失踪と千本案山子
石麦村は、思っていたよりも大きかった。
畑が、広がっている。
見渡す限り、岩混じりの土地に、硬そうな麦が整然と並んでいる。
砂漠の縁にあるとは思えないほど、人の手が行き届いた光景だった。
畑のあちこちには、奇妙なものが立っている。
木と布で作られた、粗末な人型。
一本、二本ではない。
畑を囲むように、無数の案山子が並んでいた。
「……すごい数ですね」
ミイナが呟くと、ペルシャが答える。
「千体あるそうですよ。
この村の名物で、“千本案山子”と呼ばれています」
「そんなに……?」
「魔物避けです。
砂漠は食糧に乏しく、石麦は栄養も高い。狙われやすいのです」
バラクーダが村の入口に入ると、すぐに人々が気づいた。
「雨降師だ!」
「やっと来てくれた!」
「今度こそ……!」
声が上がり、畑仕事をしていた人々が顔を上げる。
誰もが、期待を隠していなかった。
ナディルは、慣れた様子で応じる。
「お待たせしました。
雨降しは、明日にでも始められます」
それだけで、村の空気が少し緩んだ。
安堵が、あちこちに広がっていくのが分かる。
その日は、村の宿に泊まることになった。
石造りの建物で、壁は分厚く、砂漠の夜でも中は暖かい。
用意された食事は質素だったが、腹にしっかりと溜まった。
「今日は、もう休みましょう」
ナディルの言葉に、誰も反対しなかった。
長旅の疲れが、静かに体に残っていた。
ミイナは、寝床に横になりながら天井を見つめていた。
(……村だ)
人のいる場所。
雨を待つ人たちのいる場所。
胸の奥が、少しだけ重くなる。
自分は、ここで何ができるのだろう。
そんなことを考えているうちに、眠りは自然に訪れた。
*
朝。
パンを焼く匂いで、ミイナは目を覚ました。
外からは、人の声。
桶に水を汲む音。
村は、すでに動き出している。
「……あれ?」
起き上がって、気づく。
隣の寝床が、空だった。
「ナディルさん……?」
返事はない。
ミイナは、慌てて部屋を見回す。
杖がない。
外套もない。
胸の奥が、ひやりと冷えた。
「ペルシャさん!」
廊下に出ると、ペルシャはすでに起きていた。
モノは、彼女の肩の上で目を細めている。
「ナディルさんが、いません」
ペルシャの表情が、わずかに変わる。
「仕事に行くにしても早いですね。
散歩でもしているのでしょうか?」
モノが、低く唸る。
『さがしてみるか』
三人は宿の外に出る。
朝の村は、昨日と変わらず賑やかだ。
人はいる。
畑もある。
案山子も、黙って立っている。
けれど――
ナディルだけが、いなかった。
「……昨日の夜までは、確かに」
ミイナは、唇を噛む。
修行のこと。
明日からのこと。
確かに、話していた。
置いていかれた?
それとも――
「まずは、村の人に聞きましょう」
ペルシャの声は、落ち着いている。
だが、その視線は鋭かった。
ミイナは、拳を握る。
(……今度は、待たない。こっちから見つけてやるんだ!)
そう、心の中で決める。
朝の石麦村は、何事もないように動いている。
その中で、ひとつだけ欠けた存在が、はっきりと浮かび上がっていた。
雨降師、ナディル・ユーフラテス。
彼女のいない朝が、
静かに、異変の始まりを告げていた。
*
宿の主人は、首を横に振った。
「いや……見てませんな。
朝はいつも通りでしたよ。パンを焼いて、畑に行く連中を見送って……
雨降師様? それらしい人影は、見てません」
「本当に、誰も?」
ミイナが念を押すと、主人は困ったように眉を寄せる。
「ええ。村は狭い。
見慣れない顔が動けば、誰かしら気づくもんですが……」
次に声をかけたのは、畑仕事をしていた農夫だった。
日に焼けた顔に、深い皺。
鍬を肩に担ぎ、汗を拭いながら話す。
「雨降師様?朝は見てねぇな」
「夜中はどうですか?」
「夜ぁ、風が強くてな。
戸を閉め切って寝てた。外なんざ見ちゃいねぇよ」
別の農婦も、首を振る。
「朝は畑に直行したから……」
「夜に誰か出歩いていたか? いえ、見てないわ」
誰も、知らない。
誰も、見ていない。
ミイナの胸の奥で、不安がゆっくりと形を持ちはじめていた。
「……妙ですね」
ペルシャが、低く呟く。
「人が消えるには、静かすぎます。誰か目撃者がいるのが普通です」
モノが、耳を伏せた。
『なんにせよ。探すしかないな』
ペルシャは、村の外――
砂漠へと続く道と、畑の外縁を見渡す。
「私は、村の外を見ます」
「え?」
「外へ出たなら、痕跡は必ず残る」
その声音には、迷いがなかった。
モノは、くるりと尻尾を振る。
「……私たちは?」
モノは、石麦畑を見た。
『畑だ』
「畑……?」
『人目が少ない。
それに、昔の仲間がそこにいるかもしれない。この村に来た当初の目的だな』
「仲間?」
『ああ。確証はないが。行ってみないか?
ナディルのことも、何か知っているかもしれん』
ミイナは、少し迷ってから頷いた。
「……行こう」
石麦畑に足を踏み入れると、音が変わった。
砂利を踏む音が減り、
土を踏みしめる鈍い感触が、足裏に伝わる。
石混じりの土地に、穂をつけ始めた麦が整然と並んでいる。
その間に、案山子。
一本や二本ではない。
等間隔で、無数に立っている。
「……やっぱり、すごい数」
風が吹くたび、布がはためき、
木の骨組みが軋む。
誰も動かないのに、
誰かに見られているような気がした。
モノは、案山子の間を縫うように歩く。
『……』
耳を伏せ、慎重だ。
ミイナは、その後ろをついていく。
畑を見渡せる丘になっている場所に着いたときだ。
「あ……広い」
あたり一面に麦、麦、麦。
そしてその間を縫うように、案山子、案山子、案山子。
流石に千本案山子というだけあって、とてつもない数だ。
「この中から、猫さんの仲間を探し出すの?
目印とかはないの?」
『ううん。困った。
前に会ったのは百年近く前だ……あまり覚えていない。
確か、赤いスカーフを首に巻いていた気がするんだが……』
赤いスカーフの案山子。
そして、ナディル。
探すものが倍に増えただけだ。
内心、ミイナは途方に暮れていた。
「と、とりあえず、片っ端から赤いスカーフの案山子を探してみようよ」
『ああ、そうだな。
ミイナはそっちの方を頼む。俺はあっちを探してみる』
モノとミイナは二手に別れ、
案山子とナディルを探して歩き出した。
*
石麦畑は、どこまでも続いていた。
等間隔に並ぶ麦。
その間に立つ、無数の案山子。
風が吹くたび、布が擦れ、
木の軋む音が混じる。
それだけのはずだった。
――最初は、気のせいだと思った。
『……一万三百二十七……』
かすれた声。
風に溶けそうなほど小さい。
ミイナは、足を止めた。
「……え? なにか聞こえた?」
返事はない。
畑は静まり返っている。
もう一度、耳を澄ます。
『……一万三百二十八……』
確かに、声だった。
音のする方へ、ゆっくり歩く。
麦をかき分けるたび、足元で土が鳴る。
やがて、一体の案山子の前に出た。
他と変わらない。
木の十字。
棒に布切れを巻きつけた胴体。
顔の代わりに巻かれた古布。
両腕を広げ、畑を見渡すように立っている。
そして、首には赤いスカーフが巻かれていた。
なんの変哲もない案山子に見える。
――だが。
『……一万三百二十九……』
布の奥から、声がした。
ミイナの喉が、ひくりと鳴る。
「……しゃべって、る?」
案山子は動かない。
首も、腕も、ピクリとも動かない。
それでも、声だけが続く。
『……一万三百三十……昨日と、同じ……』
数えている?
この畑の麦を?
毎日?
同じ位置から?
ミイナは、無意識に一歩後ずさった。
それから意を決して、声をかける。
「……あの……」
「………?」
案山子は、動かない。
それでも、確かに“こちらを認識している”。
『……子供だ……こんなところで何をしている……
拙者に話しかけた?……まさかな……
一万三百三十一……』
布の下で、何かが微かに軋む音がする。
「……話しかけてます。
あなたが黒猫さん……モノさんのお友達のカカシさんですか?」
ミイナは、意を決して尋ねた。
『黒猫? モノ? あれ? 本当に拙者に?』
「そうです。カカシさん。
私、ミイナっていいます。
あの、この辺りで女の人、見ませんでしたか?」
『女の人……見た。……気がする。
いや、レッドキャップだったか……?』
「レッドキャップ?」
聞きなれない単語だ。
ミイナは、首を傾げる。
『そう。赤い鶏冠を持つ魔物。
その魔物が運んでいたのが、女の人だったような……』
「魔物!
どこに行ったんですか⁉︎ 教えてください!」
『だが拙者は案山子。
見ることはできても、動くことができぬ。
エステラでもない限りな……』
「エステラ?
あの、私の魔力……エステラでもいいんですか?」
ミイナがおずおずと尋ねる。
『なんと! 魔術師であったか!
それならば話が早い。
お主のエステラを拙者に流し込んでくれ。
さすれば、レッドキャップの消えた方向へ案内しようぞ!』
ミイナは、意を決して案山子の足を掴んだ。
「はい! よろしくお願いします!」
そして、手のひらから――
あの吸い取られる感覚。
水を浮かせるときと同じようにして、エステラを流し込んでいく。
『お。おお! 動ける、動けるぞ!』
案山子は身震いすると、その場で一回転し、
そして、跳ねた。
『礼を言うぞ、娘御。
さて、レッドキャップが消えたのは、あちらの方向だ。
着いてまいれ』
案山子は、ケンケンと飛び跳ねながら、石麦畑を横切っていく。
「あ、待って!」
ミイナは、それを慌てて追いかけるのだった。




