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第二十三話:天才の戸惑いと、沈黙の村

俺が、馬に乗る彼女を、徒歩で追い抜いてみせたあの日から、俺たちの旅の空気は、一変した。

〝銀閃〟のシルヴァは、俺に対するあからさまな侮蔑や挑発を、ぴたりとやめた。その代わり、彼女の緋色の瞳は、常に、俺の一挙手一投足を、まるで獲物を狙う猫のように、あるいは、未知の生物を観察する研究者のように、じっと見つめ続けていた。


「おい、ノア」

馬を並足で歩かせ、俺の横につけた彼女は、不意に、しかし、以前よりずっと静かな声で問いかけた。

「お前のその力は、一体、何なんだ?あの歩き方…どういう理屈だ?」


「理屈、と言われてもな。俺はただ、一歩で進む『距離』を定義し直しただけだ」

「距離を…定義する…?」

シルヴァは、訳が分からない、という顔で、小さく首を傾げる。

「お前のその剣もそうだ。団長から聞いた。ダンジョンでは、信じられないような戦い方をしたと。ただの鉄剣のはずだ。なぜ、あんなことが可能なんだ?」

「剣は、ただの器だ。大事なのは、何に使うか、だろう」


俺がそうはぐらかすと、シルヴァは、ぐっと言葉に詰まった後、大きなため息をついた。

「…お前と話していると、調子が狂うな。まるで、禅問答だ」

「そうか?」

「そうだ」


彼女は、それ以上、俺に問うことを諦めたようだった。

だが、その横顔には、これまでの苛立ちとは違う、「理解したい」という純粋な探求心が浮かんでいた。彼女のような、一つの道を極めた天才にとって、自らの常識では測れない俺の存在は、我慢ならないほどに、興味をそそる対象なのだろう。


そんな、ちぐはぐな旅を続けること、数日。

俺たちは、目的の地である「ミレット村」へと、ついに到着した。


しかし、丘の上から見下ろした村の姿は、俺たちの想像以上に、深刻な状態だった。

「…おかしいな。人の気配が、ほとんどしない。畑から立ち上る煙も、子供の声も…活気というものが、全く感じられないぞ」

シルヴァが、騎士としての鋭い観察眼で、村の異常を指摘する。


俺の目には、それが、より根源的な問題として視えていた。

「活気がないんじゃない。この村全体から、【生命力】という概念そのものが、色褪せて、薄れているんだ」

「概念が…色褪せる?」

「ああ。まるで、古い絵画のようにな」


俺たちは、言葉少なに丘を下り、村の入り口へと足を踏み入れた。

村の中は、死んだように、静まり返っていた。

家々の扉は固く閉ざされ、道端には、力なく座り込む老人の姿が、ちらほらと見えるだけ。その瞳は、虚ろで、見慣れぬ俺たちが現れても、興味さえ示さない。

村を囲む畑は、完全に死んでいた。作物は一本たりとも育っておらず、ただ、乾いてひび割れた、生命のない土が広がっているだけだった。


俺たちは、村で一番大きな家――村長の家と思われる建物の扉を、ノックした。

しばらくして、扉が、軋むような音を立てて、ゆっくりと開かれる。

中から現れたのは、杖にすがるようにして立つ、腰の曲がった老人だった。彼は、シルヴァの騎士らしい装いを見ると、ほんの少しだけ、その虚ろな瞳に光を宿したが、それも、すぐに深い諦めの色に変わった。


シルヴァが、騎士団から預かった身分証を提示し、威厳のある声で告げる。

「王国魔導騎士団、団長セレスティア様の名代として参った。私は、シルヴァ。こちらは、ノアだ。村の異常事態について、詳しく話を聞きたい」


その言葉に、村長の老人は、力なく、首を横に振った。

そして、これまで、何人もの調査団に、同じことを繰り返してきたのだろう、疲れ果てた声で、言った。


「…騎士様。遠路はるばる、ご苦労様でございます。ですが、もう、無駄なことでございますよ」


彼は、俺とシルヴァの顔を、順番に見る。その瞳は、もはや、何の期待もしていなかった。


「この村は…もう、神にも、大地にも、見捨てられた土地なのですから…」


その、あまりにも深い絶望の言葉が、この村を覆う、重苦しい【停滞】の概念の正体なのだと、俺は静かに理解した。

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