第十三話:対等な契約
「君の力を貸してほしい。世界を救うために」
王国最強と謳われる騎士団長、セレスティアは、俺の目を見て、そう言った。
その碧眼に宿るのは、俺の力を利用しようという打算や、得体の知れないものへの恐怖ではない。ただ純粋に、一人の協力者に対する、真摯な信頼と期待の色だった。
追放され、孤独になり、初めて自由になったと思っていた。
誰にも縛られず、ただ自分のためだけに力を使う。それが、今の俺の生き方のはずだった。
だが、心のどこかで分かっていた。
このまま一人でいても、いずれ俺は、あの「混沌の概念」と対峙することになるだろう、と。そして、この力の謎を、俺一人で解き明かすには、限界があることも。
何より――。
生まれて初めて、俺の存在価値を、俺の力そのものを、正面から認めてくれる相手が、目の前にいた。
この手を、振り払うことなど、できるはずもなかった。
俺は、一度だけ、固く唇を結び、そして、決意と共に口を開いた。
「……分かった。その話、乗ろう」
その瞬間、セレスティアの表情が、安堵と喜びに、ぱっと華やいだ。彼女の後ろにいた騎士たちからも、おお、という歓声が上がる。
俺は、そんな彼らを制するように、言葉を続けた。
「だが、言っておく。俺は誰の道具にもならない。あんたの騎士団に入るつもりもない。あくまで、あんたとは対等な協力者としてだ。それでいいなら」
それが、俺が俺であるための、最低限の条件だった。
俺の言葉に、セレスティアは一瞬たりとも躊躇わず、満面の笑みで頷いた。
「望むところだ。君のような存在を、部下になどできるはずがない。我々は、今日からパートナーだ、ノア君」
彼女は、そう言うと、白魚のような、しかし騎士らしく節くれだった手を、俺に差し出した。
俺は、少しだけためらった後、その手を、固く握り返した。
こうして、俺と彼女の間に、最初の「契約」が定義された。
「さて、契約成立だな」
セレスティアは、すぐに騎士団長の顔に戻り、てきぱきと指示を出し始めた。
「まずは、ここから脱出するぞ!負傷者の手当てを急げ!それと、その呪術師を生きたまま王都へ移送する。厳重に拘束を!」
騎士たちが、慌ただしく動き出す。
捕らえられた混沌の呪術師は、魔封じの鎖で縛られてもなお、不気味な声でうめき、激しく抵抗していた。その拘束を維持するだけで、騎士たちの魔力がみるみるうちに吸い上げられていく。
俺は、その様子を見て、呪術師に近づいた。
そして、彼を縛る鎖に、そっと触れる。
【この鎖は、“神々の戒め”そのものである】
鎖に、絶対的な【束縛】と【封印】の概念を上書きする。
すると、あれほど暴れていた呪術師は、まるで金縛りにでもあったかのように、ぴたりと動きを止めて、完全に沈黙した。
「な…鎖の魔力消費が、止まった…?」
「信じられん…。あれほどの魔物を、こんなにもあっさりと…」
騎士たちが、再び驚愕の声を上げる。
俺は、そんな彼らを横目に、ダンジョンの出口へと続く道を探り始めた。
複雑に入り組んだ通路。地図は、転移させられたせいで、もう役に立たない。
だが、今の俺に、地図は不要だった。
俺は、目を閉じ、意識を集中させる。
このダンジョンを構成する、無数の概念の流れを読む。
【危険】【敵意】【罠】といった概念が渦巻く通路を避け、【安全】【静寂】【出口へ続く】といった、澄んだ概念の流れだけを、選び出す。
「…こっちだ。この先には、魔物の気配がない」
俺が指し示した、何の変哲もない通路。
セレスティアは、一瞬だけ部下と顔を見合わせたが、すぐに、「全員、ノア君に続け!」と号令をかけた。彼女は、もう俺の力を、一切疑ってはいなかった。
俺の言葉通り、その道は驚くほど安全で、俺たちは一度も戦闘をすることなく、ダンジョンを逆走していくことができた。
旅の途中、セレスティアは、ふと、俺に問いかけた。
「王都に着いたら、まず君の身分を保証するための手続きをしよう。君専用の研究室も用意させる。何か、やりたいことはあるか?」
やりたいこと。
追放される前は、考えたこともなかった。ただ、パーティーの役に立ちたいと、それだけを願っていた。
追放された直後は、ただ、生きたいと、それだけを願っていた。
だが、今は違う。
俺は、自分の手を見つめながら、はっきりと答えた。
「……知りたいんだ」
「この力が、いったい何なのか。そして――」
俺は、前方に微かに見え始めた、出口の光を見据える。
「この世界が、本当は、どんな“名前”で出来ているのかを」
その言葉を聞いたセレスティアは、何も言わず、ただ、静かに微笑んでいた。
俺たちの長い旅は、まだ、始まったばかりだった。