第37話 神の管轄
宗教自治領の朝は、静かだった。
鐘が鳴る。
人々は集まり、
祈り、
そして散っていく。
命令はない。
点呼もない。
だが――
誰も、取り残されていない。
「……不思議ですね」
ミヒャエルが、低い声で言う。
「統計上は、
不安定要素だらけなのに」
「暴動も、
流出も、
起きていない」
ラグスが、腕を組む。
「俺たちの領より、
よっぽど静かだ」
アルトは、言葉を返さなかった。
視界の端で、UIが淡く反応する。
【領域支配】
評価不能
要因:価値基準不一致
(……測れない)
それは、
測定不能だった頃の
自分を思い出させた。
司祭長との対話は、
小さな礼拝堂で行われた。
飾り気のない部屋。
椅子も、少ない。
「あなたは、
ここを変えに来たわけではない」
司祭長は、穏やかに言った。
「それでも、
見に来た」
アルトは、頷く。
「率直に聞こう」
司祭長は、静かに言う。
「あなたの制度は、
ここを幸せにしますか?」
直球だった。
アルトは、少し考えた。
「……物資は、増えます」
「病気は、減るでしょう」
「寿命も、
伸びるかもしれない」
司祭長は、黙って聞いている。
「だが」
アルトは、続けた。
「信仰は、
壊れる可能性が高い」
それは、正直な評価だった。
司祭長は、微笑んだ。
「正しい答えです」
「……否定しないんですか?」
「否定はしません」
司祭長は、首を横に振る。
「我々は、
豊かになるために
祈っているのではない」
司祭長は、窓の外を見る。
畑で働く人々。
子供たち。
「我々は、
選ばなくていい世界を
維持している」
「選ばなくていい?」
アルトが、繰り返す。
「人は、
選び続けると壊れます」
司祭長は、静かに言う。
「責任を、
背負い続けると」
一拍。
「だから、
神に預ける」
その言葉は、
アルトの胸に重く落ちた。
「あなたは、
人に判断を返した」
司祭長は、続ける。
「それは、
尊い」
一拍。
「だが、
すべての人が、
それに耐えられるわけではない」
ラグスが、低く言う。
「……逃げだ」
司祭長は、否定しなかった。
「逃げでもあります」
穏やかな肯定。
「ですが、
生き延びるための逃げです」
アルトは、深く息を吐いた。
視界の端で、UIが沈黙する。
(……管理しない、
判断させない、
それでも安定する世界)
「ここは」
アルトは、ゆっくりと言った。
「俺の管轄じゃない」
司祭長が、目を細める。
「正確には」
アルトは、続ける。
「人の管轄じゃない」
司祭長は、深く頷いた。
「それを、
理解できる人は少ない」
微笑む。
「だから、
あなたは危険なのです」
それは、警告であり、
賛辞でもあった。
帰路。
ラグスが、ぽつりと呟く。
「……悔しいな」
「何が?」
「正しいのに、
手を出せない」
アルトは、静かに答える。
「正しいからだ」
一拍。
「壊れる正しさも、
ある」
視界の端で、UIが淡く表示する。
【領域支配】
非干渉領域を確認
新しい一文が、刻まれる。
《神の管轄》
・人の判断を及ぼさない
・設計対象外
(……線を、引く)
夜。
宗教自治領の灯りを背に、
アルトは呟いた。
「……支配しない勇気は、
想像以上に重い」
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