第二十四話:死んだ大地の“問診”
「――この村は…もう、神にも、大地にも、見捨てられた土地なのですから…」
村長の、全てを諦めきった言葉が、重く、その場の空気にのしかかる。
隣に立つシルヴァは、そのあまりの絶望に、かける言葉も見つからない、といった様子で唇を噛んでいた。彼女は天才的な剣士だが、人の心を救う専門家ではない。
「…いつから、この状態なんだ?」
俺は、村長に問いかけた。
「…もう、一年近くになりますかな。去年の秋、空に、音のない流星がたくさん流れた夜がございました。村の古老は、『あれは凶兆だ』と申しておりましたが…その頃から、徐々に、大地から生命の力が失われていったのです」
音のない流星。
その言葉に、俺は、あの暗殺者たちのリーダーが遺した「古い秩序は“無”に還る」という言葉と、彼らの剣にまとわりついていた【混沌】の概念を、思い出していた。
おそらく、無関係ではない。
シルヴァは、騎士としての役目を果たそうと、村長にさらに問いかける。
「何か、特別な魔物が出たとか、毒物が撒かれたといった形跡は?」
「いいえ…。調査団の方々も、隅々まで調べてくださいましたが、土にも、水にも、何の異常も見つからなかった、と…」
(当然だ。問題は、物質的なものじゃないんだからな)
通常の調査では、何も見つかるはずがない。この村を蝕んでいるのは、目に見えない「概念の病」なのだから。
俺は、これ以上話を聞いても無駄だと判断し、シルヴァと村長に一言だけ告げた。
「俺が、直接、この土地に聞いてみる」
「は…?土地に、聞く…?」
怪訝な顔をする二人をその場に残し、俺は、昨日も見た、村で一番大きな、死んだ畑の中心へと、再び歩を進めた。
俺は、ひび割れた大地の上に、静かに膝をつく。そして、両の手のひらを、その乾いた土に、そっと置いた。
目を閉じ、意識を集中させる。
自らの【万物定義】の力を、探知能力として、最大限に解放する。
俺の意識は、手のひらから大地へと染み込んでいき、やがて、この畑全体、村全体を覆う、巨大な「概念の構造」と一体化していく。
(…やはり、そうだ)
俺は、この土地の「病状」を、より正確に把握した。
【豊穣】や【育成】の概念が、ただ、失われているだけではない。
もっと厄介なことに、大地そのものに、強力な**【拒絶】**の概念が、まるで蓋をするように、上書きされているのだ。
それは、生命が根付こうとする力、その全てを、「要らない」と拒み続ける、強固な意思。大地が、まるで、生命に対するアレルギー反応を起こしているかのようだった。
そして、その【拒絶】の概念の、さらに奥深く。
俺は、その原因となっている、微弱ながらも、明確な「核」を発見した。
それは、ダンジョンや、暗殺者の剣から感じたものと同じ、【混沌】の概念の欠片。それが、まるで癌細胞のように、この土地の深くに根を張り、汚染を広げ続けているのだ。
しばらくして、俺が目を開けると、心配そうに、シルヴァが俺の顔を覗き込んでいた。
「おい、ノア。大丈夫か?顔色が悪いぞ。…何か、分かったのか?」
俺は、ゆっくりと立ち上がり、服についた土を払う。
そして、彼女に、俺が「問診」した、この大地の診断結果を告げた。
「この土地は、呪われているわけじゃない。病気でもない」
「何者かによって、あるいは、あの“音のない流星”をきっかけに…生命を育むという、世界の『ルール』そのものから、無理やり切り離されてしまったんだ」
「ルールから…切り離された…?」
シルヴァは、俺の言葉の意味を、理解しようと、必死に眉をひそめている。
そこに、おずおずと、村長が近づいてきた。彼は、俺たちの会話を、聞きつけていたのだろう。その虚ろだった瞳に、ほんのわずかな、懇願の色が浮かんでいた。
「き、騎士様…もし、そのお言葉が本当なら…。それを…それを、治す方法は、あるのでございますか…?」
シルヴァが、答えに窮して、俺の方を見る。
俺は、広大な、死んだ畑と、老人の絶望に満ちた顔を、交互に見つめた。
そして、静かに、しかし、絶対的な確信を持って、言った。
「ああ。方法は、ある」
「ルールから切り離されたのなら、もう一度、繋ぎ直してやればいい」
俺は、自分の手のひらを見つめる。
「俺が、この土地に、新しい“名前”を与える」




