214 逆さ落とし
【逆さ落とし】をお送りします。
宜しくお願い致します。
男が愛馬をこの軍の中枢部に歩ませて行く。
段々と、向かう先から空気が重くのし掛かる錯覚を覚える。
本当に錯覚か??
纏わりつく空気を押し除けて、男はさらに馬を進める。ちょうど谷間に沿って長く伸びた軍勢の中程にその幕舎はある。その幕舎を視認した瞬間、
「やべ〜な……なんだ? こいつは……」
思わず感想を口にしてしまった。ドラゴンを前にしても臆する事のない男が、冷や汗をかいている。この圧力は、宮本武蔵や、呂布と同じ類の者だ。真剣の上を裸足で渡る様な感覚。
その時、後方から敵襲を知らせるラッパの音が鳴り響いた。
◆◇◆
「さあ〜、祭りの始まりだ! 見ろこの崖を! ガーゴイルでも余裕で降りられる崖だ! 我らの愛馬達が降りられない訳がない! 一ノ谷合戦の再現だ! 」
皆んな、ガーゴイルには翼が有るとは突っ込まない。そんな冗談に付き合う余裕が無いのだ。軽装備と重装備の二隊に分けたのは、この為だった。普段から軽装備を着用して来た自分を呪う。一ノ谷合戦が何の事かわからないが、死地に飛び込むとはこの事だった。
だが皆の大将は嬉々としている。何がそんなに嬉しいんだか……
「勇気ある貴族は、常に先陣を行かねばならない。我らにはその義務がある! それが市民と貴族の差だ! 」
貴族ですら無い九郎がそう叫ぶ。
「勇気ある者は、我に続け! 」
九郎はそう叫び、一気に駆け降りて行く。絶壁と呼ばなくもない崖を駆け降りて行く。馬に乗って居る高い位置からの視線は、更に凄まじい情景を脳内に構成する。その九郎に続いてみな一才に崖へと飛び込んで行く。
まだ薄暗い谷間では、寝ぼけ眼で朝飯の煮炊きを始めた炊事担当が、側面の崖から、何かが落ちて来る感覚を捉えた。最初は落石かと思った。だが目が段々慣れてくるに従い、何かが蠢いて居る様に見えた
「……なんだ? 」
野菜を切る手を止めて、崖に目を凝らす。
「どうした? 早く切って入れろ、支度が遅れると班長が怒鳴り込んでくる……?? 」
もう一人の年長者が、若い男を叱責するが、途中から若い男が見て居る視線の先に、動く影を見た。断崖絶壁と呼べる場所を騎馬が駆け降りてくる。いや、逆さ落としの様に進んでくる!
「て、て、敵襲!! 全員起きろ!!! 」
年長者の男は、近くにあった空の鍋を掴んで叩き出した!
「……なんだ?! 騒がしいな?! 」
眠りから覚めた部隊長が、自分の幕舎から起き出した。天幕を開けて外を見ると、目の前の景色は真っ赤に燃えていた。一気に崖から駆け降りた二千五百騎の軍勢は、地上に降りるなり、目の前で野営する【蒼炎の軍】になだれ込んで、敵を分断、そして打ち合わせ通りに、野営の幕舎に火を放ってゆく。
「ええぃ! どうなっている? 直ぐに立て直せ! 中央に伝令を出せせせ?! 」
幕舎から出て指示を出し始めた部隊長の首は、綺麗に弧を描く様に飛ばされた。
◆◇◆
その知らせがこの軍勢の中枢部に届くまで、かなりの時間を要した。長く伸びた野営地の為、さらに谷間が曲がりくねり、視界が届かなかったせいでもある。
「後方で動きがあっただと?! 」
この地に野営する五万の軍勢を預かる東の将軍は、良くも悪くも騎馬による草原での決戦に強い。良く考えれば王道。悪く考えれば融通が利かない。
「崖の上から騎馬が雪崩れ込んで来たとの事! 」
報告する伝令兵ですら、信じられないと言う顔だった。
「な 何を馬鹿な?! あの断崖絶壁を馬で降りて来ただと? 寝ぼけているのか?!! われらエルファンの民でもそんな馬の操作は出来ぬぞ!! 」
将軍は思わず怒鳴り散らしてしまった。
「ですが……後方の防壁陣が突破され、分断されています」
そばにいる作戦参謀が助け舟を出した。
「えぇい、仕方が無い! 中央から援軍を出せ! 」
テーブルに周辺地図を広げて、軍略駒を置いてゆく。
状況は始まったばかりだ。
【逆さ落とし】をお送りしました。
(映画【キネマの天使】を観ながら)




