頭を捻っていた。

クロスケは戦士だ。呪いで案山子にされてはいるが、エステラという魔力を注いでもらうことで、自立移動ができていた。

『名前はギガ。魔王討伐前からの付き合いだ。

今は里長をやってるとの噂だ』

魔王。

かつての暗黒時代を築いた暴君は、約百五十年前、勇者によって討伐された。

しかし、勇者とその仲間たちは呪いを受け、姿を変えられてしまう。

その勇者がモノで、仲間の戦士がクロスケというわけだ。

「よくきたナ。黒猫の勇者ヨ」

里長のギガは、大きなリザードマンだった。

がっしりとした体躯、丸太のような尻尾、強靭そうな顎。

肌は砂色の鱗で覆われている。

『ああ。世話になる』

モノが答えるが、おそらく通じていないのだろう。

ペルシャが通訳する。

「モノは、世話になると言っています」

「そうカ。ゆっくリ、していくといイ。

今日はもう遅イ。その天幕をつかってくレ」

ギガは背後にある天幕を指差した。

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

一行は天幕で休息を得たのだった。



『ミイナ。聞いてくれ』

天幕で休んでいると、モノがミイナに話しかけた。

「どうしたの? 猫さん」

ミイナは首を傾げる。

『いい加減、その猫さんっていうのはやめてくれよ』

「ごめんなさい。なんか、しっくりこなくって……」

『まぁいいか。ペルシャとも話したんだが、情報が足りない』

「情報?」

『ああ。仲間のハイランドとフィリアの情報だ。

奴らは、人間の生活圏では暮らせない見た目をしている。

だから今度は、魔物が闊歩する危険な領域に行かなければならない』

「危険?」

ミイナは心配そうに尋ねた。

『ああ。だから、ここに残って欲しい。

情報収集は、俺とペルシャで行く』

「え……?」

『この前の戦いで分かっただろう。

敵の狙いはミイナ。お前だ。

ここならば、リザードマンたちが守ってくれる。

敵も簡単には手出しできない』

「……うん」

ミイナは俯く。

『分かってくれるか?』

ミイナは本当は「嫌だ」と叫びたかった。

「私も一緒に連れていって」と縋り付きたかった。

でも、そうはしなかった。

「……うん。わかった……」

ミイナは、そう答えるしかなかった。

足手まといになると、分かっていたから。



蜥蜴人の里で目を覚ましたミイナが、まずやることは、案山子のクロスケにエステラを注ぎ込むことだった。

そうしないと、クロスケは動くことができないからだ。

『かたじけない。ミイナ殿。おはようでござる』

「おはよう。クロスケさん」

いつも通りの挨拶を交わす。

それから天幕の外へ出る。

ミイナは、砂の上に立つ蜥蜴人たちを、もう一度見た。

強そうだった。

そして、厳しそうだった。

その時、背後から低い声がした。

「目が覚めたカ、人の娘ヨ」

振り返ると、背の高い蜥蜴人――里長のギガが立っていた。

首には骨の飾り。腰には曲刀。

その視線は、ミイナではなく――

まず、クロスケを見ていた。

「ここは、我ら砂族の里ダ」

「お前たちハ、しばらく“客人”として預かル」

ミイナは喉を鳴らした。

「……ありがとうございます。何か、お手伝いできることはありますか?」

蜥蜴人は、わずかに口角を上げた。

それが笑みなのかは、分からない。

「殊勝なことダ。いい子供だナ」

ギガの口角が、僅かに上がる。どうやら笑っているらしい。

「まずハ、子供たちと一緒二、水汲みト、卵拾いをやってもらおウ」

砂の風が吹き抜ける。

遠くで、武軍鶏が再び鳴いた。



村には、蜥蜴人の子供が四人いた。

名前はそれぞれ、「ギギ」「ググ」「ゲゲ」「ゴゴ」と言った。

「おイ! そこの鱗なシ!」

それが、ミイナが最初にかけられた言葉だった。

子供たちのリーダー格、ギギである。

ミイナは最初、仲良くなろうと話しかけたり、握手を求めたりした。

だが、悉く無視され、からかわれるようになったため、諦めた。

最初の仕事は水汲みだった。

バケツを一つ持ち、数キロ離れた水場へ汲みに行く。

それを一日に三往復する。

他の蜥蜴人の子供たちは、両手に一つずつ、さらに尻尾に一つ。

合計三つのバケツを一度に運んでいた。

ミイナは、一つのバケツでも重く、何度も地面に降ろしながら、時間をかけて運んだ。

その脇を、すいすい、ひょいひょいと、子供たちが通り過ぎていく。

そのたびに、

「遅いゾ、鱗なシ!」

と罵声を浴びせられた。

それが終わると、卵拾いの仕事だった。

武軍鶏は夜になると、平飼いの柵に囲われ、その中で卵を産む。

卵は蜥蜴人の主食であり、生活の根幹に関わる大切なものだ。

だが、ミイナにとっては、これも重労働だった。

柵の中といっても、平飼いの面積は、とてつもなく広く感じられる。

その中から、人の頭ほどもある卵を抱え、出口まで運ぶのだ。

ずっしりと重い卵を、落とさないよう慎重に運ぶのは、ミイナには大変な作業だった。

それでも、蜥蜴人の子供たちは、両脇に一つずつ卵を抱え、軽々と運んでいく。

ミイナは、情けなさとやるせなさで、涙が出そうになるのを堪えることしかできなかった。 



仕事を終え、天幕に戻る頃には日が傾いていた。

両脚は疲労で棒のようになり、手の筋肉も震えていた。

「おかえりでござる、ミイナ殿」

「……ただいま。クロスケさん」

いつもの挨拶。

しかしこの日は、クロスケが何かを感じ取ったようだった。

「元気がないでござるな。何かあったでござるか?」

ミイナは、一瞬だけ言葉に詰まった。

天幕の布に視線を落とし、しばらく黙る。

「……私、役に立ってないなって」

ぽつりと、零れた。

「水汲みも、卵拾いも……みんなより遅くて」

「鱗がないって、言われて」

「……私、ここにいても……」

それ以上は、言えなかった。

喉の奥が詰まり、声が震えそうになる。

クロスケは、しばらく黙っていた。

案山子の顔は動かない。だが、その沈黙は軽くなかった。

『……なるほど』

やがて、低く、落ち着いた声で言う。

『ミイナ殿は、自分が弱いと思っておられるのでござろう』

「……うん」

『役に立たぬ、と』

ミイナは、小さく頷いた。

クロスケは、ぴょん、ぴょんと歩み寄ってくる。

棒のような脚が、砂を踏む。

『拙者も、そう思ったことがあるでござる』

ミイナは顔を上げた。

『昔、拙者は、ただの百姓の倅でござった』

『剣も振れず、何も守れず、目の前で師を失った』

クロスケの声は淡々としている。

だが、その一言一言が、重かった。

『その時、拙者は思ったでござる』

『このままでは、何も変わらぬ、と』

ミイナは、無意識に拳を握っていた。

『ミイナ殿』

『弱いことは、恥ではないでござる』

クロスケは、一歩近づく。

『弱いと知って、立ち止まることこそが、恥なのでござる』

「……」

『今日一日、逃げたでござるか?』

ミイナは首を振った。

『泣き喚いて、投げ出したでござるか?』

再び、首を振る。

『ならば、それでよい』

クロスケの声が、少しだけ強くなる。

『戦士とは、生まれつき強い者のことではない』

『倒れても、踏まれても、立とうとする者のことを言うのでござる』

ミイナの胸が、きゅっと締めつけられる。

『拙者は、ミイナ殿が今日ここへ戻ってきたことを、誇りに思う』

「……クロスケさん……」

『そして――』

クロスケは、ゆっくりと棒を握った。

『もし、ミイナ殿が“強くなりたい”と思うのであれば』

『拙者は、全力で付き合うでござる』

ミイナは、思わず息を呑んだ。

「……修行、ってこと……?」

『うむ』

クロスケは、はっきりと頷く。

『もっとも、拙者は戦士ゆえ、魔術を教えることは出来ぬ』

『“剣”の修行のみでござる』

「剣……?」

『左様。ミイナ殿には、きつい修行になるやも知れぬが、どうする?』

砂の外から、夕暮れの風が吹き込む。

天幕の布が、かすかに揺れた。

「私、やりたい!

強くなりたい!

もう、二度と置いていかれないように!」

ミイナは即答する。

『うむ。そう言うと思っていたでござる』

クロスケは、深く頷いた。

『明日から、夜明け前に起きるでござる』

『まずは、拙者と同じだけ立ってもらう』

ミイナは、ゆっくりと顔を上げた。

「……私でも、できる?」

クロスケは、迷いなく答えた。

『できるかどうかではない』

『やるかどうかでござる』

少しだけ間を置いて、付け加える。

『拙者は、ミイナ殿が“戦士になる顔”をしていると、思うでござるよ』

その言葉に、胸の奥が熱くなった。

悔しさも、情けなさも、全部ひっくるめて。

ミイナは、深く息を吸う。

「……お願いします」

「私、強くなりたい」

クロスケは、満足そうに頷いた。

『うむ。それでこそでござる』

天幕の外では、砂族の里に夜が降り始めていた。

だが、ミイナの中では――

確かに、何かが変わろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ