第四話:鉄と、ひとかけらの感傷
「――パーティーから、追放する」
勇者レギウスの言葉は、まるで冷たい鉄の杭のように、俺の胸に突き刺さった。
反論の言葉は、浮かんでこなかった。驚きも、怒りも、悲しみさえも、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。ただ、ああ、やっぱりこうなったのか、という妙に冷静な諦めが、思考を支配していた。
レギウスは、顎で俺の装備をしゃくった。
「聞こえなかったのか?置いていけと言ったんだ。お前が今、身に着けているものは、剣も鎧も、すべて我々『聖なる銀槍』が与えたものだ。お前自身のものではない」
その言葉に、俺はまるで操り人形のように、ゆっくりと動き出した。
パーティーに加入した時、支給されて、あれほど嬉しかったレザーアーマー。硬いが、何度も手入れして、ようやく自分の体に馴染んできた、思い出のある防具だ。
ほとんど空になったポーションポーチ。
そして、数々の戦いを(主に後方で)共にしてきた、量産品のロングソード。
一つ、また一つと、俺は自分の体から、パーティーの一員であった証を剥ぎ取っていく。それらを、まるで供物のように、レギウスの足元に置いた。
「それが賢明というものだ、ノア君」
賢者マグヌスが、冷たく言い放つ。
「君がこのダンジョンで一人で生き残れる確率は、限りなくゼロに近い。我々が足手まといを抱えて共倒れになるリスクを考えれば、これは極めて論理的な判断だ」
論理的、か。
俺は、マグヌスの言葉を、どこか遠くで聞いていた。
神官のレナは、ただ俯いて、唇をきつく結んでいるだけだった。彼女の瞳が潤んでいるように見えたのは、きっと、揺らめく松明の光のせいだろう。
「行くぞ。こんな奴に構っている時間はない。我々も、早く体勢を立て直さねば」
レギウスは、俺が脱ぎ捨てた装備に一瞥もくれることなく、踵を返した。マグヌスも、それに続く。
最後に、レナが俺の横を通り過ぎる。その時、彼女は誰にも気づかれないように、小さな革袋を、そっと俺の足元に転がした。中からは、カラン、と乾いた音がする。おそらく、低級な回復薬か、保存食か。
ひとかけらの慈悲のつもりか、あるいは、ただの感傷か。
俺は、それを拾い上げることもせず、ただ黙って、去りゆく三人の背中を見つめていた。
やがて、彼らの松明の光は、通路の闇の向こうに小さな点となり、そして、完全に消えた。
鎧の擦れる音も、足音も、もう聞こえない。
後に残されたのは、絶対的な静寂と、全てを飲み込むような、底なしの暗闇だけだった。
「…………」
孤独だった。
パーティーにいた時から、ずっと孤独だった気はする。だが、この、物理的に、世界にたった一人で取り残されたという感覚は、まるで魂が凍り付くような、途方もない恐怖を伴っていた。
俺に残されたものは、着の身着のままの、擦り切れた旅人の服。
そして、いざという時のために、誰にも言わずに懐に隠し持っていた、一本の粗末な鉄のショートソードだけ。
それが、今の俺の全てだった。
死ぬのだろうか。
次に現れる魔物に、あっけなく喰われて、終わるのだろうか。
それも、悪くないかもしれない。そう思った。
だが、その時。
俺は、無意識に、その鉄のショートソードの柄を握っていた。
ひんやりとした鉄の感触が、手のひらに伝わる。
俺の目には、この剣が持つ、ありのままの概念が視えた。
【鉄】【短い】【鈍い】【安い】
あまりにも、情けない“名前”の数々。レギウスの聖剣とは、比べるまでもないガラクタだ。
しかし、そのみすぼらしい剣を握った瞬間、俺の心の中に、諦めとは違う、別の感情が、小さな炎のように灯った。
(――自由だ)
そうだ。
もう、俺の力を「出鱈目」だと嘲笑う者はいない。
俺の言葉を「ノイズ」だと切り捨てる者もいない。
魔力の消費を気にして、能力を小出しにする必要もない。
俺が、この世界で何を感じ、何を定義しようと、それを咎める者は、どこにもいないのだ。
それは、死の淵で手に入れた、あまりにも広大で、そして、恐ろしいほどの自由だった。
俺は、ゆっくりと、その鉄のショートソードを鞘から引き抜いた。
シャリン、と。
静寂を切り裂く、小さな金属音。
だが、今の俺には、それが、新しい人生の始まりを告げる、高らかなファンファーレのように聞こえていた。
俺は、闇の奥を、まっすぐに見据える。
その瞳には、もう絶望の色はなかった。ただ、自らの力を試すことへの渇望と、鋼のような決意だけが、静かに燃えていた。