第3話 左遷の口実
矯正課程に配属されてから、三週間が経った。
アルト・レインハルトは、その間、一度も問題を起こしていない。
遅刻もなければ、命令違反もない。
与えられた雑務は、すべて正確に、黙々とこなしていた。
それでも――
問題が起きた。
きっかけは、小さな事故だった。
学園西棟・物資倉庫。
「おい、これ足りねぇぞ!」
怒鳴り声が響いた。
訓練用の糧食が、予定数より明らかに少ない。
「帳簿上は合ってるはずだ!」
「じゃあ、どこ行ったんだよ!」
いつものことだ。
矯正課程に回される物資は、質も量も最低限。
多少の不足など、誰も気にしない。
――はずだった。
「……原因は、横流しじゃない」
低い声が、口論を遮った。
アルトだった。
周囲の視線が、一斉に集まる。
「運搬経路が二重化されていません。
この倉庫、同じ物資を三つの部署が“別管理”している」
兵士の一人が眉をひそめる。
「だから?」
「受け取り時間が重なり、
一方が先に引き取った分を、
もう一方が“未到着”として再請求している」
一瞬の沈黙。
「……つまり?」
「帳簿上は合っている。
現物だけが、ズレている」
それは、誰も気づいていなかった盲点だった。
「仕組みの問題です。
横流しではありません」
アルトの言葉に、現場の空気が変わる。
「……じゃあ、どうする?」
問われて、アルトは即答した。
「受け取り時間をずらし、
管理責任者を一人に統一してください」
実行は、早かった。
その日のうちに混乱は収まり、
糧食不足は解消された。
被害者も、犯人も、出なかった。
問題は、その後だ。
翌日、アルトは教官室に呼び出された。
そこには、矯正課程の教官だけでなく、
学園の管理官、そして――中央から来た例の役人がいた。
「アルト・レインハルト」
役人が、冷たい声で言う。
「昨日の倉庫騒動について、説明しろ」
アルトは、事実をそのまま説明した。
原因。
対処。
結果。
すべて、正確に。
だが、役人は書類から目を上げない。
「つまり君は、
権限なく、管理体制に介入したと?」
「現場が混乱していたため――」
「質問に答えろ」
空気が、張り詰めた。
「……はい。介入しました」
その瞬間、役人の口元がわずかに歪んだ。
「記録」
教官が、淡々と読み上げる。
「規律違反。
越権行為。
指示系統の無視」
アルトは、目を見開いた。
「ですが、結果として――」
「結果は関係ない」
役人が遮る。
「スキルを持たぬ者が、
判断を下すこと自体が問題だ」
それが、この国の論理だった。
「君の行動は、
組織秩序を乱した」
アルトは、ようやく理解した。
(……これが、口実か)
問題を起こしたのではない。
問題を“解決してしまった”のが、罪だった。
数日後、正式な通達が下る。
アルト・レインハルト
規律不順につき、
帝都教育機関から外し、
北方辺境グラーデン領へ出向を命ずる。
廊下で、その紙を読んだ生徒が、吹き出した。
「マジで左遷じゃん」
「欠損者が出しゃばるからだろ」
アルトは、静かに紙を折り畳んだ。
怒りは、なかった。
悔しさも、薄い。
ただ一つ、はっきりしたことがある。
(ここにいても、
俺は“何もできない”)
いや――
(何かをすると、排除される)
その日の夕方、
役人が教官と小声で話しているのを、アルトは遠くから見た。
「綺麗な口実ができた」
「これで、問題は片付く」
笑っていた。
それが、答えだった。
帝都・中央監理庁。
執務室の窓からは、整然とした街並みが見下ろせた。
「――では、正式に辺境送りが決定しました」
報告を受け、男は満足そうに頷いた。
名はハインリヒ・フォーゲル。
制度運用局の中枢に座る人物であり、今回の人事を最終決裁した張本人だ。
「規律違反、越権行為……いい口実だ」
机の上に置かれた書類を指で弾く。
そこには、アルト・レインハルトの名と、簡潔な処分理由が並んでいた。
「現場に余計な介入をした、と。
実に分かりやすい」
向かいに座る補佐官が、慎重に口を開く。
「ですが……問題を解決した、とも聞いています」
「だから、だ」
ハインリヒは即座に切り返した。
「欠損者が“結果を出す”など、前例にしてはならん」
補佐官は言葉を飲み込む。
「制度というのはな」
ハインリヒは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
「正しく回っているように見えることが、最優先だ。
一部が賢すぎると、全体が壊れる」
振り返り、薄く笑う。
「アルト・レインハルトは、賢すぎた」
補佐官が小さく頷く。
「……測定結果が空白だった件ですが」
その言葉に、ハインリヒの表情が一瞬だけ硬くなる。
だが、すぐに肩をすくめた。
「知っている」
低い声。
「だからこそ、近くに置かなかった」
机の引き出しを開け、一枚の古い記録を覗き見る。
中身は見せない。
だが、その紙を扱う手は、わずかに慎重だった。
「殺す必要はない。
かといって、使うわけにもいかない」
補佐官が、恐る恐る尋ねる。
「……本当に、問題は起きませんか?」
ハインリヒは、鼻で笑った。
「起きるわけがない」
断言。
「辺境だぞ?
人も、金も、権限もない。
何かしようにも、何もできん」
書類を閉じ、机に置く。
「芽が出る前に、土ごと遠ざけた。
完璧な処理だ」
補佐官は、少しだけ安堵した顔を見せる。
「これで、制度は守られるわけですね」
「ああ」
ハインリヒは、グラスに酒を注いだ。
「制度を理解しない者は、
制度の外に出す。それだけの話だ」
窓の外では、帝都が今日も何事もなく機能している。
命令は通り、書類は承認され、人事は円滑に回る。
「――平和だな」
そう呟き、グラスを傾けた。
その静けさこそが、成功の証だと、彼は信じて疑わなかった。
「もう、あの名を聞くこともあるまい」
ハインリヒは、アルトの書類を棚の奥に押し込む。
深く。
二度と、目に入らない場所へ。
「隔離は、成功した」
その言葉は、祝杯のように軽かった。
だが――
その判断が、
帝国史上最大の失策になることを、
この部屋にいる誰一人として、まだ知らない。
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