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第一話:歪んだ道と、届かぬ言葉

書き溜めの一部を20話ほどまで一気に掲載します。以降は毎日数話ずつ更新していまいります。

じっとりとした湿気が、石造りの通路に満ちている。

どこからか滴る水の音が、忘れた頃に反響し、聴覚を不気味に刺激する。俺たちの掲げる松明の光は、まるで濃密な闇に喰われるかのように、数メートル先でその輪郭を失っていた。


忘却の回廊。

神代の時代に築かれたとされ、今なお踏破したパーティーが存在しない、王国最高難易度のSランクダンジョン。その深層に、俺、ノアの所属するパーティー「聖なる銀槍」は、歴史的な偉業を懸けて挑んでいた。


「よし、少し休むぞ。次の区画からは、魔物の系統が変わる。気を抜くな」


岩に腰掛けながら、パーティーリーダーである勇者レギウスが、自信に満ちた声を響かせる。

彼の声は天性のものだ。どんな苦境にあっても、仲間を鼓舞し、前を向かせる力がある。金色の髪と、太陽の紋様が刻まれた白銀の鎧は、この光の届かぬ場所にあって、彼こそが希望の象徴であることを示していた。


「レギウス様の言う通りですわ。皆様、お水をどうぞ」

神官のレナが、聖水筒を配って回る。賢者のマグヌスは、羊皮紙の地図を広げ、次のルートについて思案を巡らせていた。

誰もが、それぞれの役割を理解し、勇者を中心に機能している。理想的なSランクパーティーの姿だ。


俺は、そんな彼らから少しだけ離れた壁に寄りかかり、静かに息を整えていた。

このパーティーにおける俺の役割は、魔法剣士。聞こえはいいが、実際はレギウスの聖剣技やマグヌスの大魔法の威力の前では、俺の貧弱な魔法剣など、児戯に等しい。いつしか、俺の役割は斥候の補助や、戦闘後の索敵といった雑務が中心になっていた。お荷物、と言われれば、否定はできないだろう。


「行くぞ」


短い休息を終え、レギウスが立ち上がる。俺たちは再び、冷たい石の回廊を歩き始めた。

しばらく進むと、道が左右二手に分かれている場所に出た。典型的な、ダンジョンの分岐路だ。


マグヌスが地図と周囲の地形を照合し、レギウスに進言する。

「勇者殿、地図によれば、右の通路が目的地への最短ルートです。左は、かなりの大回りになるかと」

「よし、ならば右だ。時間をかけるのは得策ではない」

レギウスが即決し、パーティーが右へ進もうとした、その時だった。


「…待ってくれ」


俺は、ほとんど反射的に声を発していた。

パーティー全員の足が止まり、四対の視線が俺に集中する。その視線に込められている感情は、信頼ではない。どちらかと言えば、「またか」という、うんざりとした色だった。


「どうした、ノア。何か問題でも?」

セレスティアとは違う。レギウスの声には、俺の言葉を聞く気など、最初からない響きがあった。


俺は、右の道の奥に意識を集中させる。

他の者には見えない。聞こえない。感じられない。だが、俺には分かる。

この世界を構成する、ありとあらゆる万物が内包する、根源的な情報。その存在の“名前”。

俺はそれを、「概念」として認識することができる。


左の道から感じるのは、【静寂】と【古びた石】。安定し、変化の少ない、ただの通路だ。

だが、右の道は違う。

空間そのものが、まるで陽炎のように、ぐにゃりと歪んでいる。視覚的なものではない。その空間の“定義”そのものが、ねじ曲がっているのだ。正常な概念が、【歪み】によって上書きされている。


「右の道は、進むべきじゃない。空間の概念が、ひどく歪んでいる。危険だ」

俺が感じたままを口にすると、マグヌスが、これ見よがしに大きなため息をついた。

「ノア君、またその“感覚”かね?歪んでいるとは、どういうことだ?魔力的な干渉があるのか、特定の呪術的な効果が確認できるのか。君の言うことは、いつも主観的で、非論理的だ。我々は、客観的なデータである地図を信じるべきだ」


「マグヌスの言う通りだ」レギウスが、最終通告のように言い放つ。「俺はリーダーとして、最短ルートを選択する。これは決定だ。お前は、ただ黙ってついてくればいい」


理不尽だ。

だが、この感情を口にしたところで、何も変わらない。

俺の言葉は、彼らにとっては、風の音や、水滴の音と同じ、意味を持たない「ノイズ」でしかないのだから。

俺は小さく首を振り、口を閉ざした。


「ふん、やっと分かったか」

レギウスは満足げに鼻を鳴らし、パーティーの先頭に立って、右の通路へと足を踏み入れた。


その瞬間、ぞくり、と。俺の背筋を悪寒が駆け抜けた。

先ほどまで感じていた【歪み】の概念が、まるで罠にかかった獲物に絡みつく蛇のように、俺たちの体にまとわりついてくるのを感じた。


(駄目だ…これは、本当にまずい…!)


だが、俺の心の叫びが声になることはなかった。

俺たちは、ただ黙々と、自らの破滅へと続く道を、一歩、また一歩と、進んでいくだけだった。

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