192 音楽家?!
【音楽家?!】をお送りします。
宜しくお願い致します。
ゴドラタン帝国の帝都スタージンガーの皇帝執務室の灯が消える事は、この数ヶ月の間に一度も無かった。グラウス皇帝は疲れ果てて、長椅子の上でまどろみ、浅い眠りの中で夢を見ていた。暗い谷に突き落とされる様な浮遊感を何度も繰り返してようやく覚醒する。
「……疲れがここまでとはな……」
もう夕方だった。あと半刻で会議が始まる。
事のほかナターシャを失った事がこたえた。ノロノロと立ち上がり、机の上の書類を纏める。ノックがして、扉の向こうからフェルミナ嬢の声がした為に、入る様に促した。だが入って来ない。
「? どうした? 開いているぞ? 」
再度声をかけるが、それでもフェルミナは入っては来ない。
何か事情があるのかと、扉の取手に手を伸ばしかけて、手を止めた……
黒皮の手帳を取り出して、パラパラとページを捲る。そして何やら小さな声で呪文を唱えると、ゆっくりと、それは黒皮の手帳の中から、紫色の手を伸ばして扉の取手に手をかけ、ゆっくりと手前に引いた。その途端、紫色の手は無数の棘に刺し貫かれ、針塗れになった。だが紫色の手は、構わずに扉を開いて行く。
そこには何者も居なかった。
唯し、音が聴こえる。
聞き慣れない旋律が聴こえてくる。
これは何と言う素晴らしい音の重なりか……
様々な異国の楽器の音色が重なって……
いや、この音色は何処かで聞いた事がある?
いや、この様な音楽を何処で……
そうか……これは現世での記憶……
ナポレオン・ボナパルトの記憶……
そう、この曲はモーツァルト……
朦朧とした意識の中で、声が聴こえて来た。右とも左ともわからない所から……
「かなりの耐性だ。実験的に兵達でも試して見たが、そこまで耐えた者はいなかった。流石は召喚者の末裔と言ったところかな」
「……き、貴様は?! なんだ? 」
「私は音楽家だよ。これでも神聖ローマ帝国の宮廷音楽家であったのだよ」
「音楽家?! 召喚者か……頭が、くぅ……」
声は聞こえるが、姿は見えない。どんどんと意識が刈り取られて行く気分だった。
「この曲をご存知かね? これは我が友の名曲【魔笛】と言う。私はこの曲が大好きでね。この才能溢れる曲がね」
「……貴様、ひょっとして……」
ついにグラウスは床に崩れて落ちた。
「私をご存知か? 我名はアントニオ……アントニオ・サリエリ。世界で最も音楽を愛する者」
「モーツァルトを殺したサリエリか? 」
「とんでもない。私は無実だよ。確かに彼の才能に嫉妬もしたが、音楽を汚す様な事はしない。あれは宮廷のドイツ勢力が、イタリア人の私を貶める為に流したデマだ。私はモーツァルトの息子の教育も行ったのだよ」
「その音楽家様が、何しに来た? 」
「貴方様を処分する為ですよ。この世界に飛ばされた時、私は別にこの世界でも良かった。音楽さえ出来ればね。だがこの世界の音楽はかなり遅れている。オペラすら無い。私はこれでも教育者でね。ベートーヴェンや、シューベルト、リストなどに教鞭をとった事もある。この様な才能溢れる人材がいてこそ音楽は発展すると言う物だが、悲しいかなこの世界では無理だろうな……だから私は帰らねばならない。その為には貴方が邪魔なのですよ」
グラウスはサリエリと会話をしながら、サリエリの居場所を探っていた。だか普通の魔力探知では何処にも見つからない。
(どう言う事だ? そんなに遠隔地からの攻撃か? この術は魔力とか魔法とかよりも、何かしらの特殊能力と考えるべきか?? )
グラウスは黒革の手帳を発動させた。ページは勝手に捲れてゆく。止まったページから、霧の様なモノが発生して室内を満たしてゆく。グラウスの姿も覆い隠してしまう。
「何だこの霧は? 魔力を阻害するだと?? 」
やはり脳内に直接サリエリの声が聞こえてくる。
「悪あがきを……我が【ストリンガー・レクイエム】から逃れることなど……」
「逃れるつもりなどない! 」
グラウスは初めから逃げる事など考えていなかった。
【音楽家?!】をお送りしました。
(映画【幼女戦記】を観ながら)




