昔結婚の約束をした魔帝が村娘な私を迎えに来ました
『じゃあさ! もし、僕が立派な大人になってーーー』
今でも時々夢に見る、昔しばらく共に過ごした少年と交わした約束。
今はもう、ふんわりとした風の匂いと柔らかな笑顔と暖かな気持ちだけが残り、肝心の内容と結末は夢の向こうに消えてしまった約束。
大人になるうちに思い出の一部になっていく、その時はきっと最大限だった想いの籠った言葉。
彼はなんと言ったのか。
私はなんと答えたのか。
それを今、私、ロミは必死で、それこそ脳の奥底までひっくり返す勢いで思い出そうとしている。
何故か。
その人物の目を見つめた瞬間に。
その人物の顔を改めて見た瞬間に。
その人物が口にした言葉を耳にした瞬間に。
突如雷に打たれたように、理解したからだ。
「約束を、果たしに来た」
そう口にするのは、世間で魔帝と呼ばれている男だ。
デュロイ・ナードレイル・ファーケーン。
五年前に突如現れ、そこから大陸に存在するいくつもの国家をあるいは討ち、あるいは飲み、あるいは従え、破竹の勢いで大帝国を築いた、現代の絶対的支配者。
単体戦力としては神の領域に踏み込むとさえ言われる、文字通りの魔の帝王。
高い上背と整った顔立ち、編んだ長い黒髪を見せびらかすように揺らしながらどんな戦場でも最前線を歩き、その髪すらも傷付けることすらさせずに他国を飲み込んでいく怪物。
雲の上どころか、いち村娘のロミでは関わることすらないはずの存在。
だが、理解したのだ。
私は、魔帝デュロイと会ったことがある。
正確に言えば、幼い頃の魔帝デュロイ……いや、ロイと過ごしていたことがある。
そして、かつて、結婚の約束をしたことがある。
※
すこし、過去の話をしよう。
私は特に恵まれた生まれではない。
この時代どこにでも居る戦災孤児の一人で、村の隅で孤児上がりの村人たちのささやかな援助を受けながら孤児同士集まり細々と生きていた。
そんな生活の中でやることと言えば、日の糧を得るために森の安全な場所で木の実を拾ったり水を組んだり、手習い仕事の練習をしたりくらい。
私は食べられるものを集めるのが得意だったため、日がな一日森で過ごすことが多かった。
その日は収穫が少なく、家の蓄えも少なくなってきていることを考え、普段なら踏み込まない森の奥まで足を運んだのだ。
そんな森の奥で出会ったのが、ロイだった。
長い黒髪を地面に広げ、大の字で寝ている、村では見ない顔の少年。少しの躊躇があったが、戦災孤児は助け合い。もし彼がロミと同じ境遇なら助けなければと思い、思い切って声をかけた。
「……大丈夫?」
問いかけに、ロイは呻き声と腹の虫の声で答えた。
外傷がないことを確認して、ロイを背負って一度家へ帰り、少ない備蓄を分け与えると、ロイはすぐに元気になった。
にこにことした笑顔で頭を下げ、こう言ったのだ。
「ありがとう、お姉ちゃん」
ロイはみるみる活気を取り戻し、翌日には私の収穫に着いてくるようになった。
過ごす時間が長くなれば、その分情も湧くもので。さらに言えば、ロイ自身も動物の狩りなどで成果を残していくことで。1年も経つ頃には私とロイは自然と一日の大半を共にし、他の家族よりも少しだけ深く寄り添い合うような関係になっていった。
その頃だ。
ロイが、「結婚しよう!」と言い出したのは。
「結婚って、ロイ、あんたね」
「だって僕。お姉ちゃんのこと好きだから!
料理美味しいし、皆に優しいし! あと綺麗だし!」
「あんた、いつもそればっかりね」
「駄目かな、お姉ちゃん」
「駄目もなにも、私はようやく11歳。ロイは歳も分からない。結婚なんてまだまだ先のことでしょ」
「だから、約束! お姉ちゃんが大人になって、僕も立派な大人になったら、結婚しよう!」
立派な大人、というのはロイがよく口にする言葉だ。
世間一般で言う『大人』とは違った意味合いで使っているのを聞くに、きっと彼にとっては特別な意味を持つのだろう。
「どうしよっかな。ロイと結婚かぁ」
「僕、お姉ちゃんのためならなんだって頑張るよ!」
「魚の小骨が喉に刺さっても泣かない?」
「……結婚するなら、泣かない」
「髪の毛、自分で手入れできる?」
「出来る! 綺麗にする!」
「そっか」
一年かかって見えてきたロイの弱点や欠点も、私と結婚するためならきっと乗り越えると答える。
それはロイなりの本気の証明なんだろう。
それに対して、私は、「是非」とも「しょうがないから」とも応えることが出来なかった。
私は、ロイに求められるほど立派な人間だと思えない。
出来ることは日の糧を稼ぐだけで孤児の兄姉がやっているように日銭を稼ぐことも出来ない。
まだまだ大人と言えるほど、私は立派ではない。
それは、建前。
心のどこかが大切な何かが生まれることを拒んでいる。
私の父母は5歳まで一緒だった。居なくなった時の胸を割くような悲しみは今も覚えている。
もし、ロイにこれ以上寄りかかり、ロイが大事になって、その上でロイを失ったら、私はどうなってしまうのか。
それが怖い。
どれだけロイが好きだと理解していても。
どれだけロイと一緒に居たいと心の底が叫んでも。
その理解と叫びの分だけ、「好き」を失ってしまうことを恐れてしまう。
だから、私はロイをからかい、結婚の約束をなあなあにしていく。
「じゃあ、お姉ちゃんはどうすれば僕と結婚してくれるの?」
ある日、ロイが尋ねてきた。
私はその問いに答え。
そしてロイは、その翌日に、姿を消した。
※
ロイ。
ある日居なくなった、きっと最愛だった男の子。
目の前の魔帝デュロイには、その面影がある。
そして確かにロミの名と、二人しか知らない約束という言葉を口にした。
どんな反応をすればいいのか、というかどういう状況なのか。
心が置いていかれたままの状態の私を見て、デュロイはまるで美の女神の寵愛を受けたみたいに整い育った顔に疑問符を浮かべ。
そして何を得心したのか、そばに居た従者に告げた。
「ソリュード、アレを」
「こちらに」
「うむ」
ソリュードと呼ばれたモノクルの青年は、美味しそうに焼かれた魚を1匹取りだしデュロイに渡し。
そしてデュロイはそれを私の目の前でもりもり食べる。
そして一言。
「どうだ?」
形のいい眉を持ち上げ、得意げな表情を見せる。
その表情にまたロイの面影が重なり、つい口をついて言葉が出てしまう。
「どうって、なにが、ですか」
「魚だ。骨ごと食おうがもう泣かんぞ」
どうやら本当にデュロイはロイらしいと、ようやく実感が湧いてくる。
でも、ここから先はどうすればいいんだろう。
デュロイの顔を見上げる。デュロイも私を見つめている。しばし視線を向けあったあとで、デュロイは笑い、指を弾いた。
「ソリュード、戦況を」
「はい。魔帝国の名のもとに内乱及び国家間戦争に介入を続け、現在確認されている六割の戦争を鎮圧。三割は魔帝国の介入を恐れ一時停戦。残り一割は現在国家交渉により停戦に向けて進めている状況です」
「うむ。良好」
並べられた戦果は、ロイがデュロイとして国を立ち上げてから成し遂げた輝かしい歴史だ。
この五年で紛争の絶えなかった大陸は、魔帝国による介入により仮初の平和を取り戻すことが出来ていた。
「すまない、世界から戦争を無くすのに五年もかかってしまった」
デュロイから差し伸べられる手。
だんだん鮮明になってくる思い出。
そうだ、私はあの日、いつものように誤魔化そうとして。
でも、自分の中にあるロイへの想いを誤魔化しきれなくて、口にしたんだ。
※
『私たちみたいな悲しい子が生まれない世界だったら、こんなに悩まないのにね』
『今は駄目なの?』
『戦争があると、いつかロイも居なくなっちゃうかもしれない。
私もね、ロイのこと、好きだよ。でも、ロイがいつか戦争で死んじゃったら嫌だから、結婚はしたくない』
『……じゃあ、じゃあさ! もし、僕が立派な大人になって、世界から全部戦争をなくしたらさ! お姉ちゃんは結婚してくれる?』
『……そうだね。そうなったら、ロイと結婚して、幸せに暮らしていきたいな』
※
約束は、平和。
その為に、ロイは。
魔帝デュロイは。
五年をかけて、大陸を統一してきた。
デュロイが私の手を握る。
「無論この平和は仮初かもしれん。
魔帝として覚醒したとはいえ、いまだ俺を快く思わん者もいる。
いずれはこの魔帝デュロイを狙う内乱が起こるかもしれん。
だが、俺はその内乱すらも収め、君の為にこの大陸の平和を永く保つと約束する。
だから、結婚してほしい」
曇りのない瞳が、私を見つめる。
あの日の面影と、五年間の隔たりと、色んなものを受け止めながら私が言葉を探していると。
デュロイは瞳に少しの不安さを湛え、側近にすら聞こえない声で呟いた。
「これでも駄目か、お姉ちゃん?」
その一言で、あの日に置いてきた気持ちが湧き上がる。
突然消えてしまったロイへの怒りも、悲しみも、寂しさも。
それを忘れるために蓄えた色々な感情たちも。
五年分の蟠りも。
そんなもの何もないみたいに。
私はロイに抱きつき、涙を流しながら答える。
「うん! 結婚しよう! ロイ!!」
私を抱き留めたデュロイは指を弾き、側近に向けて告げる。
「ソリュード! ということだ、俺は結婚するぞ!! 挙式の準備を始めろ!!」
「どういうことですか。そもそもその、村娘の方とはどういう関係なんですか」
「一目惚れだ」
「……なんですって?」
「一年間程毎日毎日一目惚れを繰り返したんだ。一生分の愛をロミに奪われてしまったんだよ、俺は。
彼女の愛に答えるためなら、世界くらい平和にしてみせる。それが俺の戦う理由だ!」
「貴方という人は……」
帝王然とからから笑いながら叫ぶデュロイに抱き上げられ運ばれるのは、案外悪い心地じゃなかった。
その後、世界の平和と私たちの幸せな生活がどれだけ続いたのかは、この馴れ初めに記するほどのことではないだろう。
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