面接②
──面接 二日前──
「え!? 煉くんデート行くの!?」
都内某所のレンタルスタジオにそんな声が響き渡った。
声の主は井上 未海、劇団『4パック』のメンバーの一人で、明るいムードメーカーである。
その隣で信じられないといった顔をしている村上 木稲が掠れた声を出した。
「煉くん、そういうの興味ないのかと思ってた……」
「いや、興味がない訳でもないけど、時間がないっていうか」
何故か言い訳のようになった煉の言葉に、木稲は身を乗り出した。
「今回の舞台終わったら、次は私とデートしてよ!」
「あ、いや、え? う、うん。いいけど……」
変な事になった。煉はそう思って胸中で頭を掻く心地だった。
その煉を、更に未海が困らせる発言をする。
「私も煉くん狙ってたんだけどなー」
もちろん冗談だとは思うのだが、それでも煉の顔はまるで熱湯が流れているかのように熱くなっていた。
その様子を見かねたこの劇団『4パック』の創設者、木村 昂輝がやる気のない制止の声を上げる。
「ほらー、煉が困ってんぞー、その辺にしとけー」
「「はーい」」
劇団『4パック』は煉にとって居心地のいい居場所である。
中心人物の木村は、元々海外のある伝説的なアーティストに憧れてラッパーとして活動していたのだが、そのアーティストが俳優としても活動していたということもあり、役者の勉強にと立ち上げた劇団だそうだ。
名前の由来はそのアーティストの名前からきているのだが、そのアーティストが伝説たらしめる理由の一つとして若くして亡くなったそのアーティストの生前の音声を使って、今でも彼を慕うアーティストたちの手によって音楽アルバムをリリースしているという事である。
そのアルバムのリリースは生前よりも多いくらいなのである。
木村曰く『その人は死後の方が沢山アルバムをだしている稀有な存在なんだ。死からかなり経った今でも愛されている。俺たちも入れ替わりの多い芸能の世界の中で、いつまでも忘れられない存在になりたい』という事だそうだ。
そんな理想の下にあつまった団員たちは、誰かの心に残りたいともがくかのような演技をする。
ただ演技をするだけじゃない、ただ台本に書かれているものを現象させるだけじゃない。
自分でなければできない演技、それはまるで作品の中に自分のDNAを残すような行為とも言える。
一歩間違えば作品を汚すと言われかねず、成功すればその作品にはその役者がいなくては成立しないと言わしめる事ができるかもしれない。
そんな演技を目指す彼らは、失敗せず作品を作り続けたいと望む制作会社からすると、一種扱い辛い集団でもあるかもしれない。
けれど、爪痕を残したいと望む役者からすると、願ってもない場所ではある。
煉も、その爪痕を残したいと望む役者の一人だし、誰かの心の中に残り続けたいと望む人間の一人でもあった。
この場にいる全員がそうだ。
だからこそ心地よく、しかし時に甘えた考えに落ちようとする自分を追い詰める場所でもあった。
けれど──。
(明日はそういうのを忘れよう。たまには全部忘れて全力で遊ぶ事だって、勉強になるはずだ)
──面接 一日前──
伊井田 雲母とのデートは、件のチーズケーキを食べ、その後街を買い物がてら歩いていた。
あまり女性とのデート経験の無い煉である。プランを立てて臨むなど難しい話だった。
だから、自然体でその時その時楽しいと思える事を行えばいい、そんな気楽な気持ちで臨んだのだが。
結論からいうと失敗だったかもしれなかった。
何をやっても楽しかったし、伊井田は煉が何をしても楽しそうにしてくれるのだ。
煉としては、折角さそってくれた伊井田に楽しんで欲しいと願っているのだが、伊井田も恐らく煉を楽しませようとしている。
そして、意思決定を煉に委ねようとしてくれるのだ。
煉としては、伊井田のやりたいことに付き合おうという気持ちが強いのだが。そんなすれ違いに近い何かがお互いに生まれてしまい、心のどこかにこれでいいのだろうか、という気持ちが常に存在する事になった。
そんな煉に何を思うのか、伊井田は明るく言う。
「カラオケでも行きます?」
「あ、うん。そうだね、付き合うよ」
「うーん、嫌ですか?」
「え? そんな事ないよ」
「じゃあ、楽しくないです?」
「……そう見えるかな、そんな事ないんだけど」
どういう意図のある会話なのだろう。何かが不満なのだろうか。そんな不安が煉の心に影を差したところで、伊井田が何かを諦めたような、吹っ切れたような、そんな笑いを浮かべて言った。
「まあ、初デートですし、大成功とはいえないですけど、次回はもっと楽しませますから期待しててください」
はっとした気持ちだった。煉の心に罪悪感が生まれ、それはまるでサウナの水蒸気のようにこちらの内側を苦しく圧迫してくる。
全然向き合っていなかった、そう感じたのだ。
煉は今、誰かとデートをして楽しいひと時を過ごす自分を演じている。
それはきっと、目の前の伊井田でなくても、誰が相手でも同じような一日を過ごしたのだろう。
誰かの心に残りたい、その想いは煉にとって特別なものであるはずなのに、形は違うが伊井田が心に爪痕を残そうとする行為を軽く見てしまっているのではないだろうか。
(これからでも遅くない、ちゃんと伊井田さんと向き合おう)
そう思ってカラオケボックスの受付に向かったのだった。
〇〇〇
「すごい! 煉くん上手い!」
「ありがと、歌って演技と似てるからかな」
いつの間にか『煉くん』と呼び始めた伊井田に特に何も咎めたりはしない。
「伊井田さんも歌上手いね。それにいい声してる」
「雲母でいいですよ。煉くんがそういうなら、私歌い手になろうかなー」
何を言っても笑顔で返す彼女に、煉は罪悪感を吐露する事を止められなかった。
「……でも、ごめん。なんか俺さ。心のどこかで、遊んでる暇なんかない、もっと上を目指さなきゃ、もっと演技を磨かなきゃって思ってしまって、今日は素直に楽しめなかったかもしれない」
言って、様子を伺うようにする煉に、伊井田は笑顔で答えた。
それはどこか、悲しさが潜んだ笑顔に見えた。
「いいんですよ。私が無理やり誘ったんだし。それに……」
「それに?」
「私、二番目でいいんです。あ、いえ愛人になりたいとかそういうんじゃなくて! ……きっと煉くんの一番は夢なんですよね。私は、その次くらいに大事にされれば嬉しいなって。あれ? これもう告白?」
言って、笑顔の中に照れたようなものを覗かせる伊井田。
煉は、その姿に言いようのない愛しさと不安を覚えて俯いてしまう。
煉なりに向き合って考えると、伊井田はとても魅力的な女性に見えたのだ。
そして、恋愛というものに敏くない煉も、きっと付き合っていくならば愛せるようにもなるだろうと思えたのである。
けれど、怖かった。
もし伊井田の気持ちに応えて男女の付き合いに発展させるならば、いずれは二人での生活を考えなくてはならないだろう。
そうした時に、役者を目指す煉と共に生きるからといって、伊井田に自分の楽しみを捨てて欲しくなかった。
旅行だって一緒に行ってあげたい、楽しませてあげたい、生活も楽をさせてあげたい。
共働きで生活するにしても、伊井田の稼ぎに頼りっきりになってしまうのは忍びないと思うし、自分の夢のせいでお金に苦労させるのもどうなのかと思う。
そしてゆくゆく子供が出来た時に、それでも自分は自分の夢を追えるだろうか。
恐らく、煉にはできないだろう。子供が出来たなら、収入にならならい役者を続けるよりも、一定の収入が確実に見込める仕事に就くだろう。
子供の将来の為。愛した人との未来の為。
その考えは、煉にとって恐怖だった。
自分ではない他の誰かの人生を歩んでみたい。そう思って役者を目指す煉にとって、自分の人生が確定していく感覚は震える程の恐怖だったのである。
煉には今、人生の岐路に立っているような感覚があった。
不安定な未来に怯え、たった一人で突き進む道か。
それとも安心できるパートナーと共に、はっきり見えてしまっているぬるま湯の道を進むのか。
(芸に生きる人間は、結局人の道ならざる芸の道を歩む。だから、ある意味人でなしでなくてはならない……)
煉の心は今、あらゆる感情がまるで花火大会のような、それでいて音の無い暗闇のような、そんな騒々しくも静かで、華やかなのに一種恐ろしい様相だった。
「煉くん?」
俯いてしまった煉に、問いかけるような視線を向ける伊井田。
その顔を見た煉は、胸中で葛藤の答えのようなものに行きつく。
(誰かの心に残りたいんじゃなくて、目の前の大切な人の心に残る。それでいいじゃないか)
「伊井田さん。いや、雲母。俺と付き合ってくれませんか」
「え!?」
真っすぐに伊井田を見つめる煉の目は、よく見るとその奥の輝きが無くなってしまっていた。