23.畑と日常と、小さな願い
グランツ卿の部屋をノックすると、部屋の中から彼が出て来た。
「どうされました?」
「ゆっくりしている所をごめんなさい。聞きたい事があるのだけど、いいかしら?」
「?」
顔に疑問符を浮かべて彼がこちらを見る。
「伯父様が、あなたが生活をする上で不便を感じているようだから、その為に離れを建てると仰っていたのだけれど」
切れ長の瞳を大きく見開いたグランツ卿が、これでもかと首を真横に振る。
「俺なんかの為にそこまでしなくて結構です! 断れますか?」
「一旦確認をしてから、と話をしているわ。本当に不便を感じているのなら、何かしら対応するけれど……」
ぐぐ、と眉根を寄せたグランツ卿が、困った様にこちらを見る。
「実は、先日閣下と話をした際に風呂の話題になりまして……」
「お風呂?」
「はい。素直に庶民と同じ様に、桶に湯を溜めて使用していると正直にお伝えした所、閣下から離れの増築を提案されました」
「それには、何て答えたの?」
「全力で断りました」
はぁ、とグランツ卿がため息を吐く。——ダンスの練習に誘ってから、グランツ卿ととても話しやすくなった様な気がする。
「お風呂なら共用で使っても問題ないと、私も言ったじゃない」
「では聞きますが、閣下にそのまま伝えて許されると思いますか? 御令嬢と一介の騎士が、です」
「……身分や性別上、とても問題になるわね」
顎に人差し指を当てて考える。
「言い訳はこちらで用意しておきましょう。一先ず断っておくわね」
「ありがとうございます」
「他に何か不便に感じている事や困っている事はない? 私に話しにくい事は、伯父様に話せる様に場所を設けるわよ」
「……………………」
とても考えている様子のグランツ卿が、宙を見つめた後、ゆっくりとこちらを見る。
「何?」
「いいえ。相談するのなら、あなた様が一番だと思った次第です。侯爵様に話す場合は、あなた様同席をお願いするかと思います」
「私が主人だから、その辺りが妥当ね。分かったわ。困った事があったらちゃんと言ってちょうだいね」
「では、早速一ついいですか?」
「どうぞ」
「青物や足の早い野菜が無くなりました」
頭の中で食糧庫の在庫を思い出して、ああ、と頷く。
「そうね」
「入手法は買い出すか、苗や種子を買って植えて育てるのも手だと思います。ただ、俺一人で買い出しに出た際に、あなた様に何かあったら大変だ」
「伯父様か執事長に相談して、侯爵邸から持って来てもらいましょうか。もしくはグランツ卿が買い物に行っている間だけでも、侯爵邸の誰かに来てもらう様手配してもいいわ」
「では、そうしましょう。俺は今から畑作業を行いますが、エリシア様はどうされますか?」
「邪魔にならなければ見学してもいい?」
「もちろんです」
「じゃがいもの植え付けは? まだ行わないの?」
「もう少し先ですね。もっと芽がしっかり出てからです」
彼に着いて屋敷を出る。屋敷の壁際に並べて干されているじゃがいもを手に取って、ほら、と彼が見せてくれた。
「これが一番出ていますが、まだ小さいです」
「そうなの……てっきりすぐに植えられる物だと思っていたわ。簡単に植えましょうと言ったけれど、面倒だったのではなくて?」
「いいえ。無駄にならなくていいと思います」
外に出したままになっている椅子の上にハンカチを広げて、どうぞと勧められる。ありがとう、と礼を言って腰掛けた。
「手伝うことはない?」
「鍬で畝を作るから、そこで見ていてください。今日の体調は?」
「……まずまず、と言った所ね」
「昼食はどうしましょう?」
「それなら作れるわ。何が食べたい?」
納屋から鍬を取り出したグランツ卿が、地面に鍬の頭を置いて考える。
「ではパスタで」
「分かったわ。卵にチーズがあったから、炭焼き職人風にしましょうか」
「お願いします」
返事をして、彼は鍬を振るい始める。
彼は、とても勤勉だ。
早朝、日の出と共に起きて鍛錬を行い、その後掻いた汗を身綺麗にしてから、パン屋の少年が持って来たパンや牛乳の配達を受け取り、朝食を用意してから私が起きてくるか、起きて来ない場合は様子を確認するために塔に上がって来る。
朝食後は周囲の見回りや、引き続き鍛錬をするか、畑の手入れを行なっている。私の体調次第で、昼食や夕食を作ってくれたり、さらには看病もしてくれるのだから本当にすごい。
「……………………」
鍬を振るう度に動いて盛り上がる彼の筋肉を見ながら、つらつらと考える。
対する私は、朝はのんびり起きてくるし、調子がいい時は昼食や夕食を作って、空き時間は読書か編み物。辛い時はソファーに凭れて大人しくしているか、それでもしんどい時は自室のベッドで横になっている。
……余命が判明している病人だとしても、少し甘えすぎだろうか。元気な人は、病室で筋トレをして医者に止められると聞く。私にも、もう少し元気があればもっと色んな事が出来るのだろうか。
「………………」
グランツ卿の襟元から、大胸筋が見え隠れしている。すごい筋肉だよなぁ……辺境に来て騎士の業務を本格的に行なえてないから、筋肉を維持するのが大変だろうに。すごいな……あれだけの筋肉があったら、一体何が出来るのだろう。
「エリシア様、そういえば次の往診の日は……」
——あんな風に、自由に動けたら。
「馬に乗りたい」
グランツ卿の、鍬を動かす手が止まった。え? と疑問符を浮かべた視線を向けられて、徐々に自分が何を言ったのかに気付く。
「ご、ごめんなさい! ぼうっとしていたわ!」
「……どうして、馬?」
「考え事をしていただけなの! どうか気にしないで!」
恥ずかしくて顔に熱が集まる。必死に自分の前で手を振るが、それでもグランツ卿は怪訝な表情のままだ。
「移動手段の話ですか?」
「……あなたの筋肉を見ていたら、つい、そう思ってしまって」
「筋肉……?」
「本当に、何でもないから!」
鍬を置いたグランツ卿が、怪訝な顔のまま顎に手を当てて考える。
「乗りたいのは引き馬ですか?」
「……いいえ、一人で乗る乗馬よ」
「それは、どうして?」
「……亡くなったお母様が、乗馬が得意と聞いていたから」
視線を逸らしながら、そう呟く。
「だから、本当に何も気にしないで。つい口から出てしまっただけだから」
「……いいのでは?」
グランツ卿の言葉に、弾かれたように顔を上げる。
「馬に乗るのに身体を鍛える必要がありますが、引き馬や二人乗りならそうでもないでしょう。それに馬がいれば荷物を運ぶのにも大変便利です。そうだ。街にも一緒に行けますよ」
「でも、二人乗りは馬に負担がかかるのでは?」
「北部は馬の産地で軍馬を騎士団に産出しています。甲冑を付けた騎士を乗せて走れる馬ですから、俺とあなた様を軽々と運べるかと」
「確かに、伯父様も牧場を何個か持っているけれど……」
「一度相談してみては如何でしょうか? 名目上は追放されていますから、移動手段を得るのに何か制約もあるかもしれません」
「そう……ね。念の為相談してみましょうか」
室内に戻って通信珠に触ると、数拍も待たないで伯父様と繋がった。
『エリー! また話せて嬉しいぞ。離れの件はどうだった?』
「それは不要になったわ。伯父様、相談があるのだけれど……」
『なんだ?』
「……馬を、手配して欲しくて」
通信珠の向こうが、静かになる。やはり難しいお願いかと、唾を飲み込む。
『馬? いきなりどうして?』
「街に買い出しに行くのに、移動手段が欲しくて……」
『必要な物なら、侯爵邸から手配するぞ』
「それでもいいのだけれど……その、無理な話だとは自分でも分かっていて……」
ひとつ、深呼吸をしてから、言葉を紡ぐ。
「お母様みたいに、馬に乗れるようになりたいの」
通信珠の向こうが、本当に静かになった。ガタッ、と何か物音を微かに拾っている。
「やっぱり、駄目よね? 追放されている身だもの。伯父様、今のは聞かなかったことに——」
『エリシア様』
聞こえてきたのは、執事長の声だ。
『侯爵様は執務室を出て行かれました』
「やはり、怒っていらっしゃる?」
『いいえ。奥様を呼びに行かれました』
「……伯母様を?」
グランツ卿と顔を合わせると、通信珠の向こうから物音がした。
『エリー! これ本当に繋がっているの? エリー?』
「伯母様、おひさしぶりです。エリシアです」
『久しぶりねぇ! 元気にしてる?』
「あ、はい! 何とか!」
『良かったわぁ。ずっと心配していたのよ? ちゃんとご飯は食べている? 社交会が終わったら顔を出しに行くわね』
『おい、それよりも』
『そうそう! 馬が欲しいのですって? 何がいいかしら? 小馬?』
「えっと」
グランツ卿を見上げると、唇の動きで大型と伝えてくる。
「ふ、二人乗りが出来る、大型の馬が」
『まぁ、二人乗り? まぁ! 操るのはあなたの騎士かしら?』
「っ、はい!」
『まぁ、まぁまぁ!』
『……若造、そこにいるか?』
伯父様の低い声にグランツ卿が背筋を正す。
「ここに」
『二人乗りの意味は?』
「……エリシア様を、外に連れ出したい。遠乗りで景色を見せるのと、有事の際は侯爵邸まで連れて行くためです」
遠乗りは聞いていなかった。グランツ卿を見上げると、ふむ……と通信珠の向こうで伯父様が考える。
『ならば、力があっていざと言う時に速く走れる馬がいいな』
『エリー、乗馬したいのは本当?』
「はい!」
『ならあなた、初めてのエリーに合わせてくれる、大人しい子がいいわ。荷運び用の子はどう?』
『大人しいが、速くは走れないだろう。あそこの牧場の馬は騎士団に出荷する軍馬を育てているから性格が……』
二人の議論が始まってしまった。グランツ卿が、私に近付いてそっと話しかける。
「これは一体……」
「北部の侯爵家は、皆乗馬がお好きなのよ」
「……単に、移動手段としての手配をお願いした方が良かったのでは?」
「そう……ね。素直に言った方がいいと思ったのだけど……」
ああでもない、こうでもないと、こちらをそっちのけで伯父様と伯母様が議論している。
……ちょっとだけ、面倒になったな。でも心は温かで、思わず息を吐いたのだった。
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