第15話 拒否権
帝都からの命令書は、机の上に置かれたままだった。
二重の封蝋。
簡潔で、強制力のある文面。
・軍制再編の即時停止
・独自制度の中止
・三日以内に是正報告
誰が見ても、命令だ。
「……返事を出さなければ、
不服従と見なされます」
ミヒャエルが、低い声で言う。
「分かっている」
アルトは、視線を命令書から外さずに答えた。
その日、アルトは一つだけ確認した。
軍の配置。
倉庫の在庫。
街の様子。
どこにも、混乱はない。
むしろ――
整っている。
(これを、壊せと?)
それが、帝都の命令だった。
夜。
幹部全員が集まった。
誰もが、覚悟を決めている。
だが、口には出さない。
アルトは、命令書を机の中央に置いた。
「帝都の命令は、
帝国全体の秩序を守るためのものだ」
誰も、否定しない。
「だが、この命令は――」
アルトは、ゆっくりと言葉を区切る。
「この領域の安全を、損なう」
沈黙。
それが、判断基準だった。
「従えば、どうなる?」
ラグスが、あえて問いを投げる。
「軍は分断される。
物流は戻る。
ローデン領は、再び孤立する」
アルトは、淡々と答えた。
「死人が出る」
その一言で、全てが終わった。
アルトは、椅子から立ち上がった。
視界が、静かに明滅する。
【領域支配】
上位命令との競合:臨界
判断主体を確認します
息を止める。
判断主体:アルト・レインハルト
管理対象:統合領域
そして――
【権能進化】
《領域支配》は新段階に移行します
新機能:《拒否権》
音もなく、文字が定着する。
《拒否権》
この領域において
上位命令が最適でない場合
管理者は履行を拒否できる
アルトは、静かに目を閉じた。
(……これで、完全に越えたな)
彼は、命令書を取り上げ、
一枚の返書を書いた。
簡潔だった。
帝都命令を確認
当該命令は
現地の安全を損なうため
本領域においては履行しない
それだけ。
理由も、言い訳もない。
使者が去った後。
誰かが、ぽつりと呟いた。
「……もう、帝都の下じゃないですね」
アルトは、首を横に振った。
「違う」
訂正する。
「帝都が、
ここを統治できなくなっただけだ」
その言葉は、
勝利宣言ではない。
ただの事実だった。
翌日。
帝都中央府庁。
返書を読んだ瞬間、
会議室が静まり返った。
「……拒否、だと?」
「そんな権限は……」
ハインリヒ・フォーゲルは、
返書を握りしめ、初めて声を荒げた。
「認めるな!」
叫びに近い声。
「そんな前例を作るな!」
だが――
前例は、もう作られていた。
その夜。
帝都の上空を、冷たい風が吹き抜ける。
ハインリヒは、一人執務室に残り、
窓の外を見ていた。
「……隔離したはずだった」
呟きが、虚空に落ちる。
だが現実は、違った。
遠ざけたことで、
制御不能な“領域”を生み出した。
グラーデン領。
夜の街は、静かだった。
アルトは、灯りの下で地図を見る。
視界の端に、UIが確かに表示されている。
【領域支配:拒否権】
統合率:58%
次段階:
・領域統合の拡張
彼は、静かに呟いた。
「……ここからだ」
帝都は、もう
命令できない。
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