案山子の戦士と猫勇者
石麦畑を抜け、荒地を越え、ミイナが村へ辿り着いた頃には、陽はすでに登りきっていた。
「助けてください!」
そう叫ぶと、ミイナは村人を連れて洞窟へ引き返した。
大人二人がかりでナディルを抱え上げ、村へと運ぶ。
ミイナは雨雲の杖を抱え、その後に続いた。
村人たちは案山子戦士の姿にどよめいたが、ミイナが「怪我人がいる」と叫ぶと、すぐに道を空けた。
村長の家の空き部屋の一つに、ナディルは寝かされた。
寝台に横たえられたその顔色は悪い。
「冷たい……」
ミイナがナディルの手を握ると、その体温の低さに息を呑んだ。
呼吸はある。しかし、浅い。
「傷は深くないが、血を抜かれすぎておる」
年配の女が、裂けたローブを切りながら言った。
村で薬師をしているらしい。
「切り傷が多い……刃物か、爪か、歯か……レッドキャップは血が好物だからね」
湯が運ばれ、布が浸される。
赤黒く染まった水が、床に落ちていった。
ミイナは何もできず、ただ端で立ち尽くしていた。
手が震え、喉が渇く。
『娘御』
背後から、案山子戦士の低い声がした。
『この者は、助かる。安心せい』
それだけだった。
あまりにも簡単な励ましの言葉。
だが、その言葉は不思議と力強く感じられた。
ミイナは強く頷く。
「……うん」
やがて、ナディルの呼吸が少しだけ落ち着いた。
薬師は額の汗を拭い、深く息を吐く。
「今夜が山だよ」
ミイナはナディルの傍に腰を下ろした。
握った手を、離さなかった。
*
『なるほど。烏男の次は蝋燭男か』
『左様。百年ぶりに顔を見たと思えば、また厄介ごととは……相変わらずであるな』
『お前もな、クロスケ。そのエセ侍口調、まだ治ってなかったのか』
『なっ……!?エセとは失敬な。拙者は歴とした侍でござる!』
『侍に憧れて戦士になった、農民の息子だろ』
『ぐぬぬ……否定はせん。だが侍とは心意気でしょうが!』
『はいはい。そうだったな。実際、戦士としては一流だった』
村外れの麦畑。
風に揺れる穂の間で、猫勇者モノと案山子戦士クロスケは向かい合っていた。
百年という時の隔たりは、二人の間ではほとんど意味を持たなかった。
「それはそれとして……どうするんです?」
ペルシャが周囲を一瞥し、モノに視線を向ける。
「その蝋燭男、また来ますよ。狙いはおそらく――」
『ミイナか』
クロスケが先に言った。
『あるいはナディル。最悪の場合、この麦畑そのものということも考えられるな』
モノが続けて頷く。
『いずれにせよ、対策は必要である。拙者はエステラがなければ長くは動けぬ。再びミイナ殿に注いでもらわねばならん』
『いつ来るかわからない、というのが一番厄介だな』
「普通に考えれば……ナディルさんが回復しきらない、今夜でしょうか」
『ああ。夜警に立つべきだろうな』
『それなら任せよ。拙者、案山子ゆえ眠らぬ』
『それは頼もしい』
ペルシャは一瞬、二人を見比べてから首を傾げた。
「……あなた達、普通に会話してますよね?
私にはクロスケさんの言葉、まったく理解できないんですが。昔の仲間だからですか?」
『さあな』
『わからぬ』
二人は、ほぼ同時に答えた。
「まぁ……いいですけど」
ペルシャは小さく肩をすくめ、静かに言った。
「この村とミイナは、渡しません」
麦畑を照らす陽は、いつのまにか西に傾き始めていた。
*
夜がきた。
案山子の戦士クロスケは、畑を見渡せる丘に立っていた。
あの後、ミイナから事情を聞いた村人は激昂した。
村を救ってくれるはずの雨降師が瀕死にされたのだ。
蝋燭男とレッドキャップと戦うと言って聞かなかった。
しかし、ペルシャの、
「彼女の怪我は護衛である我々の落ち度です。
それに素人は足手纏いになります。夜には家に篭って鍵をかけて出ないように」
という言葉に出鼻を挫かれ、渋々ながら村人たちは村に留まることを選んだ。
(この村は潰させぬ)
クロスケは心の中で呟いた。
案山子になってから、いくつもの村を転々としてきた。
その村々は悉く、滅んでしまっていた。
ある村は旱魃で、
ある村は過疎で、
そしてある村は、魔物の襲撃で。
魔物に焼かれる村を見るたび、どれほど悔しかったか。
動けぬこの身を、どれほど恨んだか。
(今度は動ける。ミイナ殿のおかげだ。いつでも来るがいい)
クロスケは心の中で決意する。
今度こそ。
今度こそ、大切な村を守り抜くと誓う。
そして、その時はやってきた。
石麦畑の端。
やはり、昼間の洞窟があった方角から、彼らは姿を現した。
決戦の時は、確かに近づいていた。




