表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

31/54

第三十一話:剛力と、万象の初陣

「――始めッ!」


審判長の、朗々とした声が、王国大闘技場に響き渡る。

それと同時に、俺の目の前に立つ、熊のような巨漢――サー・ゲルハルトが、その口を、下卑た笑みに歪ませた。


「小僧、母親の乳が恋しくなる前に、降参するなら今のうちだぞ!俺様の戦斧の、錆にしてくれるわ!」


ウォーッ!と、観客席の一部、おそらくはバルト副長の派閥の者たちから、野太い声援が上がる。

ゲルハルトは、その声援に、筋肉の塊のような腕を突き上げて応えると、その巨体に似合わぬ、凄まじい速度で、俺に向かって突進してきた。


彼が持つ、人の背丈ほどもある巨大な戦斧バトルアックスが、風を切り裂き、唸りを上げる。

俺の目には、その戦斧に宿る、あまりにも単純で、そして、純粋な概念が視えていた。

【重い】【硬い】【叩き潰す】

ただ、それだけ。だが、その一つ一つの概念が、彼の異常なまでの腕力によって、極限まで高められている。小細工など、一切ない。ただ、圧倒的な質量と破壊力で、全てを粉砕する。それが、彼の戦い方だった。


(…なるほどな。確かに、まともに打ち合えば、一撃で終わりだ)


俺は、振り下ろされる戦斧の、凄まじい風圧を肌で感じながら、ひらり、と、その攻撃範囲から飛び退いた。

ドゴォォン!という轟音と共に、俺が先ほどまで立っていた石の舞台が、まるで爆撃でも受けたかのように、粉々に砕け散る。


観客席から、どよめきと、そして、嘲笑が起きた。

「なんだ、逃げることしかできんのか!」

「当たり前だ!あんなガキが、ゲルハルト様の剛斧を受けられるわけがなかろう!」


ゲルハルトは、その声援に、さらに気を良くしたように、何度も、何度も、その破壊の化身のような戦斧を、俺めがけて振り下ろしてくる。

俺は、ただ、その猛攻を、紙一重で避け続ける。

傍から見れば、それは、巨大な熊に追い回され、ただ必死に逃げ惑う、哀れな小動物にしか見えなかっただろう。


「どうした小僧ォ!それだけか!自慢の奇術とやらは、どうしたんだ!」


ゲルハルトが、勝利を確信したかのように、嘲笑を浮かべる。

セレスティアがいるであろう、貴賓席の方をちらりと見ると、彼女は、静かに、しかし、固唾をのんで、戦況を見守っていた。シルヴァは、きっと、待合室で、歯がゆい思いをしていることだろう。


(…もう、いいか)


俺は、避けるのをやめた。

これ以上、逃げ回っていても、何も始まらない。

俺は、自らの新しい相棒――【万象の剣】に、その真価を発揮させる時が来たと、判断した。


再び、俺に向かって突進してくるゲルハルト。

今度は、俺は、退かなかった。それどころか、自ら、その破壊の斧へと、歩み寄っていく。


「死にたいか、小僧!」


脳天めがけて振り下ろされる、必殺の一撃。

俺は、その一撃を、鞘から抜いたばかりの、何の変哲もない「名もなき剣」で、正面から、受け止めた。


観客席の誰もが、俺の剣が、いや、俺の腕ごと、木っ端みじんに砕け散る光景を、予想しただろう。

だが、闘技場に響き渡ったのは、想像されていた轟音ではなかった。


――キィン、と。


まるで、澄んだ音叉を叩いたかのような、静かで、そして、美しい金属音。

次の瞬間、信じられない光景が、全ての観客の目の前で、繰り広げられた。


俺の剣は、折れていなかった。

それどころか、俺の体は、一歩たりとも、後ろに下がっていない。

ゲルハルトが放った、城門さえも砕くはずの一撃。その凄まじい運動エネルギーの全てが、まるで、俺の持つ、その細い剣身の中に、すぅっと、吸い込まれて消えてしまったのだ。


「…な…に…?」


ゲルハルトが、その生涯で、初めて、理解不能な現象に遭遇し、呆然と、その動きを止める。

自らの渾身の一撃が、何の抵抗もなく、虚空に消えた。その事実に、彼の脳の処理が、完全に追いついていない。

その、巨大な隙。


俺は、その無防備な巨漢を見据え、剣に吸収した、莫大なエネルギーの概念を、そのまま、彼へと送り返す。

俺は、ただ、一つの概念を定義した。


【――“返還”する】


俺の剣が、眩い光を放つ。

そして、先ほどゲルハルトが放ったものと、全く同じ威力、同じ質量の衝撃波が、今度は、俺の剣から、ゲルハルトめがけて、放たれたのだ!


「ぐぉっ!?」


あまりにも至近距離で、自らの全力の一撃をカウンターとして叩きつけられたゲルハルトは、なすすべもなく、その巨体を、まるで木の葉のように、宙に舞い上がらせた。そして、闘技場の端の壁に激突し、凄まじい音を立てて、ようやくその動きを止めた。

手から滑り落ちた戦斧が、ガラン、と、虚しい音を立てる。


闘技場は、水を打ったように、静まり返っていた。

何が起きたのか、誰も理解できていない。

俺は、煙を上げる剣の切っ先を、ゆっくりと、倒れているゲルハルトの喉元へと突きつけた。


「…降参、するか?」


その言葉を合図にするかのように、審判長が、我に返って、震える声で叫んだ。


「しょ、勝者、ノアーーーッ!!」


瞬間、一拍の静寂の後、闘技場は、これまでの嘲笑が嘘のような、地鳴りのような、大歓声に包まれた。

貴賓席で、セレスティアが、満足げに、そして、優雅に、微笑んでいるのが、遠目にも見えた。

俺の、王都での初陣は、こうして、最高の形で、幕を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ