第四十四話:三つの戦場と、一つの活路
矛盾の化身が消滅し、闘技場の中央に、束の間の静寂が訪れる。
だが、それは、嵐の中心にある、ほんのわずかな凪に過ぎなかった。
俺とガウェイン卿は、息つく暇もなく、周囲の戦況を、改めて確認する。
状況は、依然として、最悪だった。
大きく分けて、三つの戦場が、この閉鎖された闘技場の中で、同時に進行していた。
一つは、貴賓席。
セレスティアが、数名の近衛騎士と共に、国王陛下を護りながら、バルト副長率いる反乱軍の精鋭と、一進一退の攻防を繰り広げている。彼女の指揮は的確だが、敵の数は、あまりにも多い。
二つ目は、観客席。
シルヴァが、他の健在な試合出場者たちをまとめ上げ、パニックに陥る一般市民を庇いながら、次々と湧き出す「名もなき混沌」の魔物たちと、必死の防衛戦を展開している。彼女の〝銀閃〟は、無数の敵を切り裂いているが、その消耗は、遠目にも明らかだった。
そして、三つ目。
この闘技場全体を覆う、元凶そのもの。宰相オルダスが起動させた、「混沌の儀式」の結界。
あれが存在する限り、魔物は無限に湧き続け、世界の「定義」は、じわじわと、しかし、確実に、崩壊していく。
「小僧!」
ガウェイン卿が、その巨大な戦斧を担ぎ直し、貴賓席を睨みつけた。
「ぐずぐずしている暇はない!団長の元へ急ぎ、反乱軍の首謀者どもを叩き潰すぞ!」
彼の判断は、武人として、当然のものだった。だが、俺は、静かに首を横に振る。
「駄目だ。それをやっても、キリがない。問題の根源は、頭上にある、あの結界だ」
俺は、空を覆う、不気味な紫色のドームを指さした。
「あれを破壊しない限り、この状況は覆らない。むしろ、時間が経てば経つほど、俺たちの方が不利になる」
俺の言葉に、ガウェイン卿は、ぐっと、息を詰まらせた。
彼は、武人であっても、愚か者ではない。俺の指摘の、正しさを、瞬時に理解したのだ。
「…そうか。ならば、どうする。あの結界まで、飛んでいくわけにもいくまい」
「いや、道はある」
俺は、貴賓席の、さらに上。闘技場の最上部に位置する、オルダスが、高みの見物を決め込んでいる、特別観覧席を睨みつけた。
「おそらく、結界の制御は、あそこで行われているはずだ。あそこを叩けば、結界を解除できるかもしれない」
「なるほどな…!」
俺たちの目的は、定まった。
まずは、観客席を駆け上がり、闘技場の最上部を目指す。そして、オルダスを討ち、結界を破壊する。それが、この絶望的な状況を打破するための、唯一の活路だった。
「行くぞ、ノア!」
「ああ!」
俺たちは、再び、背中合わせの陣形を組む。
ガウェイン卿が、雄叫びを上げ、前方の魔物の群れへと、その巨体ごと、突っ込んでいく。
「道を開けろォ、雑兵どもがァ!」
彼の戦斧が、まるで巨大な破城槌のように、敵の陣形を、真正面から粉砕し、道を切り開く。
俺は、そのガウェインが開いた道を、駆け抜ける。
そして、彼の死角から襲いかかる、実体を持たない混沌の魔物や、反乱軍の放つ呪いの矢などを、概念定義によって、次々と無効化していく。
【この空間を飛ぶ、全ての“呪い”は、“無力”である】
【我が友に届く、全ての“敵意”は、“霧散”する】
最強の「盾」と、最強の「矛」。
いや、今は、最強の「槌」と、最強の「結界」か。
俺たちの連携は、もはや、阿吽の呼吸だった。
俺たちは、そうして、闘技場の床から、観客席へと続く、大階段を駆け上がっていく。
その先で、銀色の閃光が、孤軍奮闘しているのが見えた。
「シルヴァ!」
俺は、思わず叫んでいた。
彼女は、数名の冒険者と共に、後方から殺到する魔物の群れから、逃げ遅れた市民たちを守るため、最後の防衛線を、たった一人で支えていたのだ。
だが、その動きは、明らかに精彩を欠いている。体力的にも、魔力的にも、もはや限界が近い。
そして、彼女の背後から、ひときわ巨大な、ミノタウロス型の混沌の魔物が、その巨大な斧を、無防備な彼女めがけて、振り上げていた。
「――シルヴァァァッ!」
俺は、絶叫と共に、その戦場へと、割り込んでいった。




