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父の剣

「うおおおおおおおおおおおお!」


「まだまだ! 脇が甘い!」


「ばかやろう! ここが戦場なら死んでるぞ!」


「くそったれえええええ!」


 クラウディウス家の訓練場には、気合の入った怒号と殺気が満ちていた。

 そこにいる者の大半は訓練用の木製鎧で身を固め、木剣を力の限り振るう戦士たちである。


 といって彼らの大半は職業軍人ではない。クラウディウス家の納める領土、ルースヴィラの領民達だ。

 普段は畑仕事を行っており、定期的に訓練を行う。そして有事の際には徴兵されて兵士となる。

 

 大きな領土を持っていて、経済的にある程度の余裕があれば職業としての兵士を多数雇い、騎士団などを設立して練度の高い戦力を保有するのが主である。

 対して、領民から強制的に徴兵される民兵というのは練度や士気を保つのが非常に難しく、やもすればただの数合わせにしかならない事もままあるものであった。


 領地貴族は基本的に領民と領地を愛している。愛にも形が色々あるものだが、どんな貴族でも、他の領地の民より自分の領地の民の方が優れていると思いたいし、誇り高い貴族にとっては、自分の領地自慢がなにより承認欲求が満たされる場でもあるのだ。

 勿論、一部の例外も居るし、民を所有物の様に扱ったり、支配領地が広い領主になってくると各地域に対する想いが希薄になっている者もある。


 しかしながら、本質的には自分の領土と民への愛はあるのだ。それは例えば民を所有物のように扱う領主貴族にしても、それも一つの愛の形と言えよう。所謂ストーカーやヤンデレも略奪愛も一つの愛だというのなら、自分のものだと固執するそれは愛と言えなくもない。

 その愛が受け入れられるかどうかは別として。


 ともあれ、思い思いの施策でもってその愛を形にする領主貴族達の手腕によって民兵の指揮や練度は大きく変わってくるものである。

 そんな中、クラウディウス家の納めるルースヴィラの民兵の指揮は、国家有数の士気の高さを誇る。

 練度についても、民兵という括りで言えば高い方と言えるだろう。


 それは、クラウディウス家の領民への愛が正しく拡散されており、領民達がそれを好意的に受け取っている事に起因していると言えた。


 その愛、施策は練度を維持するための騎士団の仕組みからも伝わるものだった。


 訓練場には、若い民兵に交じって年老いた老人、老婆が教導にあたっている。

 或いは杖をつきながら、或いは簡易椅子を持ち歩いて気になる者の前に座して教えを伝える存在。それこそがクラウディウス家の騎士だった。

 

 若い労働力を奪いたくない。そういう想いから引退に近い年齢の民兵をそのまま騎士として雇用しているのである。

 若い労働力を奪わないという目的だけでなく、給与は安いが、老人にも働く場所を提示したいという思いもあった。


 これに対して騎士団に加入する老人はこぞって「これからの時代を切り拓いていく若い命が戦場で散るなど耐えられない。自分達の命一つで一人でも多くの若者を守りたい」と士気高く入団するのだから、騎士団の士気は非常に高かった。


 そんな事を思いながら訓練場を歩くリアンの耳に、ひと際大きな声が飛び込んできた。


「ババア! そろそろ引退してくたばりやがれ!」


「ああん!? 誰に向かって意見してんだい!」


 見やると、軽く人の輪が出来ている中央に、二人の見知った顔が見えた。


「もう歳なんだから家に引っ込んでろつってんだよ!」


「はっ! そういう事は勝ってから言うんだね!」


「絶対にぶっ飛ばす!」


 口汚く罵り合う二人。片や今年65歳のハーパー・ネズビット。大振りな鉄球が先端にぶら下がったフレイルを握り締め、白が混じった赤い長髪を後ろで束ねた老婆である。通称はハー婆。鬼人ハー婆の二つ名で呼ばれる事もある有名人であった。

 もう片方は今年15歳になったばかりのデニラ・ファニング。同じく、いや、ハーパーよりも鮮明に赤い髪を腰まで伸ばした少女である。しかし、鮮明な赤はどこか人工的な光を見せ、頭頂部を見やると、毛髪の根元が黒くなっている事から、黒毛を染めたものである事がわかる。

 手に持つ獲物は両手にメイスを一本ずつ、都合二本のメイスである。

 

 一触即発の空気の中、動いたのはデニラだった。


「くたばれババアアアアアアア!」


 飛び上がって強襲するデニラ。二本とも上段に振りかぶったメイスをいざ振り下ろさんとするその様は、まるで獲物に襲い掛かる凶悪な猛獣の様である。


「軽率に飛んじゃって、相変わらずバカだねえ!」


 対するハーパーは駆け出した。右でも左でも、後ろでもなく前にだ。

 両手で握ったフレイルを引きずりながら疾走し、デニラの足元をスライディングで潜り抜ける。

 ハーパーの背後ではデニラの振り下ろした二本のメイスが土煙と轟音を上げている。


 次の瞬間ハーパーは、スライディングした足を起点に反復横跳びの要領でデニラの背中に引き返しながら、遠心力を最大限に活かしたフルスイングをデニラに叩きつけた。


 どこかから「うまい!」という声が聞こえた刹那、デニラの「ちくしょおおおおおお!」という絶叫が人の輪の外に飛んで行った。

 

 輪からハーパーを称える歓声が、まるで嵐で荒れ狂う海の様に湧き上がっては凄まじい勢いで流れる。

 その一体感にどこか身を任せるようにリアンも手を叩いて歓声を上げていた。


 消えて行ったデニラは、記憶からも消えてしまったのかもしれない。


 そんな歓声の中、リアンの隣で微笑む男が一人。マディガンだった。


「こんなところに居たか、リアン」


「! 父上! 寄り道してしまいました、すみません!」


「いやいや、いいんだ。しかし、ハー婆はいつまでも衰えないな」


「はい。筋肉に頼らず無駄のない技術と、そして根本的な力として魔力を上手く扱っていると思います。僕には真似できない長い研鑽の末の技術だと思います」


「はは、その言葉をハー婆が聞いたら喜ぶだろうな。さて、我々も始めようか」



〇〇〇



 ハーパーとデニラが争っていた場に、役者変更とばかりにマディガンとリアンが対峙していた。

 円を描くギャラリーは先ほどよりも多く、リアンの事を応援する者も多い。

 元々クラウディウス家に好意的な者が大半なのである。その跡継ぎたるリアンは領民から愛されているのであった。


 そこに、この場に相応しくない平和で、黄色い声が飛んできた。


「リアンーー!」


 その声の飛んできた方向から、まるでモーゼの海割のように人が割れて三人の人物が姿を現す。

 声の主、リアンの母であるクラリスと、教育係アンナ、そして先ほどハーパーにしてやられ、幾分かぼろぼろになったデニラの三人であった。

 リアンが人垣の先頭まで進み、にこやかな顔をして口を開く。


「今日は私も見学させてください、リアン、頑張ってくださいね」


 はいお母様と返すリアン。マディガンは思う所があるのか、眉根を寄せた。


「クラリス、私も頑張るよ」


「貴方は頑張らなくていいです。リアンに傷でもつけたら許しませんからね」


「いや、訓練だから傷くらいは……」


「ゆ、る、し、ま、せ、ん」


「……はい」


 一音一音威圧の感情を乗せて区切る様に言うクラリスに、情けなく項垂れるマディガン。

 我らが領主様の情けない姿に、その場に居たギャラリーからはどっと笑いが起こった。

 リアンは目の端に光る物を覗かせる父を気遣うように声を上げる。


「き、今日こそ父上に勝って見せます!」


 その言葉に含まれる優しさに、幾分か元気を取り戻したマディガンは柔らかい笑顔となって答える。


「その心意気やよし」


だが。


「そうですよー、マディガンなんてぼっこぼこにしてくださいねー!」


 再び上がったクラリスの容赦のない声援に、早くも敗北を喫したかのように項垂れるマディガン。

 そこへ、にこにこと笑うアンナが間に立つ。


「旦那様も奥様の前では形無しですね」


「……ああ、示しがつかないから止めてくれと言い続けてもう20年以上経つ。……一生このままなんだろうなあ」


「ふふふ、そうかもしれませんが、そんなに悪いものでもないと思います。とても、好ましい風景です」


 言われて見やると、そこにはまるで汗臭い笑顔の花畑が広がっているようだった。

 マディガンに同情する者も、リアンを応援する者も、クラリスの言葉の辛辣さに驚く者も、皆浮かべるのは笑顔だった。

 この幸せな風景を守る為なら、どんな苦痛にも耐えられる。リアンの心にはいつしか、そんな未来の領主としての原風景ともいえる光景が刻まれていく。


 どこか遠い目をして周りを見ていたアンナが、マディガンに視線を戻して言う。


「それでは、私が審判をしますので心置きなく模擬戦をお楽しみください」


「ありがとう。リアン、準備はいいか」


「はい!」


「それでは、はじめ!」


 瞬間、空気が変わった。

 先ほどまであんなにも情けない空気を纏っていたマディガンだが、その顔から表情が消え、背中をぴんと伸ばした。まるでモデルのような美しい立ち姿である。

 武器は右手にサーベルを模した木剣。左手に木で出来た手甲と、左の肘に付けられた木製の肘当て。

 勿論戦場では金属製のものに変わるが、訓練ではこれがマディガンの武装だった。


 誰かの息を飲む音が聞こえる。翻ってそれは、先ほどの喧噪がも笑顔も消失し、緊張と静寂が支配する空間へと変じたという事でもある。


 リアンも父と同じ武装であるが、どうしても腰を落として身構えてしまうリアンに対して、全く構えているように見えないマディガンの、それでいて隙の無い鬼気迫る迫力はいっそ異常とも言えた。


「……これが、正統派貴族の剣。美剣士マディガン様の迫力か……」


 静かになった空間に、誰が言ったのかそんな言葉が零れた。

 リアンも、全く確かに恐ろしいなと同意をする。


 美剣士とは、別に身体的な容貌を指してつけられた二つ名ではない。

 その由来は──。


「来ないのか。ではこちらから行くぞ、リアン」


 そう言って、一歩一歩近づいてくるマディガン。

 その歩く姿も凛々しく、それでいて一分の隙もなく、容易に踏み込む事の出来ない空気を纏っている。


(けど! 雰囲気に飲まれたら終わる!)


 そう胸中で自分を叱咤し、リアンはダッという土を蹴る音と共に攻勢に出た。

 突撃しながら袈裟切りにサーベルを振り下ろそうとするリアン。姿が霞む程のスピードだった。

 対してマディガンは、後ろに肘打ちでもするように、大げさに左肘を下げながら、その回転力を利用して下からすくい上げるような斬撃を繰り出す。


 カァンという、甲高い音と共にリアンの剣ははじき返され、その隙をつくようにマディガンは下げた左手を拳に変えてリアンに突き出した。

 まるで投球フォームの様なそれに如何ほどの力が込められていたのか。慌てて左手でガードするリアンに苦悶の声を上げさせる。

 しかし、それだけでは終わらない。

 左の拳を振り抜いたマディガンは、そのまま回転して裏拳の要領で横薙ぎにサーベルを振るったのである。

 誰もがその攻撃で決着が着いてしまうと天を仰ぐ思いとなったのだが。


「まだああああ!!」


 再びカァンという音が響き、リアンは踏ん張った足から砂煙を上げながら剣でその斬撃を受け止めたのだった。

 あまりの衝撃に、噛みしめた奥歯が軋むような感覚。それでもリアンは攻勢に出た。

 左肘を大きく下げ、すくい上げる様な斬撃を放つ。しかしそれはマディガンが上半身を逸らす事で躱されてしまう。

 それならと左の拳をフックの要領で放つが、これも躱される。

 最後にそのまま回転し裏拳の要領で水平に斬撃を──。


 放つ前に胸と胸がくっつくほどの距離に詰め寄られ、たたらを踏んで倒れてしまうリアン。

 立ち上がろうとしたその首元に、木剣が素早く、それでいて優しく添えられた。


「まだまだ甘いな、リアン」


「……はい」


 美剣士と言われるが所以。それは美しささえも感じる程に洗練されたマディガンの剣術を指して付けられた二つ名であった。

 元々貴族は幼少期から剣を学ぶ。それは何らかの問題解決の為に剣を学ぶ剣術というよりも、剣技の修練を通じて自分を磨く剣道に近いものだった。

 それを勤勉に突き詰めたマディガンの剣は、まさにただ相手の命を奪う目的のものではない様に見えるのだ。

 その立ち居振る舞い、剣の所作、圧倒的な存在感、合理的なのに舞うように華やかな動き。マディガンが戦場に立てば、相手は震え、味方は沸き立つのである。

 そういう意味で、魅せる剣技と言えるだろう。


 対してリアンも、前世では端役ではあったが2.5次元舞台のアクションを経験している。

 その際は刀を使う役だった事もあり、徹底的に舞台で映える殺陣の練習をしたし、その舞台が終わってからも役者の勉強だからと殺陣の練習は定期的に行っていた。

 その経験にプラスして、タレントスキルである『真似』の影響か、父マディガンの筋肉の動き、呼吸、足さばきをトレースして相対しているのだが、今まで模擬戦で一太刀すら当てた事がない。

 これはまだ体が子供だからなのか、それとも。


 そんな考え事をするリアンに、マディガンは声をかける。


「リアン、お前は本当に天才かもしれん。今まで見せた私の技を、異常なまでに完璧に習得して再現しているように見える。剣の技術だけで言えば、きっとすぐに私を超えるだろう」


「いえ、そんな事は……」


「だが、それだけでは勝つ事はできない」


 その言葉で、リアンよりも言ったマディガンの方が苦しそうな顔をした。

 マディガンは何かを探る様な、鋭い眼光で言葉を続ける。


「お前は、負けて悔しいと思ったか?」


「はい、そしてやはり父上は凄いなと尊敬しています」


「そうか、称賛には感謝しよう。だが、私が言いたいのは、お前は負けてもいいと思っているのではないかということだ」


 リアンをして耳が痛いような、言い返したくなるような、そんな質問だった。そう言われてみれば、そうだと思うからだ。

 確かに負ければ悔しいし、出来れば勝ちたいと思う。だけれど、どうしても勝たなくてはいけないのかというと、そんな事もないだろうと思ってもいる。

 言ってしまえば、父に剣で一生勝てなくても問題はないのだろうと思っている。

 何故なら、貴族の仕事は多岐にわたり、領民を富ませるという事であれば別に武力など必要ないのではないか、とリアンは考えているからだった。

 いや、もし仮に武力が必要であっても、それは強い兵士を育てればいい。何も自分がその武にならなくてもいい、そうも考えている。

 

 時代背景もあるのだろう、マディガンの信条には精神論のようなものが見え隠れしている気がして、素直に全てを肯定する事ができないでいた。


 頑張っても届かない事はあるし、気持ちだけで何かが変わる訳ではない。

 その想いは、前世の最後に役者を諦めた気持ちに似ている。


 負けてもいいと思っていようが、負けたくないと思っていようが、現時点で負けたという結果は変わらない。

 それはどれだけ自分を盛っても、どれだけ実力をつけても、才能や努力だけでオーディションには受からない事を痛感した前世の卑屈な教訓からくるのかもしれない。


 きっとリアンが転生者でなかったなら、もっと素直に勝てない事に悔しい思いをして、父に勝とうと努力して、良くも悪くも父の想いを受け継いだことだろう。

 だが、12歳の少年のものではない経験が、リアンを既に完成した人格としてしまっているのである。


 マディガンの目がふと優しく笑う。

 長年待ち焦がれた息子。自分の積み上げたものを引き継いで欲しいと願い続けてようやく授かった息子。

 その息子が、まるで既に成長しきった大人のような価値観を抱いている事に、マディガンは気付いていた。

 マディガンの、いや、マディガンだけではない、マディガンとクラリスの心境はどういうものなのだろうか。

 それを思うからこそ、リアンは出来る限り二人の望む良い子を演じているつもりだった。


 だから、このやりとりの回答の正解は決まっているのだ。

 リアンは、その正解を口にした。


「気持ちが足りてませんでした。すみません。次からは気をつけます」


「そうか、お前は私を見下しているのだな」


「!? いえ! そういう事は!」


 冷や水をかけられたようだ。思わずビクリと体が反応する。

 それはどこか、的を射ていると自分でも肯定してしまっているような。


「わかった。お前にも考えがあるのだろう。好きにやってみなさい。今日はこれで終わりだ」


 そう言ってマディガンは訓練場を後にした。


 それ以降、マディガンはリアンへ訓練を誘わなくなったのだった。 

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