沈黙の歌姫
回路の美しさは、設計者の品性に直結する。
これは僕、アルディス・ロイターが、三度の飯よりも半田付けの煙を吸い込むことを好む人間として導き出した、この世の数少ない真理の一つだ。
およそ世の中に出回っている家電製品、あるいは魔導具と呼ばれるガラクタの九割は、この基準において落第点どころか、即座に焼却処分されるべき産業廃棄物に他ならない。無意味に迂回する配線、放熱効率を完全に無視した基板配置、そして何より「とりあえず高価な魔石を埋め込んでおけば動く」という、思考停止した成金趣味的な設計思想。
これらは僕の職人としての美学を逆なでするだけでなく、精神衛生上極めてよろしくないノイズとなり、ひいては僕の胃壁を荒らす直接的な原因となっている。
王都の路地裏、地図製作者さえも記載を忘れるような吹き溜まりに位置する我が『ロイター魔導具修理店』にて、僕は今、そのノイズの発生源である「壊れたトースター」と対峙していた。
「……抵抗値がバラバラだ。この並列回路、まさか目分量で配線したのか? 電子の気持ちになって考えたことがあるのか? 彼らはいつだって最短距離を走りたがっているんだよ。それをこんな迷路みたいな配線に閉じ込めて、パンが焼ける前に基板が焼けるぞ」
ピンセットの先で配線を突っつきながら、僕は独り言を垂れ流す。
返事はない。あるのは油と埃の匂い、そして終わりのない修正作業の徒労感だけだ。
その時だった。
物理的な衝撃音と共に、平和な午後の静寂が粉砕されたのは。
バンッ!
ドアが悲鳴を上げる。蝶番の耐用年数を著しく縮めるような、ほとんど破壊活動に近い開け方で侵入してきたのは、この薄汚れた工房には似つかわしくない、一幅の絵画のごとき美少女だった。
ヴィエラ・ミストルード。
透き通るような銀髪に、深窓の令嬢特有の清楚なドレス。ただし、その背中には自分の体重ほどもありそうなズタ袋を担いでいる。物理法則を無視した筋力なのか、あるいは重心制御の達人なのか、彼女は涼しい顔でその巨大質量をカウンターに叩きつけた。
ドサリ。
舞い上がる埃が、西日を受けてキラキラと輝く。
「……ん」
彼女の発話は、極限まで圧縮された一音のみ。
だが、その無表情の裏で、脳内ドーパミンが過剰分泌されていることを僕は知っている。なぜなら彼女の瞳孔が、通常時よりコンマ五ミリほど拡大し、呼吸のリズムがわずかに乱れているからだ。
「『ん』じゃないよ、ヴィエラ。ドアの開閉速度が速すぎる。空気抵抗を考えろ。……で、今日はどこの墓を暴いてきたんだ? また泥だらけじゃないか」
僕は呆れながらカウンターへ近づき、ズタ袋の口を開けた。
中から現れたのは、酸化皮膜に覆われ、原型を留めないほどに腐食した金属の塊だった。形状から推測するに、元は円筒形だったようだが、今はただの産業廃棄物にしか見えない。
「……『セイレーンの喉笛』」
ヴィエラが言った。その声色には、カルト教団の教祖が御神体を崇めるような、静かで狂信的な響きがある。
「……第五王朝期の海難事故現場より回収。船乗りを死の歌声で誘い、海の底へ引きずり込んだ呪いの魔導具。耳を澄ませば、深海の底から響く怨嗟のメロディが聞こえる」
「聞こえないね。聞こえるとしたら破傷風菌の足音だけだ」
僕は即座に断じ、ピンセットでその表面をカリカリと引っ掻いた。
「見てごらん、この赤錆を。これは鉄じゃない、銅合金の緑青と鉄錆が混ざった最悪の状態だ。電蝕が起きている。つまり、異なる金属を無造作に接合した結果、海水という電解液の中で電池になって自滅したんだよ。呪い以前に、設計ミスだ」
僕は金属塊を指先で弾いた。
ペチ。
乾いた、情けない音が響いた。
「ただのスクラップだよ。元の場所に埋め戻しておいで」
瞬間。
視界が揺らいだ――いや、ヴィエラが間合いを詰めたのだ。音もなく。呼吸の予備動作もなく。縮地法でも使ったかのような速度で、彼女の細い指が僕の作業着の襟首を正確に掴み上げていた。
近い。
整いすぎた顔が、僕の鼻先数センチの距離にある。
彼女は何も言わない。瞬きもしない。ただ、その銀色の瞳から放たれる質量を持った「圧」が、僕の生存本能に直接語りかけてくる。
――直せ。
――私のロマンを否定するな。
――否定すれば、貴様の社会的生命及び物理的生命活動を強制的に停止させる。
無言の脅迫。言語化されない暴力。
「……わ、分かった。分かったから!」
僕は両手を上げて降伏した。論理で勝てても、生物としてのヒエラルキーで負けている。
「直すよ。直せばいいんだろ。構造解析して、その『呪い』とやらの正体を暴いてやる」
解放された僕は、逃げるように作業台へ戻り、ルーペを目に装着した。
職人モードへの切り替え。感情を排し、対象を物質としてのみ認識する。
確かにひどい状態だが、構造自体は残っている。僕は特殊な還元剤を含ませた布で表面を拭い、固着した継ぎ目に極薄のスクレーパーを滑り込ませた。
パキン。
小気味よい音と共に、外装が外れる。
「……ほう」
中を見た瞬間、僕の口から感嘆の声が漏れた。
そこにあったのは、おどろおどろしい呪術の痕跡ではない。極小の歯車と、薄い金属箔が幾層にも重なった、超精密な音響機構だった。
「ヴィエラ、前言撤回だ。これはスクラップじゃない。オーパーツだ」
僕の指が踊る。錆びついたギアを超音波洗浄し、断線した魔力回路を銀ペーストでバイパスする。
「見てくれ、この振動板。今の技術じゃ精錬不可能な『月光銀』の極薄箔だ。熱伝導率と音響特性が異常に高い。今のスピーカーじゃ再現できない高周波まで拾える設計だぞ。……呪いの道具? 馬鹿を言うな。これは極めて高度な『ハイレゾ音響再生装置』だ」
修理完了。所要時間、十五分。
僕は満足げに頷き、ヴィエラに指示を出した。
「論より証拠だ。魔力回路をバイパスして、本来の出力を再現してみよう。きっと君が期待するような断末魔は聞こえないはずだ。聞こえるとしたら……」
僕はスイッチを入れた。
ジジッ。
ノイズが走り、次の瞬間。
『――いい子だ、もうお眠り。波の揺りかごで――』
工房の中に、柔らかく、温かな歌声が満ちた。
人を狂わせる魔性の歌? 否。
それは計算され尽くした『1/fゆらぎ』を含む、極めて鎮静効果の高いメロディだった。月光銀の振動板が、歌い手の息遣いまで鮮明に再現している。
「……ほらね。これは『高機能睡眠導入デバイス』だ」
僕はゴーグルを額に上げ、肩をすくめた。
「対象年齢はゼロ歳から三歳といったところかな。古代の母親たちが、夜泣きによる睡眠不足という生理的限界を回避するために開発した、生存戦略の結晶さ。呪いなんてない。あったのは、育児疲れを解消しようとする技術者の工夫と、母性愛だけだ」
ヴィエラは答えなかった。
ただ、流れ続ける拙い歌声に耳を傾け、その瞳を潤ませていた。
「……セイレーン。……お母さん」
「そう。船乗りを沈める歌じゃない。赤ん坊を夢の世界へ沈める歌だ。機能としては大差ないけどね」
ヴィエラは、夢遊病者のような手つきで、作業台の上の機械を抱き寄せた。
そして、まだ油の匂いが残るスピーカーのメッシュ部分に、自身の白磁のような頬を、ゆっくりと押し当てた。
硬く冷たい金属の感触。錆が肌に付着することも厭わず、彼女は機械の振動を骨で感じるように、深く、重く、瞼を閉じた。




