第十九話:見えざる敵と、王都の影
「誰の差し金だ?」
俺の冷たい問いかけに、仮面の暗殺者は、ぐっ、と喉を詰まらせた。
彼の腕は、ありえないほどの「重さ」を定義された剣のせいで、今にも張り裂けんばかりに震えている。その仮面の下で、脂汗が流れているのが、気配で分かった。
他の暗殺者たちは、ガラスのように砕け散った武器の残骸を前に、完全に戦意を喪失し、立ち尽くしている。
リーダー格の男は、しばらく沈黙していたが、やがて、覚悟を決めたように、低い声で言った。
「……殺せ。我々の口から、語るべきことは何もない」
プロの暗殺者。その言葉には、自らの命よりも、雇い主への忠誠を優先するという、歪んだ誇りがにじんでいた。
普通の尋問では、口を割らせるのは難しいだろう。
だが、俺の力は、物理的な拷問よりも、もっと深く、人の心に干渉できる。
俺は、男の仮面を、その奥にある瞳を、じっと見据えた。そして、彼の精神を支える、その根源的な概念に、指先で触れるかのように、意識を集中させる。
「――その“忠誠”という概念は、陽炎のように、あやふやで、不確かなものである」
俺がそう定義した瞬間、男の体の震えが、明らかに大きくなった。
その瞳が、激しく揺らぐ。
彼を支えていた、絶対的な忠誠心という名の柱に、亀裂が入ったのだ。なぜ自分は、こんな男のために命を懸けているのだ?家族は?自分の人生は?…その価値は、本当に、この任務に見合うものなのか?
俺の定義が、彼の心に、疑念という名の毒を流し込んだのだ。
「ノア君、そこまでだ」
俺が、さらに彼の精神に踏み込もうとした、その時。
背後から、セレスティアの、静かだが、凛とした声が響いた。
「あとは、我々騎士団の仕事だ。君の手を、これ以上汚させるわけにはいかない」
彼女は、俺の力が、人の精神さえも容易く壊せる、危険な諸刃の剣であることを見抜いていたのだろう。
彼女の合図で、部下の騎士たちが、手際よく、抵抗する気力も失った暗殺者たちを拘束していく。
これで、一件落着か。
王都に着けば、この者たちから、黒幕の情報を引き出せるだろう。
俺がそう思った、次の瞬間だった。
リーダー格の男が、突如、ぐはっ、と音を立てて、その口から黒い血を噴き出したのだ。
「なっ…!?」
「自決か!」
騎士たちが慌てて駆け寄るが、もう遅い。男は、奥歯に仕込んでいた毒薬を、自らの意志で噛み砕いたのだ。
彼は、薄れゆく意識の中で、俺を、その仮面の奥から、怨嗟に満ちた目で見つめ、最後の言葉を振り絞った。
「…古い秩序は…“無”に還る…。貴様のような…異物も…共に……」
その言葉を最後に、男はがくりと首を垂れ、事切れた。
そして、それは連鎖した。
他の捕らえられた暗殺者たちも、次々と、隠し持っていた毒で、躊躇なく自らの命を絶っていったのだ。
後には、物言わぬ十数人の骸と、不気味な沈黙だけが残された。
「…なんという覚悟。ただの暗殺者集団ではないな。狂信的な思想を持った、組織か…」
セレスティアは、死体の装備を検めながら、苦々しげにつぶやいた。装備は、どれも一級品だが、所属を示す紋章などは、一切ない。
俺は、リーダー格の男が遺した、最後の言葉を反芻していた。
「古い秩序は、“無”に還る」
その言葉から感じられるのは、単なる政治的な思想ではない。もっと根源的で、破滅的な、あのダンジョンで感じた【混沌】と同質の、おぞましい響き。
俺は、セレスティアに告げた。
「彼らの剣から感じた、わずかな【混沌】の概念…。あれは、ダンジョンの魔物たちが放っていたものと同じ質のものだった。これは、ただの王都内の政争じゃないのかもしれない」
俺の言葉に、セレスティアは、はっとした表情で顔を上げた。
そして、二つの異なる場所で起きた事件が、一つの線で繋がったことに、気づいたようだった。
俺たちの目の前には、もう、王都の巨大な城壁が、夕日に照らされて輝いているのが見えていた。
かつて、憧れと希望の象徴に見えたその城壁が、今は、まるで、巨大な獣が口を開けて、俺たちを待ち構えているかのように見えた。
セレスティアは、その城壁を、そして、俺の顔を、交互に見つめた後、決意を固めたように、言った。
「覚悟はいいか、ノア君」
「我々は、これから本当の意味での“戦場”に、足を踏み入れることになる」
その言葉は、1章の終わりと、これから始まる、より巨大で、そして、見えざる敵との戦いの、始まりを告げていた。