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第二十六話:英雄の休息と、新たな謎

「おい、ノア!大丈夫か、しっかりしろ!」


ほとんどの魔力を使い果たした俺の体は、糸が切れた人形のように、ぐらりと傾いた。

その体を、間一髪で支えてくれたのは、驚くべきことに、シルヴァだった。彼女は、俺の腕を自分の肩に回させると、悔しそうに、しかし、どこか心配そうに、俺の顔を覗き込んだ。


「…無茶をしすぎるんだ、馬鹿者が」


そのつぶやきは、いつものような棘のあるものではなく、純粋な呆れと、ほんの少しの安堵が混じっているように聞こえた。


わっ、という割れんばかりの歓声と共に、村人たちが、俺たちの周りに殺到した。

「聖者様!」「我々の村を、いや、我々の命を救ってくださった!」

彼らは、涙ながらに、俺と、そして俺を支えるシルヴァの前に、次々とひざまずいていく。


「こら、お前たち!ノア殿は、ひどくお疲れだ!今は、そっとしておいて差し上げろ!」

村長が、涙声で村人たちを制する。

俺は、シルヴァの肩を借りながら、村で一番立派な、村長の家へと運ばれた。そして、用意された客間のベッドに、まるで泥のように沈み込んだ。


その夜、ミレット村では、何年ぶりかという、盛大な宴が開かれた。

蘇った大地への感謝と、俺たち来訪者への歓迎。村人たちの歌声と笑い声が、夜遅くまで、絶えることはなかった。

宴の主役である俺は、しかし、疲労困憊で、早々に部屋に引き上げていた。

遠くで聞こえる喧騒を子守歌に、俺は、追放されて以来、初めて、心から安心して、眠りに落ちた。


翌朝。

俺が目を覚ますと、体はすっかり回復していた。大規模な定義は魔力を激しく消耗するが、一晩眠れば、ある程度は回復するらしい。これも、俺の力の特性なのだろう。


村の様子は、一日で一変していた。

あれほど漂っていた、よどんだ【停滞】の概念は完全に消え去り、村全体が、清々しい【生命力】の概念に満ちている。村人たちの顔にも、生気と笑顔が戻っていた。

畑では、村人たちが、信じられない、という顔で、昨日までなかったはずの、青々とした若葉が芽吹いているのを見つめていた。


俺たちが村を出発する準備をしていると、村長が、「ぜひ、お立ち寄りいただきたい場所が…」と、俺とシルヴァを、村外れの小さな丘の上へと案内した。

そこには、苔むした、小さなほこらがあった。そして、その中心に、高さ3メートルほどの、風化した石碑が、静かに佇んでいた。


「これは、我々の村のご先祖様が、遥か昔に、この土地の神様を祀るために建てたものだと、伝えられております。文字は、もう誰も読めませんが…我々が、こうして再び大地の恵みを受けられたのも、この石碑が、我々を見守ってくださったおかげかもしれません。ぜひ、英雄様にも、一目見ていただきたく…」


シルヴァは、「ふむ、古代の遺物か」と、興味深そうに、その表面の風化した紋様を眺めている。

だが、俺は、その石碑から、全く別のものを感じ取っていた。


(この感覚…!ダンジョンの奥にあった、あの遺跡と同じだ…!)


間違いない。

この石碑に刻まれた、もはや模様としか認識できない文様。そこから、微弱ながら、確かに【秩序】と【調律】の概念が、発せられている。

それは、古代の「調律師」たちが使っていたとされる、「概念言語」の痕跡。


俺は、まるで引き寄せられるように、石碑に近づき、その表面に、そっと指で触れた。

瞬間、俺の脳裏に、直接、いくつかの断片的なイメージが流れ込んでくる。


《星々》《言葉》《創造》《崩壊》《約束》


意味は、まだ、分からない。

だが、俺の力の根源と、この世界の謎に繋がる、あまりにも重要な「何か」であることだけは、直感的に理解できた。

俺は、このことを誰にも告げず、ただ、自らの胸の内にだけ、静かに刻み込んだ。


やがて、出発の時が来た。

村人たちは、総出で俺たちを見送ってくれた。その手には、蘇った畑で採れたばかりだという、瑞々しい野菜や、村のなけなしの保存食が、感謝の印として握られている。


「ノア様、シルヴァ様!このご恩は、決して忘れません!」

「どうか、お達者で!」


温かい声援に送られ、俺たちは、活気を取り戻したミレット村を後にした。


再び、王都へと続く街道を、二人で歩む。

隣を歩くシルヴァは、以前のような、棘のある視線を、もう俺には向けてこなかった。ただ、時折、何かを考え込むように、俺の横顔を、じっと見つめているだけだった。


しばらく、そんな静かな時間が流れた後、彼女が、ぽつり、とつぶやいた。

「…大したもんだな、お前は。村一つ、救っちまうとは」

素直な、賞賛の言葉だった。

「だが、勘違いするなよ。王都の敵は、あんな純朴な村人たちとは訳が違う。もっと、狡猾で、陰湿で…そして、強い」


俺は、遥か先に見える、王都の方向を見据える。

彼女の言う通りだ。本当の戦いは、これからなのだ。


俺は、シルヴァに向かって、不敵に、笑ってみせた。


「ああ、分かってる。だからこそ、行かなきゃならないんだろ?」


その言葉に、シルヴァは、一瞬、虚を突かれたような顔をしたが、すぐに、ふっ、と、その唇に、初めて、俺に対する笑みを、浮かべた気がした。

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