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第十話:砂の巨人と、定義の否定

第一陣を殲滅した俺の前に、戦場の主役が躍り出た。

パーティーを半壊にまで追い込んだ、あの異形のオーガ。その巨体は黒光りする鉄のような皮膚で覆われ、その概念は【剛健】と【不壊】。単純な力では、決して打ち破れない存在だ。


「グルルルォォォォッ!」


仲間を殺された怒りか、あるいは、俺という異物を排除しようとする本能か。オーガは、その巨体に似合わぬ速度で、地響きを立てながら突進してくる。その突進は、城壁さえも砕くであろう、純粋な質量の暴力だった。


「少年、無茶だ!そいつに力で挑んでは…!」

背後から、セレスティアの悲鳴に近い声が聞こえた。彼女の魔法剣ですら、傷一つ付けることのできなかった相手だ。俺が正面からぶつかれば、一瞬で肉塊に変わる、と判断したのだろう。


だが、俺は退かなかった。

それどころか、自らオーガに向かって、歩を進める。

迫りくる巨体と、凄まじい風圧。押し潰される、という死のイメージが、脳裏をよぎる。

しかし、俺の心は、不思議なほどに静かだった。


(力で挑む、か。…もう、そんな戦い方はしない)


俺は、ショートソードを握っていない方の、空いている左手を、ゆっくりと前に突き出した。

まるで、友人の肩に手を置くかのように、ごく自然な動作で。


オーガが振り上げた、岩のような拳が、俺の頭上めがけて振り下ろされる。

その拳が、俺に届く、ほんの数センチ手前。

俺の左手のひらが、突進してくるオーガの胸板に、そっと、触れた。


そして、俺は、否定する。

目の前の巨人が持つ、その存在の根幹を。


「――その“不壊の肉体”は、偽りだ。お前の真なる概念は、“乾ききって、脆い砂”だ」


瞬間、俺の言葉が、世界の理を上書きした。


ゴッ、という鈍い音と共に、オーガの拳が、俺の目の前で止まる。

いや、止まったのではない。その拳の先から、サラサラと、黒い砂がこぼれ落ちていた。

俺の手が触れた胸板から、まるで巨大な枯れ木が朽ちていくように、亀裂が全身へと、爆発的な速度で広がっていく。


「グ…ガ…?」


オーガは、自らの身に何が起きているのか、理解できていないようだった。その口から、疑問符のような、間抜けな声が漏れる。

だが、その声も、最後まで続くことはなかった。

凄まじい勢いを保ったまま突進していた巨体は、自らの運動エネルギーに耐えきれず、内側から崩壊を始めたのだ。


腕が砂に、脚が砂に、胴体が砂に、そして、その歪な頭部も、静かに砂へと還っていく。

数秒後。

あれほどの威容を誇っていた金剛の巨人は、その場に、巨大な人型の砂山を築き、そして、完全に沈黙した。


「…………」


戦場を支配していたのは、先ほどとは比較にならないほどの、完全な静寂だった。

最初の殲滅劇は、まだ理解の範疇だったかもしれない。未知の、しかし強力な範囲攻撃魔法か、あるいは、そういう剣技だったのかもしれない、と。

だが、今のは違う。

戦いですらなかった。ただ、触れて、言葉を紡いだだけ。それだけで、あの鉄壁の巨人が、まるで幻だったかのように、消滅したのだ。


「…存在そのものを、書き換えた…?」


セレスティアが、震える声でつぶやく。

彼女の知性が、ついに、俺の力の根源に辿り着きつつあった。

「“オーガ”という定義を、“砂”という定義で、上書きしたというのか…?そんなこと…そんなことが、許されていいのか…。それは、もはや、神の…」


騎士たちの目から、完全に戦意が消えていた。彼らは、目の前の光景を、ただただ受け入れることしかできない。

そして、その感情は、敵である魔物たちも同じだった。

彼らの混沌とした本能が、理解したのだ。

目の前の少年は、自分たちとは、次元が違う。物理的な強さとか、魔力の大きさとか、そんな次元ではない。自分たちの「存在そのもの」を、彼の意のままに、捻じ曲げることができる、絶対的な捕食者なのだ、と。


軍勢の間に、明らかに「恐怖」と「敗走」の概念が広がり始める。

この戦も、もう終わりか。

俺がそう思った、その時だった。


「「「ギシャアアアアアアアアアッ!!!」」」


一体の、ひときわ異様な姿をした魔物――混沌の呪術師が、甲高い叫び声を上げた。

それは、退却の命令ではなかった。

自暴自棄になったかのような、最後の突撃命令だった。


だが、その矛先は、俺ではなかった。

残った数百の魔物全てが、一斉に、俺を無視して、後方にいるセレスティアと、生き残った数名の騎士たちめがけて、殺到し始めたのだ!


「なっ…!?」

「団長、お下がりください!」


敵は、俺と戦うことを、完全に放棄したのだ。

勝てない相手を無視し、弱っている獲物から確実に仕留める。それは、戦術として、あまりにも正しかった。

俺が一人を相手にしている間に、騎士たちは、数の暴力に飲み込まれてしまうだろう。


セレスティアが、咄嗟に剣を構え直す。

その顔に、再び、絶望の色が浮かんだ。

俺は、舌打ちを一つすると、砂と化したオーガの残骸を蹴り、反転して駆け出した。


まだだ。

この戦場の定義は、まだ、俺が終わらせてはいない。

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