表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/54

第六話:概念の探求者

水晶蠍が光の粒子となって消えた後、俺はしばらくその場から動けなかった。

荒い息を整えながら、先ほどの戦いを反芻する。


【我が剣は、“主を狙う、避けえぬ毒蛇”となれ】


あの時、俺が定義したのは、剣の硬さでも、鋭さでもなかった。剣の「在り方」そのものだ。

結果、安物の鉄剣は、物理法則を無視して敵の懐に潜り込み、弱点を正確に穿った。


(そうか…。俺の力は、足し算じゃなかったんだ。掛け算でもない。全く新しい数式を、俺自身が創り出す力だったんだ…)


追放されたことで得た、あまりにも大きな気付き。

心の奥底から、これまで感じたことのないような、知的な興奮が湧き上がってくる。

この力をもっと知りたい。もっと試したい。


俺は、いつまでも感傷に浸ってはいられないと、自らを奮い立たせた。まずは、この死地からの脱出が最優先だ。

幸い、水晶蠍を倒したことで、この区画の魔物の気配は薄れていた。俺は壁伝いに、慎重に進路を探り始める。


どれほど歩いただろうか。

俺の目の前に、絶望的な光景が広がった。

巨大なクレバスが、通路を完全に分断している。幅は50メートル以上。対岸は、暗闇の向こうで霞んで見えた。底からは、不気味な風が吹き上げてくるだけで、その深さは計り知れない。


(…終わったな)


一瞬、思考が停止する。

パーティーにいれば、賢者マグヌスが浮遊魔法を使っただろう。だが、俺にそんな大魔法は使えない。

どうする?引き返すか?いや、あの水晶蠍がいた区画をもう一度通るのは危険すぎる。


俺は、必死に頭を働かせた。

自分の力で、この状況を打破する方法は、ないか。

ただ剣を強化するだけでは、道は拓けない。もっと、根本的な解決方法を…。


俺はクレバスの縁に落ちていた、こぶし大の石を拾い上げた。

そして、それに一つの概念を定義してみる。


【この石は、“鳥の羽よりも軽く”】


手に持った石から、ふっと重さが消える。まるで発泡スチロールを持っているかのようだ。

(いける…!)

俺は、腰に巻き付けていた予備の細いロープを、その石に固く結びつけた。そして、野球のピッチャーのように、思い切り腕を振りかぶる。


「――行けッ!」


俺の手から放たれた石は、凄まじい勢いで空を切り、一直線に対岸へと飛んでいく。重さがないため、飛距離が尋常ではなかった。

石は、対岸の天井近くの岩の突起に、ガツン!と音を立てて激突し、その衝撃でうまい具合に引っかかった。


ロープの端は、こちらの岸にある頑丈な岩に、何度も巻き付けて固定する。

これで、一本の橋が架かった。

しかし、ただの細いロープだ。俺の体重を支えきれる保証はない。

そこで、俺はロープそのものにも、定義を与える。


【このロープは、“鋼鉄の鎖に等しく、決して切れない”】


ロープに込めた魔力で、その存在が物理的に補強されていくのを感じる。

俺は、意を決してロープにぶら下がり、腕の力だけを頼りに対岸へと渡り始めた。眼下には、奈落のような闇が広がっている。もし定義が解ければ、真っ逆さまだ。


冷や汗をかきながらも、なんとか対岸にたどり着いた時、俺は確信した。

この力は、戦闘以外でも、あらゆる可能性を秘めている、と。


さらに半日ほど進んだだろうか。

俺は、新たな脅威と遭遇した。

そいつは、まるで人の形をした“影”だった。実体がなく、ゆらゆらと輪郭を揺らめかせている。ダンジョンの闇に溶け込み、視認することさえ難しい。

《影喰らい(シャドウイーター)》。物理的な攻撃が効かない、厄介な魔物だ。


影喰らいは、その鋭い爪を伸ばし、俺に襲いかかってきた。

俺は、咄嗟にショートソードでそれを受け流そうとする。

しかし、俺の剣は、スリッ、と。まるで空を切るように、その影の腕を透過した。


「なっ…!?」

(実体がない…!こいつの概念は【幻影】か、あるいは【非物質】…!)


これまでの戦い方は、通用しない。剣を蛇に変えようが、槍に変えようが、当たらなければ意味がない。

影喰らいの爪が、俺の肩を掠める。防具がない肌に、冷たい痛みが走った。


どうすればいい。

どうすれば、この「当たらない敵」に、攻撃を当てることができる?


――違う。

発想が、まだ、パーティーにいた頃のままだった。

なぜ、「当てる」ことに固執する必要がある?

当たらなくとも、敵を倒す方法はあるはずだ。


俺は、影喰らいから距離を取り、剣を構え直す。

今度は、剣ではない。敵そのものに、直接、概念を定義する。


【――お前は、“光を浴びれば消滅する、ただの影”である】


俺がそう定義した瞬間、手に持った鉄の剣に、自らの魔力を注ぎ込み、新たな概念を与えた。

【この剣は、“小さな太陽”の如く、眩い光を放つ】

次の瞬間、俺の持つショートソードが、まるで本物の太陽のように、洞窟全体を白く焼き尽くすほどの、強烈な光を放った!


「ギィィィィィィッ!!」


影喰らいは、その光に照らされ、まるで闇が朝日に溶かされるように、断末魔の叫びを上げながら、その体を霧散させていった。


「はぁ…はぁ…」


魔力を一気に使ったせいで、激しい疲労感に襲われる。

だが、俺の心は、先ほどの水晶蠍を倒した時以上に、興奮に打ち震えていた。


剣を強化するだけじゃない。

環境を利用するだけでもない。

敵の存在そのものを、俺の都合のいいように、定義し直す。


俺は、自分の力の、本当の恐ろしさと、その深淵を、垣間見た気がした。

俺は、ただの「概念使い」ではない。

俺は、この世界のあらゆる理を支配できる、**「探求者」**なのだ。

その自覚が、俺の足を、さらなるダンジョンの深みへと向かわせた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ