第四十二話:不動の槌と、秩序の一撃
「――いいから!俺を信じろ!」
俺の、悲痛なまでの叫び。
それを聞いたガウェイン卿は、一瞬、その巨大な体を硬直させたが、次の瞬間には、まるで腹を括ったかのように、その顔に獰猛な笑みを浮かべた。
「…面白い!よかろう、小僧!このガウェインの魂、一瞬、貴様に預けてみせるわ!」
彼は、その言葉通り、一切の抵抗をやめ、自らの力の根源――大地と結びついた【不動】の概念を、俺の意識へと明け渡した。
俺は、その絶対的な概念の奔流を、自らの【万物定義】の力で受け止め、そして、完全に支配下に置く。
そして、その借り受けた「不動」の力を、攻撃の概念へと、強引に捻じ曲げた。
【この刃は、“現実を穿ち、混沌を縫い止める、不動の杭”である】
俺の剣から放たれた一撃は、不定形の《矛盾の化身》を、その場に、醜い彫像のように縫い付けた。
その混沌の塊は、身じろぎ一つできず、ただ、その黒い瞳(のような部分)で、俺たちを怨嗟に満ちた目で見つめている。
「動けないのは、今だけだ!とどめを刺すぞ、ガウェイン卿!」
俺は、まだ呆然としている、巨漢の戦友に檄を飛ばす。
「お、おう…!」
我に返ったガウェインが、その一部が溶けた戦斧を、力強く握り直す。
「しかし、どうする、小僧!こいつには、我々の攻撃は通じん!」
「いや、通る。俺が、通す」
俺は、固定された矛盾の化身の、その胸の中央あたり、不定形の核が、最も強く脈打っている一点を、指さした。
「ガウェイン卿!そこだ!そこが、あいつの概念の『核』だ!そこを、あんたの最大の力で、叩き潰せ!」
そして、俺は、その「核」に向かって、最後の仕上げとなる、一点集中の定義を行う。
「――その一点の“定義”は、この世の何よりも、“脆く、砕けやすい”」
俺がそう宣言した瞬間、矛盾の化身の核を守っていた、不可視の概念の障壁が、まるで薄いガラスのように、粉々に砕け散るのが視えた。
俺は、勝機を確信する。
「今だッ!」
俺の叫び声に、ガウェイン卿が、完璧に呼応した。
「うおおおおおおおおおおっ!!」
彼は、雄叫びと共に、その巨体を、まるで巨大なバネのようにしならせ、ありったけの体重と、遠心力と、そして、王国最強と謳われた自らの【剛力】の概念の全てを、戦斧の一点に乗せる。
それは、彼の騎士人生の、全てを込めた、渾身の一撃だった。
振り下ろされた戦斧は、まるで、天から落ちる流星のように、矛盾の化身の、その「核」へと、寸分違わず吸い込まれていった。
――音は、なかった。
ただ、戦斧が核に到達した瞬間、矛盾の化身の体が、内側から、閃光を放った。
それは、破壊の光ではない。
混沌の存在を構成していた、ありとあらゆる矛盾した概念――【音のない絶叫】も、【熱のない炎】も、全てが、俺の与えた【脆い】という定義と、ガウェインの与えた【破壊】という定義によって、その繋がりを失い、霧散していく、浄化の光だった。
やがて、光が収まった時。
そこには、もう、何も残ってはいなかった。
あれほど、俺たちを絶望させた、矛盾の化身は、この世界から、完全に、その存在を「消去」されたのだ。
「はぁ…っ、はぁ…っ…」
俺とガウェイン卿は、互いに肩で息をしながら、その場に立ち尽くす。
ガウェイン卿は、自らの手の中にある戦斧と、俺の顔を、信じられない、という目で見比べていた。
「…我の力が、通じた…。いや、お前が、通したのか…。とんでもないことを、してくれる…」
俺は、彼の言葉に、ただ、小さく笑って返した。
俺たち二人の間には、もはや、言葉は不要だった。ただ、共に死線を乗り越えた、戦友としての、確かな信頼関係が、生まれていた。
貴賓席の最上段。
宰相オルダスは、その余裕の笑みを、完全に消し去っていた。その顔は、信じられないものを見た、という驚愕と、自らの切り札を破られたことへの、冷たい怒りに染まっている。
「…ありえん…。あの『化身』が、破られるだと…?小僧…!貴様だけは、絶対に、生かしてはおけん…!」
待合室では、シルヴァが、魔水晶に映し出された光景に、固唾をのんでいたが、やがて、その拳を、強く握りしめた。
「…あいつら、本当に、やりやがった…」
そして、貴賓席のセレスティアは、部下たちに矢継ぎ早に指示を出しながらも、その口元には、確かな勝利への笑みが浮かんでいた。
俺とガウェインは、顔を見合わせ、頷き合う。
最大の脅威は、去った。
だが、闘技場を覆う、不気味な結界は、まだ解けていない。反乱軍の騎士たちと、「名もなき混沌」の魔物たちは、まだ、数多く残っている。
ガウェイン卿が、低く、しかし、力強い声で言った。
「…小僧、どうやら、一息つく暇もなさそうだな」
俺は、闘技場のあちこちで上がる、悲鳴と、剣戟の音を聞きながら、答えた。
「ああ。本当の戦いは、ここからだ」
俺たちは、王都の運命を賭けた、この長い、長い一夜を戦い抜く覚悟を、改めて、固めるのだった。




