皇女様との約束
俺とレオンが試合を終え、闘技場の廊下を歩いていると、遠くに見慣れた人影が二つ見えた。
皇女様とアリナだ。
「二人ともお疲れ様! 私感動したよー」
俺たちが闘技場を出ると、アリナが泣きながら俺たちに近づいてくる。
そして、俺の頭をポンポンしてから、少し気まずそうにするレオンに突進して抱きついた。
「さっきレオンに負けた時に上手く話せなくてごめんね。私レオンに負けて、レオンの隣に居られなくなっちゃうんじゃないかって心配になっちゃったの」
「そんなことあるわけないよ。俺はアリナとずっと一緒に居るに決まってるだろ」
レオンはアリナの頭を撫でながら、空いた手でアリナを優しく包み込む。
――確かに俺はレオンに頼まれてアリナを慰めた。
しかし、それは二人のこんなイチャイチャを見るためではない。
というか、イチャイチャの域を超えている。
これ以上この二人の姿を見せるのは皇女様の教育上よろしくないと判断し、俺は皇女様を連れてこっそり二人から距離を取る。
「やはり、あの二人ってそういったご関係なのですね。羨ましいです」
皇女様がぽつりとそう言う。
「皇女様がそういうことに興味があるとは意外ですね」
「私だって人並みに興味はあります。それより今は二人きりですよ、先輩」
かわいらしく、にこりと笑う皇女様。
あれから三か月ほど経ったというのに、二人きりの時は敬語禁止という謎ルールはまだ続いている。
そのせいで、皇女様と話すときは、敬語よりもため口の方が自然になっている自分がいる。
「分かったよ、アン。それより何でここに居るんだ? アンも自分の試合があっただろ?」
「もちろん勝ちました。すぐに終わったので先輩の試合を見に来たのです」
どうやら決勝まで勝ち進んだ相手でも「最強」と呼ばれるこの後輩には勝てなかったようだ。
「そっか、優勝おめでとう。これで晴れて今期も主席だね」
「ありがとうございます」
ふわりと笑う皇女様を見ていると、先ほどレオンと戦った時の疲れが吹き飛んだような気がした。
「グラム先輩も優勝おめでとうございます。途中からしか見られませんでしたが、とても格好良かったです」
「全然格好良くないよ。本当にギリギリだった」
そう返しながら闘技場の壁にもたれて座ると、不満顔の皇女様が隣に座ってくる。
「第二皇女の私が格好良かったと言っているのに、それを否定するのですか?」
皇女様が自分の権力を振りかざす。
「ごめん。褒めてくれてありがとう」
いくら王位継承権が最下位だとはいえ、平民の俺からすると雲の上の存在だ。
仕方がないので皇女様の言葉を素直に受け取っておく。
しかし、皇女様はこんなどうでもいいことにしか自分の権力を使わない。
それがまた、この皇女様の謙虚さを示していると俺は思う。
「でも、ギリギリの勝負だったことには変わらないよ。レオンも去年と比べてすごく強くなっていた。このままだといつ負けてもおかしくない」
「先輩のそういう自分の実力を過大評価しないところは好きですけど、優勝した今くらいもう少し自信を持ってはどうですか?」
それもそうか。
どうせ明日からまた俺の試合を見ていない他学年の生徒から「最弱の主席」と呼ばれる日が始まるのだ。
――「最弱の主席」と言えば、一つ気になることがあるのを思い出した。
去年と比べて、今年はなぜか俺に対するブーイングが明らかに減っていたのだ。
トーナメント中は試合に集中していたため気にする余裕がなかったのだが、今になって無性に気になってしまった。
「アンって俺が試合してた時、観覧席で見ててくれたよね」
「はい、先輩の試合は全部見ていましたよ。それがどうしました?」
そうだったのか。
一回戦と準決勝、そして決勝は皇女様と会ったので見に来てくれていたのを知っていたが、二回戦も見に来てくれていたとは。
言ってくれたら挨拶くらいはしに行ったのに。
「皇女様は知らないかもしれないけど、去年は俺が勝つたびに大ブーイングが起きてたんだよ」
「存じております。私、去年も先輩の試合は全部見ていましたから」
表情を曇らせる皇女様。
なぜ去年も俺の試合を全部見ていたのか。
また新たに疑問が生まれてしまったが、今はそれより気になることがある。
「今年はそれがなかったから、理由が気になってさ。去年と比べて何か、観覧席で変わったことでもあった? 俺の試合の時だけ見張りの先生が増員されたとか」
「いえ、そういった事はありませんでしたよ」
では、やはりおれの気のせいか。
「強いて言えば、いつも先輩を馬鹿にしている先輩方が、グラム先輩の試合が始まるとなぜか観覧席から立ち去っていましたね」
皇女様がとても気になる情報を教えてくれた。
去年俺にブーイングを浴びせてきた奴らが今年は俺の試合を見に来なかったのか。
いや。皇女様の口ぶりだと、そいつらは観覧席にいたのに俺の試合が始まると、なぜかいなくなったらしい。
いったいなぜ?
俺を馬鹿にしに来たはずなのに、俺の試合を見ずに観覧席を去るなんて少し不自然だ。
「そいつら、なんで俺の試合を見ずに帰ったんだろう」
「さあ、何ででしょう。私がグラム先輩の試合を見に観覧席に姿を現すたびに、その方たちはすぐにいなくなってしまうので、理由は分かりません」
何でもない風に言いながら、皇女様は俺に体を寄せてくる。
なぜか今日の皇女様はやたら距離が近い。
しかし、俺は皇女様の言葉に引っかかりを覚えた。
なぜ毎回、皇女様とそいつらが入れ違いになるのか。
一回だったら偶然かもしれないが、四回もそれが起きたとなると何か理由があるとしか思えない。
まさか、と思って俺の肩に頭を乗せる皇女様の方を見る。
「別に理由なんてどうでもいいではないですか」
皇女様がかわいらしくにこりと笑う。
間違いない。
皇女様とそいつらが偶然入れ違いになったのではなく、皇女様が観覧席に姿を現したから、そいつらが「逃げた」のだ。
そういえばここ最近、皇女様と一緒にいると「最弱の主席」と言われることがめっきりと減っていたことを思い出す。
「アン。そいつらに何したの?」
「特に何もしていませんよ。ただ、あの先輩方は何故か私の事を避けるようになったのです。こちらとしてもありがたいです」
皇女の笑顔が少し不気味に見えるのは俺の気のせいだろうか。
「風紀委員の権限を不正に行使したわけではないので、安心してください。人として最低限のマナーを守るようお伝えしただけです」
「それならいいんだけど......」
いや、冷静に考えると全く良くない。
多分、風紀委員の権限を使わずに脅迫まがいのことをしたのだろう。
怒った皇女様はとても怖いことを俺は知っている。
「先輩も戦いやすかったのではないですか?」
皇女様は俺の肩に乗せた頭で、俺の肩を小突いてくる。
言われてみれば、今回のトーナメントは今までよりも調子が良かった気がする。
「この世界には、言霊と呼ばれるものがあるのはご存じですよね」
「もちろん。『固有魔法』を強化するために使うからな」
「言霊は普通『固有魔法』強化するために使いますが、実は逆のこともできるんです」
「逆のこと?」
俺がオウム返しをすると、皇女様は俺の肩から頭を上げ、真剣な顔で話を続ける。
「はい。極端な例ですが、魔法の説明をしなくても『この魔法は強い』と言うだけで、わずかではありますが、言霊は世界に影響を与えます。では、逆に『この魔法は弱い』といった場合はどうでしょうか」
皇女様の説明に俺はハッとする。
どうしてそんなに単純なことに今まで気づかなかったのだろうか。
学校では、言霊は魔法を強化するためのものとしか習わなかったせいで、その可能性に至れなかった。
「今まで『最弱の主席』と言われ続けたせいで、魔法が弱体化していた可能性があるってことか」
こくりとうなずく皇女様。
皇女様は、俺の魔法が言霊の影響で弱体化しないよう、毎試合俺を馬鹿にするやつらを追い出してくれていたのか。
「どうしてそこまでしてくれるんだ?」
純粋な疑問を皇女様にぶつける。
「先輩は私の味方になってくださいました。仲間を助けるのは当然ですし、仲間は強いほうが良いですから」
王位継承権が最下位の皇女様が女王になるためには、味方が必要だと言っていた。
皇女様は、女王になるという自分の目的のために動いていたのだ。
そうだとしても、俺は嬉しかった。
俺を助けてくれたのもそうだし、何より、皇女様に仲間と呼んでもらえることが嬉しかった。
「それに...... いえ、何でもありません」
皇女様は何かを言いかけたが、止めてしまった。
「それに?」
「では、明日先輩が私に勝てたらこの先を教えてあげますね」
俺の横に座っていた皇女様はぴょんと立ち上がる。
皇女様を追いかけて立ち上がりつつ、俺は皇女様の言葉で明日行われることを思い出す。
明日はトーナメントの閉会式。
そして閉会式の前に、エキシビションマッチが行われる。
それぞれの学年の優勝者同士で模擬戦を行うといったものだ。
対戦カードは二年生対三年生、そして四年生対五年生だ。
俺は去年二年生だった時、当時三年生のユノ先輩に惨敗を喫したため、エキシビションマッチには苦い思い出がある。
今年は俺が三年生なので、二年生の優勝者、つまり皇女様と戦うわけだ。
キツイ戦いになりそうだ。と思いながら皇女様との戦い方を考えていると、皇女様がくすくす笑い出す。
「先輩って、自信はなさそうなのに、常に相手とどう戦うかを考えていますよね」
確かにそうかもしれない。
俺の『固有魔法』では考えなしに戦っても勝てないので自然とそうなったのだろう。
「私、レオン先輩になら絶対勝てる自信があるのですが、グラム先輩にはそうもいかなさそうです」
手を自分の後ろで組んで、にこりと笑う皇女様。
「お手柔らかにお願いします」
明日は今日以上にキツイ戦いが待っていそうだ。