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転生

 ガルトランド王歴 1225年


 夜11時。クラウディウス男爵家の一室は、深夜にも関わらず何人もの人が集まり、喧噪の中にあった。


「ああああああああああああ!!」


「もう頭出てるよ! 頑張って!!」


「奥様! 気を確かに! ゆっくり深呼吸してください!!」


「あああああああぐうううう!! あああああああ!!」


「駄目だ! 奥様にタオルを咬ませな! 間違って舌を噛み切っちまう!」


「奥様! 口を開けてください! 奥様!?」


「駄目だ力み過ぎてる! このままじゃ危ないよ! おい! あんた医者なんだろ! 何かいい手はないのかい!」


「無茶言うな! 私はただの医者だ! 出産の事は産婆のあんたにしかわからん!」


「これだから男ってのは役に立たないねえ!」


 喧噪の中心で音頭をとっているのは、年老いた産婆だった。 

 その助手に4人の年季の入ったメイドが右往左往しており、その様子を伺うように白衣の男、医者が1人注射器を持ってみたりカバンの中をごそごそとやってみたりとこれもまた右往左往している。

 中心にいるのは、ベッドで獣の様な呻きをあげ、タオルを口に咬まされた女がいる。


 現在、ベッドの女性、クラリス・クラウディウスは出産の最中だった。

 それも相当な難産らしく、命の危険を感じる程に怒号とも唸りともとれる声が止まらない様子だった。

 産婆は額の汗もそのままに、顔をしかめた。


「畜生! もう頭が見えてるってのに! ほら! がんばんな! あんた達夫婦の夢だったんだろ!?」


「奥様! 規則正しく息を! どうか!」


 この世界に帝王切開などという技術はない。切開せずに出産する経腟分娩の中でも、麻酔を用いた無痛分娩なども存在しないし、陣痛促進剤もないため計画分娩もないのである。

 あるのはただただ、自然に産まれる事を助産師達が助ける自然分娩のみだ。


 だから、難産の場合は母子共に命の危険が大きく、出産時に命を落とす事も少なくない。

 特に高齢出産ともなると、そこは命がけの修羅場となる。ある意味、死と隣り合わせの戦場とも言えた。


「おいおいおい! 出て来てる出て来てる! ほら奥様! ダラダラ長く息むんじゃないよ! リズム良く息みな!」


「奥様! ハッハッフ、ハッハッフのリズムです! 一緒に!」


 メイドの一人が歯を食いしばって息むクラリスの手をとり、見本のように独特のリズムで息をしてみせる。

 全員が顔中に汗を流し、祈る様な、懇願する様な目で見守る中、新しい存在の声が部屋に響いた。


「オアァァァ! オアァァァ!」


「産まれた! 産まれました!!」


「全く手のかかる子だよ! 奥様は大丈夫かい!?」


「あの! 旦那様をお呼びしても!?」


「馬鹿だね! それよりもハサミ寄越しな! あとお湯で濡らしたタオルで子供を拭くんだよ! 男を呼ぶのはそれからだ!」


「おい! 母体の様子を見ていいか、奥様、私の指は見えますか。何本に見えますか」


 喧噪の種類が変わった。

 先ほどまでの悲痛さから、幾分明るいものに変わったのである。その空気を察してという事だろうか、扉が勢いよく開き、男が声を上げながら入ってくる。


「クラリス! もしかして産まれたのか!?」


 その声に、産婆がにやりと笑って両手に抱えた存在を見せる。


「おお……おお……」


 安堵の顔になりかけた男が、まるで顔の筋肉すべてが痙攣したかのように強張った顔を見せ、産婆の奥でベッドに向かって何やら作業をしている医師に向かって絶叫した。


「クラリスは! クラリスは無事なのか!」


「大丈夫ですから、今話しかけないでください。さあ奥様、ゆっくり息をすってー、吐いてー」


「よかった……よか……」


 そして、男は崩れ落ちるように膝をついた。

 その男の名はマディガン・クラウディウス。今年で42歳となるクラウディウス家の当主である。

 彼が妻クラリス・クラウディウスと結婚したのは12歳の頃だった。当時のクラリスは9歳であったし、最初の内は夫婦の愛などわからなかった。

 けれど、長年連れ添い苦楽を共にした二人の間には、いっそ純粋な、本当の家族愛のような愛情が育まれていった。

 そして当主たるマディガンは、その愛を形にし、積み上げたものを引き継ぐ義務がある。

 そんな状況とは裏腹に、今までずっと子供に恵まれなかった。


 10代の頃は当然そんな事は気にしなかった。20代になったあたりから、周りが煩くなった。

 貴族は若くして子を作る。疫病や戦争で命を落とす事などよくある事。だからこそ早く子供を作る事が必要である。

 それは本人達の為だけではない、その一家に雇われている人間達とその家族を、この先も養っていくためでもあるのである。

 だからこそ、早く子供を産み、自分が死んでも跡継ぎとして掲げる旗印として据えておく必要があった。

 その旗印も、一人だと不測の事態が起こってしまう可能性があるため、なるべく沢山の子供を産む事が周りの安心につながるのだ。

 だから、20代も半ばになった時にはかなりの圧力を感じた。

 けれど、その時はまだ小さいながらも保有している領地の運営、近隣との小競り合いで生じる戦争への備えなど、自分自身の為すべき事に必死で、本人達はそこまで子供に思いが及ばなかったし、欲しいとも思えなかった。

 30代を超えたあたりからだろうか、二人の心境が大きく変化したのである。

 今まで積み上げたものを、自分の親がしてくれたように子供に託したいと思うようになった。

 自分の人生の支えとなった本を読み聞かせ、自分の助けとなった考えを教え、子供が困ったら自分の得てきたもの全てで助けとなる。

 いつしか、そんな事ができたらいいと夫婦で話すようになっていた。

 クラリスなどは、子供の予定がないのに関わらず子供用の衣服を編んでみたり、絵本を自作してみたりしたくらいである。

 マディガンも負けてはいなかった、子供用の木剣の制作はもとより、子供が出来た時の為に教材となる本を揃えてみたりとしながら、二人で夜も更けるまで『もし子供が出来たなら』という夢を語り合った。

 だが、時間は残酷である。

 この世界では30代を超えた出産は危険とされており、35歳にもなると、高齢出産の為母子共に命を落とす可能性が高いとされた。

 クラリスが38歳になり、この歳で子供は無理だ、もし出来たら確実に命を落とすと医師に言われた最中。

 身籠ったのである。

 その時の二人の胸中は推して知るべしだろう。医師に確実に死ぬと言われたのだ。自分達が夢にまで見た子供。けれど、無事生まれる可能性は低く、クラリスの命までも奪ってしまう。

 中絶の考えのないこの世界では、正に死刑宣告のようなものであった。

 しかし二人は願ったのだ。特にクラリスにおいては、命を賭してでも子供が欲しいと。

 だからこその妊娠だったのだが、それでも、現実にそうなってみると、震えた。

 案外とクラリスの方は喜びが勝るといった風だったが、マディガンが耐えられなかった。

 夜な夜な散歩に出て、誰にも見つからない道の端で妻の事を思い涙を流して歩いた日もあった。

 だからこそ。


「ありがとう……ありがとう……」


 最早マディガンの目からは止めどなく涙が流れ、顔を覆った手の甲にも涙の道がまるで海から分かたれた川の様に流れていく。

 その周りに集まったのは、メイド達だった。いつの間にか部屋の外に居た数人の使用人も混ざってきて、皆一様に涙を流してある者はマディガンの肩に手を置き、ある者はマディガンの様子を笑顔で見つめ泣いていた。


 それはこの夫婦がどれだけ領地の将来に心を砕いてきたか、子供を持つ夢をどんな想いで持っていたか、そしてマディガンが妻をどれだけ愛しているか、その妻を失うかもしれないという現実に、どれだけ苦痛を耐えて向き合っていたか。それを皆が知っているからこその光景であった。


 いつしか、産婆に抱かれる子供は泣き止んでおり、その光景をじっと見つめている。

 その様子を見た産婆が、涙に濡れる目を細めて言った。


「おかしなもんだね、普通は赤ん坊が泣いて困るもんだってのに、ここには泣いてる大人達でいっぱいだよ。さあ、領主様、子供を抱いてやんな」


「ああ、その前に」


 周りの手を借り立ち上がったマディガンは、一直線にベッドに向かい、いつもの綺麗な髪もぼさぼさに、肌も荒れ、涙で顔中が濡れたクラリスの下に向かいその手を取った。

 クラリスの目はどこか焦点が定まらず、呆っとしたようでこちらが見えているのかどうか定かではない。けれどそれでいて、最愛の人が近くにいる事が分かっている安心した笑顔を見せた。

 そんな彼女に、マディガンはまるで肺よりも深い所から絞り出したような声を出した。


「クラリス。よく頑張ってくれたな。ありがとう」


 その言葉に笑顔を深くしたクラリスに、思わず号泣してしまいそうになったマディガンだが、表情筋を総動員して無理やり笑顔を作る。

 

 少しの間無言で見つめ合った二人だが、マディガンは立ち上がり、産婆の傍に立った。

 産婆が「男の子だよ」と言って差し出してくる存在に、おっかなびっくりという様相で受け取ったマディガンは、命の重さを感じながら言ったのだった。


「産まれて来てくれてありがとう。ようこそわが家へ、息子よ」


 こうして、比嘉 煉の第二の人生が始まったのだった。

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