第二十九話:万象の剣と、祭りの開幕
「必ず、優勝しろ、ノア君」
セレスティアの、その絶対の信頼を込めた命令に、俺は、一枚の羊皮紙――御前試合への出場登録用紙を受け取ることで、応えた。
こうして、俺の意思とは裏腹に、俺はこの国で最も注目を集める舞台へと、強制的に引きずり出されることが決まった。
「さて、と」
セレスティアは、緊張感の欠片もない俺とは対照的に、すぐさま思考を切り替え、策士の顔に戻る。
「作戦を成功させるには、まずは情報だ。ノア君、シルヴァ、これを読め」
彼女が俺たちに手渡したのは、御前試合の規則書と、有力な出場者たちのリストだった。
「試合形式は、一対一のトーナメント方式。武器の使用は自由だが、相手を死に至らしめるような、悪質な攻撃は禁止されている」
セレスティアは、リストの一番上を指さす。
「今年の優勝候補筆頭は、言うまでもなく、〝銀閃〟のシルヴァ。君だったはずだ、本来ならな」
「……」
隣に立つシルヴァが、悔しそうに、そして、少しだけ気まずそうに、顔を伏せた。
セレスティアは、構わず続ける。
「その他、要注意人物は数名いる。北の護国騎士団の団長、“不動”のガウェイン。その剛腕から放たれる戦斧の一撃は、城門さえも砕くと言われている。魔法使いギルドからは、“幻惑の妖狐”と呼ばれる女魔道士、リリス。彼女の幻術にかかれば、現実と幻の区別さえつかなくなるそうだ」
いずれも、一筋縄ではいかない、各分野のスペシャリストたち。
そんな強者たちのリストを眺めていたシルヴァが、ふと、眉をひそめて、俺の腰に視線を落とした。
「…おい、ノア」
「なんだ?」
「まさか、お前、その安物の鉄クズで、この御前試合に出るつもりじゃないだろうな?」
彼女が指さすのは、俺が唯一持っている、ただの鉄のショートソードだった。
「国の恥だぞ。それに、ガウェイン殿の戦斧と打ち合えば、一撃でへし折られるのが関の山だ」
確かに、彼女の言う通りだった。この剣では、到底、勝ち抜くことはできないだろう。
セレスティアも、頷く。
「シルヴァの言う通りだ。ノア君、君には、こちらで最高の武具を用意させよう。我がヴァレンシュタイン家に伝わる、魔法の剣も…」
「いや、その必要はない」
俺は、彼女の申し出を、静かに遮った。
「市井の鍛冶屋でいい。一本、上質な鋼でできた、何の変哲もない、ただの『剣の素体』だけ、用意してくれればいい」
「…剣の素体?銘も、魔法効果もない、ただの鉄の棒ということか?正気か?」
シルヴァが、訝しげな顔をする。
俺は、そんな彼女に、不敵に笑ってみせた。
「ああ。魂は、俺が与える」
***
その日の午後、俺たちは、騎士団本部に併設された、王国一と名高い鍛冶場にいた。
俺の要望通りに、最高の職人が、最高の鋼を使い、一振りの「名もなき剣」を打ち上げてくれた。それは、何の装飾も、何の魔力も込められていないが、ただ、完璧な重心と、美しい刃紋を持つ、極上の「器」だった。
鍛冶場の職人たちが、固唾をのんで見守る中、俺は、その打ち上げられたばかりで、まだ熱を帯びている剣を、手に取った。
そして、その刀身に、そっと、自らの手のひらを置く。
(お前の“名前”は、まだない。お前は、まだ、何者でもない)
(だから、俺が、お前に最初の定義を与える)
俺は、自らの魔力を注ぎ込みながら、この剣に、これからの戦いを勝ち抜くための、最高の概念を定義した。
「――この剣に、最初の名を与える。その名は、“敵に応じて、千の貌を持つ、万象の剣”」
俺がそう宣言した瞬間、剣の刀身が、びりり、と、まるで共鳴するかのように震えた。
そして、その表面が、陽炎のように、ゆらりと揺らめき始める。それは、特定の属性を帯びているわけではない。だが、あらゆる属性に、あらゆる概念に、変化できるという、無限の可能性を秘めた、究極の「無属性」の状態。
それは、もはや、ただの剣ではなかった。俺の力の、最高の増幅器であり、俺の意志を体現する、俺自身の半身だった。
シルヴァは、その光景を、息をすることも忘れ、ただ、呆然と見つめていた。
彼女は、その剣から、一切の魔力を感じ取ることはできなかった。だが、彼女の天才的な剣士としての直感が、告げていた。目の前にあるそれは、自分が知るどんな伝説の剣よりも、恐ろしく、そして、美しい存在である、と。
俺は、自らの手の中に生まれた、新しい相棒を、愛おしむように、一度だけ、軽く振るう。
ブン、と。空気を切り裂く、心地よい音がした。
「さて」
俺は、不敵な笑みを、シルヴァとセレスティアに向ける。
「どんな“貌”を見せてくれるのか、楽しみだな」
俺の言葉は、剣に向けたものであり、そして、これから始まる、王都での戦いに向けてのものだった。
建国記念祭、そして、御前試合の開幕は、もう、目前に迫っていた。




