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第三十七話:不動と流転、そして破滅の序曲

「始めッ!」


審判長の声が、闘技場に響き渡る。

それと同時に、俺の目の前に立つ、山のような巨漢――“不動”のガウェイン卿から放たれる「概念」の圧が、爆発的に膨れ上がった。


ゴ、と。まるで、闘技場そのものの重力が増したかのような、凄まじいプレッシャー。

彼の足は、ただ、そこにあるだけだ。だが、その存在は、もはや、この大地と、この世界そのものと、完全に一体化していた。

【不動】【不変】【不壊】

あまりにも、純粋で、絶対的な、拒絶の概念。


俺は、【万象の剣】を抜き放つ。

そして、その切っ先を、ガウェイン卿本人ではなく、彼が立つ、その足元の、分厚い石の床へと向けた。


(あんたの概念は、【不動】。その力は、確かに絶対だ)

(だが、その力が成立する“舞台”そのものが、もし、存在しなかったとしたら?)


「小僧、どこを見ている!」

ガウェインの、雷のような声が響く。

俺は、彼の言葉には答えず、ただ、自らの成すべきことだけに、意識を集中させた。


「――定義を開始する」


俺は、この戦いの、最初で最後の一手を、静かに、そして、冷徹に、定義した。


【ガウェイン卿、貴方が立つ、その大地は、“底なしの沼”である】


瞬間、世界が歪んだ。

ガウェインが立っていた、頑強な石の舞台が、まるで、熱した飴のように、ぐにゃりと、その形を失い始めたのだ!

固いはずの石畳は、泥のように液状化し、彼の巨体を、足元から、ゆっくりと飲み込もうとしていく。


「なっ…!?」

「ば、馬鹿な!闘技場の床が、沼に!?」

「これも、あの小僧の仕業か!」

観客席から、これまでで、一番のどよめきが上がる。


しかし、ガウェイン卿は、慌てなかった。

その顔に、初めて、面白いものを見つけた、というような、獰猛な笑みを浮かべる。

「ハッハッハ!面白い!実に、面白い小細工だ!だが、小僧!我は大地そのもの!」


彼が、その両足に、ぐっ、と力を込めた瞬間。

彼の【不動】の概念が、足元の沼へと逆流し、泥と化したはずの大地を、再び、強引に【固い岩盤】へと定義し直していく!


「――我が立つ場所、すなわち、不壊の大地なり!」


(…なるほど。概念の上書き合戦、か)


俺は、さらに魔力を込めて、【沼】の定義を強化する。

ガウェインは、それに対抗し、さらに強力な【不動】の概念で、足場を固める。

俺の「流転」させようとする力と、彼の「固定」しようとする力が、闘技場の中央で、激しく衝突した。


ビリビリ、と。空間そのものが、悲鳴を上げるように、震え始めた。

目には見えない、概念と概念の、凄まじいレスリング。

その余波だけで、闘技場の空気が、まるで沸騰したかのように、熱を帯びていく。


セレスティアも、シルヴァも、貴賓席の国王さえも、ただ、固唾をのんで、その異常な光景を見守っていた。


――そして、その時だった。


俺とガウェインの力が、拮抗し、最大に達した、その瞬間。

闘技場の床全体に刻まれていた、ただの装飾だと思われていた幾何学模様が、一斉に、禍々しい紫色の光を放ち始めたのだ!


「な、なんだ!?」

「床が、光って…!」


ゴゴゴゴゴゴゴゴ…!

地鳴りと共に、闘技場全体が、まるで巨大な生き物のように、激しく揺れ動く。

観客たちが、パニックに陥り、悲鳴を上げて、出口へと殺到する。


だが、その頭上を、巨大な、半透明の紫色のドームが、まるで巨大な蓋をするかのように、瞬時に覆い尽くした。

ガシャン!という、世界が閉ざされるような、絶望的な音と共に、闘技場は、外部から完全に隔離された、巨大な鳥籠へと姿を変えた。


貴賓席で、セレスティアが、その顔を、絶望に青ざめさせて、つぶやいた。

「…儀式が…始まった…!?」

彼女は、全てを理解したのだ。


「まさか、この試合そのものが…この衝突こそが…」

「――儀式を完成させるための、最後の“生贄”だったというのか…!」


彼女の悲痛な声は、パニックに陥った人々の、阿鼻叫喚の渦の中へと、虚しく吸い込まれていった。

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