〈Ⅳ〉王配
砂塵が吹き荒れていた。
横殴りの暴風が砂漠化した地帯の砂を巻きあげて、ここまで運んでいるのだろう。いつになく密度の高い砂嵐が渦巻いている。
「俺の読みが正しければ、今夜ここに兵器が現れる」
張りつめた夜更け。ざらついた空気に霞む星の下、ナジャはアスランと肩を並べて立つ。
眼前に望むのはまだ生きている水辺だ。悠々とした蛇行をえがきながら伸びる水脈は、あらゆる命を繋ぐ場所。これ以上奪わせないとナジャは誓う。
「砂の魔物……いや、王国兵器は音響型と言ったな。どんなからくりで水脈を涸らしている?」
「地中に特殊な振動と音波を送りこみ、微細な亀裂を発生させる。これによって地下水脈を攪乱・破壊し、地表に水をあげにくくする仕組みだ」
よくできている。それでロダリヤ族は兵器の振動や駆動音を、魔物の唸り声と誤解したわけか。
(それにしても……骨笛で戦うだと?)
ふざけているのか。
そんなナジャの心の声を悟ったようで、アスランはわざとらしく自身のこめかみをつついた。
「力で敵わない敵は、頭で攻めるものだ」
「……わたしたちは何度もあれと戦ってきた。頭脳でどうにかなる相手とは思えない」
ふ、とアスランが楽しげな息をこぼす。
「共振周波数を利用するんだよ。兵器の固有振動数に姫さんの笛の周波数をぶつけて、」
「うぅわからん、わからん。むずかしい言葉はよせ」
「簡単に言うと……歌声でグラスが割れる現象があるだろ。そいつを使えばいい」
「成功するのか?」
「どうかな。五分五分の賭けといったところだが──俺が導く。姫さんはそのとおりに動いてくれ」
ふいに、ナジャの耳が異音を捉えた。
ごう、ごうと地鳴りめいた音。繰り返し聞いてきたそれは魔物の唸り声、もとい駆動音だ。耳慣れたはずのものだが、しかしどこか様子が違う……
(振動が、やけに大きい)
眉根を寄せたとき、それは現れた。
吹きすさぶ砂塵のむこう。蜃気楼のごとくゆらめきながら君臨したのは、想像を絶する巨躰の蠍。
ロダリヤ族が戦ってきたものより二倍、三倍はあるだろうか。砂の紗幕越しに見る朧げな輪郭だけでも、とてつもない大きさだとわかる兵器だった。
「な、なんだあれは……!?」
「一体しかいない特別な個体だ。偉大なる我が姉──女王陛下のお気に入り、通称〝王配〟」
ゆったりと草原を闊歩するさまはまさしく王と呼ぶにふさわしい。見る者を圧倒する威光をまとった姿を前にして、ナジャの足がすくみそうになる。
アスランが言った。
「おそれるな。風が、姫さんの味方なんだろ」
──死者は風となって帰ってくる。
──愛する者と駆けるために。
「……ああ、そうだ。そうだったな」
ぐっと喉が詰まる。
忘れてはならない。自分はひとりではないのだと。
ナジャは引き連れていた愛馬に跨った。その背後に飛び乗ったアスランが、腹部を蹴って馬を走らせる。力強く、高らかに蹄を鳴らして駆けだした彼女の愛馬はまっすぐと、砂嵐のなかの標的へ──。
「王配は常に安定した完璧な波形で振動を発信する。姫さんには、その波形とわずかにずれた位相を持つ、同じ周波数の音を骨笛で発生させてもらいたい」
彼曰く、兵器は安定した共振とやらを維持することで機能しているよう。そこにずれた波をぶつけることで、兵器が送り出している共振を破壊し、制御不能な状態に陥れることができるのだとか。
「むずかしい言葉はよせと言っただろ!」
「悪い悪い。まずは落ち着いて、耳を澄ませてくれ。規則的な波の音程を探り当てるんだ」
王配に接近、並走しながらアスランが指示を出す。
幸いなことに彼の手綱捌きは巧みだ。ナジャは敵に集中するだけでいい。
そっと目を瞑る。音をよく集める風切羽の耳飾りに意識を向けるうち、砂嵐の雑音の奥、決まった音波を鼓膜が拾うようになる。巨大な八本の脚がうごめくのとは別の振動。安定した完璧な波形。
「覚えたな。──さあ、その笛の出番だ。王配が放つ波と同じ音程を、思いっきりぶつけてやれ」
馬の躍動にあわせて胸を打っていた骨笛を、ナジャは掴んだ。音孔に指を添えて構える。聴覚を極限まで研ぎ澄ませるために、視覚は閉じたままで。
(父さま、母さま、大婆さま)
すがるように──祈るように。
彼女は骨笛を握りしめ、大きく息を吸った。
(成し遂げてみせます。今度こそ……!)
強く吹きこんだ骨笛から生まれたのは、王配と共鳴する物々しい唸り。悪意をもって作られた兵器の音と同じ、けれど凛と澄んだ芯のある音だった。
「いいぞ、もっと波打たせて──」
アスランの指示に従って笛を震わせていく。
もっと。もっと。もっと──……そしてある段階に到達した瞬間、バチッと何かが組み合った心地がしてナジャは目をあけた。
「上出来だ。その波で壊せる」
突然、王配の脚が一本、錆びついたように動かなくなった。重心を崩しかけた巨躰はわずかに停止して、またすぐに動きだす。使いものにならなくなった脚を引きずりながら。
(……仕留められる!)
からくりを理解できたわけではない。
何が起きているのかわからないまま、ただの直感でナジャは骨笛を吹き鳴らす。アスランと見つけた波を武器に、力強く──すると、彼女とともに駆ける風が笛の音を増幅させ、いつしか王配の振動を乱した。
それは、歯車が完璧に噛みあって動いているところに小さな砂粒が入りこむようなもの。想定外の振動に混乱した体系は過負荷を起こし、自己破壊を招く。
さながら鉄でできた城が崩落するように。黒い巨躰のあちこちが軋み、引き攣れ、がらくたと化す。
強制的に歪まされた王配が金切り音をあげた。
「ぐっ……!」
鼓膜から脳を揺さぶる凄まじい金切り音──だが、以前会った個体に見舞われたような鳴き声ではない。まるで悲鳴のような、断末魔のような。
「──伏せろ!」
アスランがそう叫んだ直後、王配から放たれた一層の金属音が衝撃波となってふたりを襲った。
骨笛に亀裂が走る。
弾丸のごとき砂の礫で皮膚が切れる。
胸に抱くようにして骨笛をかばったとき、背後から伸ばされたアスランの手がナジャを強くかき抱いた。硬い腕に護られると同時、爆風に馬が薙ぎ倒される。
「……ッ!」
視界が回る。受け身を取る間もなく地面に叩きつけられたが、さほど痛みを感じなかったのは身を挺して護ってくれたアスランのおかげだ。
馬から投げ出されたふたりを草原が抱きとめる。
勢いを殺せずにころがるあいだも、アスランは腕のなかにしっかりとナジャを閉じこめていた。
「……生きてるか、姫さん?」
「……なんとか。お互い五体満足のようでよかった」
一瞬の衝撃波に吹き払われたのか。砂嵐はすっかりやんで、かすかにけぶる空気だけを残している。
辺りを満たすのは静寂の気配。
耳を澄ませても、兵器の駆動音は聞こえない。
「王配は、──」
夜闇に目を凝らしたナジャの視界に飛びこんできたもの。それは、沈黙した大蠍の姿。
巨大な胴体も、八本の脚も、完全に停止している。水脈に倒れ伏すようにして息絶えた王配が、さやかな星影に照らし出されていた。