第16話 境界の消し方
変化は、命令でも布告でも始まらなかった。
最初に動いたのは、倉庫だった。
グラーデン領とローデン領の境界にある中継倉庫。
これまで、両領の物資は必ずここで一度止められていた。
帳簿を確認し、
税目を分け、
責任者の印をもらう。
時間も、人手も、無駄が多い。
「……今日から、この手続きはいらない」
そう言ったのは、倉庫の管理官だった。
「え?」
部下が、戸惑った顔をする。
「アルト様の判断だ。
もう、ここで止める意味がない」
理由の説明はなかった。
だが、誰も反論しなかった。
なぜなら――
止めなくなってからの方が、物が足りているからだ。
同じ頃、街道でも変化が起きていた。
関所の兵が、槍を下ろす。
「通行証は?」
「……いらない」
「は?」
兵は、少し照れたように頭をかいた。
「いや、必要なんだが……
今は、止める理由がない」
商人は、恐る恐る馬車を進める。
止められない。
咎められない。
「……通れた?」
拍子抜けした声が、街道に残った。
領主館。
ミヒャエルが、地図を見下ろしていた。
境界線が、意味を失い始めている。
「……何も、宣言していないのに」
アルトは、頷いた。
「宣言は、反発を生む」
彼は、地図の端を指でなぞる。
「必要なくなったものは、
自然に使われなくなる」
それだけだ。
軍も、同じだった。
合同巡回が始まる。
旗は掲げない。
所属も強調しない。
ただ、
「近い者が、近い場所を守る」
それだけ。
「……敵が来ても、
どっちの領の兵か分からんな」
ラグスが苦笑する。
「分ける意味がないからな」
アルトは、淡々と答えた。
夜。
アルトの視界に、UIが浮かぶ。
【重複領域】
境界摩擦:低下
統合率:64%
数値は、静かに上がっている。
(……やはり)
拒否権を使ったからではない。
力で抑えたからでもない。
合理が、境界を溶かしている。
翌日。
第三の辺境領から、使者が来た。
「……我が領でも、
同じやり方を取り入れたい」
言葉は、控えめだった。
だが、その意味は大きい。
アルトは、すぐに頷かなかった。
「一つ、確認します」
使者を見る。
「あなたの領は、
“守る対象”を決めていますか?」
使者は、言葉に詰まる。
「税か、制度か、権威か」
アルトは続ける。
「それとも――
人か」
沈黙。
だが、その沈黙は、答えだった。
「急がなくていい」
アルトは、そう言った。
「境界は、
消そうとして消えるものじゃない」
地図を閉じる。
「不要になった時に、
初めて消える」
その夜、帝都。
報告書が、また一つ積まれる。
・関所の通過率上昇
・領地間摩擦の減少
・住民移動の増加
数字は、良好だった。
「……問題ない、か?」
誰かが呟く。
だが、別の誰かが言った。
「問題がないのが、
一番の問題だ」
その言葉の意味を、
まだ帝都は理解していなかった。
グラーデン領。
夜の街道を、商人の馬車が静かに通り抜ける。
誰にも止められず、
誰にも命令されず。
ただ、
一つの領域の中を移動するように。
アルトは、窓からそれを見ていた。
視界の端で、UIが確かに告げる。
【領域支配】
統合は、不可逆段階に入りました
彼は、静かに息を吐いた。
「……戻れないな」
だがその声に、後悔はなかった。
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