真実の口、嘘の口
あるところに、真実しか言えない口を持つ女性がおりました。
口を開けば、出てくるのはすべて…紛うことなき真実です。
「私がやりました」
「私が言ったんです」
「私がもらいました」
「私が壊したんです」
「あの人がやったのを見ました」
「あの人がこう言っていました」
「あの人が持って行ったんです!」
「あの人が壊したんです!」
「この人を私は信じています」
「この人を推薦します!」
「この人がいれば百人力なの!」
「この人がいるからすべてうまくいったんだよ!」
誰もが女性のいう事を、真実なのだと認識して聞いていました。
女性の言葉を求めて、普通の口を持つ人々が集まりました。
この人は絶対に噓をつかない、だから言葉を聞きたいと人々は考えたのです。
「これ、キライです」
「似合ってませんね」
「良い人ぶるのバレてますよ」
「頭悪いですね」
「えっ、これ美味しくない」
「ずいぶん顔が変わったね」
「あなたの書いた小説つまらなかった」
「無理じゃないかな、独立なんて…実力不足だよ」
誰もが女性のいう事を、真実なのだと認識して聞いていました。
誰もが女性のいう残酷な現実を聞きたくないと、スルーするようになりました。
真実の口を持つ女性は、いつしか孤独な毎日を過ごすようになっていました。
誰もが苛立って、真実の口を持つ女性のもとを去って行ったのです。
あるところに、嘘しか言えない口を持つ男性がおりました。
口を開けば、出てくるのはすべて…紛うことなき嘘です。
「僕はやっていません」
「僕はもらってないです」
「僕は聞いていません」
「僕は壊してないです」
「あいつはやってないよ」
「あいつは何も言ってないよ」
「あいつは何も持って行かなかった!」
「あいつが壊すわけないだろう!」
「君は本当にかわいいね」
「君は本当に優れた人物だね」
「君の作品に感動した、もっと読ませてくれ!」
「君は人の上に立つべき人間だ!」
誰もが男性のいう事を、嘘なのだと認識して聞いていました。
男性の言葉を求めて、普通の口を持つ人々が集まりました。
この人は噓をつくけれど、耳当たりの良い言葉を聞きたいと人々は考えたのです。
「これ、すごくいい!」
「お似合いですよ」
「ホントにいい人ですね!」
「頭いいですね、尊敬します!」
「こんなにおいしいのに、みんなひどい事言いますね」
「整形したの?!全然気が付かなかった!」
「君の小説直木賞受賞間違いなしだよ!」
「君なら天下を取れる!」
誰もが男性のいう事を、嘘なのだと認識して聞いていました。
誰もが男性のいうきれいごとを聞きたくないと、スルーするようになりました。
嘘の口を持つ男性は、いつしか孤独な毎日を過ごすようになっていました。
誰もが苛立って、嘘の口を持つ男性のもとを去って行ったのです。
ある日、孤独な男女が、孤独に大きな公園内を歩いていました。
大きな公園の片隅で、ほんの少し、事件が起きました。
男性がハンカチを落とし、女性がそれを拾ったのです。
「あの!ハンカチ落としましたよ!」
女性が男性のポケットからハンカチが落ちたのを見たのは、事実です。
「あ、それ…僕のじゃないです」
男性が落としたハンカチは自分のものではないと言ったのは、嘘です。
「でも私はあなたが落としたのを見ました、はい、どうぞ!」
女性は、男性に落としたハンカチを渡せてよかったと思って、微笑みながら手渡しました。
「ああ…、これは僕の友達の子供のものですね、ありがとう」
男性は、自分が乙女チックなハンカチの持ち主であることを隠したくて、顔を伏せながらお礼を言いました。
真実と嘘がほんの少し混じったのち、孤独な男女はそのまま別れました。
つぎの日、孤独な男女は、再び大きな公園で出会いました。
今まで何度もすれ違っていたはずなのですが、昨日縁ができたので……ほんの少しだけ、お互いに心が騒ぎました。
女性は男性がキャラ物のハンカチを落とした事を覚えていたので、声をかけました。
「おはようございます!」
「あなた誰でしたっけ?すみません、覚えていません」
男性は女性に声をかけられて焦ったので、嘘をつきました。
「昨日あなたがキャラ物のハンカチを落として…拾って渡したの、覚えてない?悲しいな」
女性は、悲しい気持ちを素直に伝えました。
―――せっかく仲良くなれそうだと思ったのにな。私、あのアニメ大好きなんだ!
「ああ…そうでしたか、僕はアニメの事はよくわからなくて」
男性は、思ってもない気持ちを伝えました。
―――せっかく声をかけてくれたのに。僕もあのアニメ好きなのに!
「私あのキャラクター大好きなの、だから覚えてて…ごめんなさい…」
女性は、悲しくなってしまいました。
―――どうしてこんな事言っちゃったんだろう。黙っていたら変な人って思われなかったのに。
「いいですよ、じゃあ、これで」
男性は、悲しくなってしまいました。
―――いいですよって何だよ!良くないよ!こんな風に終わらせたくないよ!
孤独な男女は、大きな公園でよく顔を合わせるようになりました。
男性は、この公園を抜けた先にある駅から地下鉄に乗っていたので、毎日同じ時間に、同じ場所を通っていました。
女性は、この公園の横にあるモールで働いていたので、毎日同じ時間に、同じ場所を通っていました。
「おはようございます」
「おはようございます」
男性も女性も、お互いを意識しながらも、挨拶を交わす事ぐらいしか、できませんでした。
―――仲良く、なれるかもしれない。
―――仲良く、なれたとしても。
―――きっと、自分の口から出る言葉は、すべて……。
男性も女性も、どこか他人行儀ではあるけれど、気軽にあいさつを交わすようになりました。
ただのあいさつであれば、真実も嘘も関係がなかったからです。
そんなある日のことです。
男性がいつものように公園内を足早に抜けようとしていると、女性が躓いて転んだのを見ました。
男性は、あわてて女性の元へと駆け寄りました。
「大丈夫?!」
「あいたたた…ダメかもしれない…」
男性は、赤く腫れあがっている足首を見て大丈夫じゃない事がわかっていました。
女性は、激しい痛みで気が遠くなりかけていたので、弱音を吐きました。
「病院に行きましょう、今日は…暇だし、送ってってあげるから!!」
「ええ?!そんなのダメです、ご迷惑でしょう?!歩いていくのでいいですよ!」
男性は、このあと出社する時間が迫っていたのですが、嘘をつきました。
女性は、スーツにビジネスバッグ、きっちり髪をセットしている姿を見て、まずいと思いました。
「別に迷惑じゃない…」
「申し訳ないです、すみません、すみません!!」
男性は、無理をしようとする女性の行動が迷惑だと思いました。
膨れ上がる足首を見て、男性は女性を抱えて近くの病院へと走りました。
女性は、自分の不注意で男性に迷惑をかけてしまって、涙が出てしまいました。
あふれ出る涙を見せて、みっともなく謝り続ける事しかできませんでした。
「黙って運ばれてくれる?耳元が…ちょっと、うるさい」
「…っ!!ごめんなさい、ありがとう……」
男性は、あまり誰かに話しかけてもらえなくなっていたので…女性が自分に向けていろいろと話してくれるのがうれしかったようです。しかし、謝ってばかりでかわいそうだと思いました。
女性は、誰かに優しくしてもらったことがうれしくて…男性にいろいろと自分の気持ちを伝えてしまったようです。しかし、怒られてしまったので、申し訳なく思いました。
男性は、会社に遅刻をして叱られてしまいましたが…女性を病院に送り届けることができて良かったと思いました。
女性は、病院に送り届けてもらいましたが…男性にとんでもない事をしてしまったと落ち込みました。
それから、男性と女性は、頻繁に顔をあわせるようになりました。
病院の診察待ちの時に、お互いの連絡先を交換したのです。
女性はお礼のメッセージを送りました。
男性は心配のメッセージを送りました。
女性は報告のメッセージを送りました。
男性は安堵のメッセージを送りました。
女性は懇願のメッセージを送りました。
男性は了承のメッセージを送りました。
女性は喜びのメッセージを送りました。
男性も喜びのメッセージを送りました。
なぜだかわかりませんが、男性と女性は、妙に話が合いました。
毎朝の挨拶に加えて、メッセージのやり取りをするようになりました。
仕事が終わった後に、公園で待ち合わせをするようになりました。
仕事が休みの日に、一緒に出掛けるようになりました。
「この前はありがとう!!時間は大丈夫?」
「時間に追われて困るような仕事はしてないから、なんとか」
―――いつも忙しそうなのに大丈夫なのかな、無理してないかな?
―――忙しいけど、張り合いが出て毎日が輝いている!
「もう暗くなるから帰った方が良いよ、送るから!」
「私はもっと一緒にいたいんだけどな」
―――もっと一緒にいたい、でも我儘は言えない。
―――もっと一緒にいたい、でも我儘は言っちゃダメ…。
「もう作ってこなくていいからね?」
「でも!私は色々作りたいの!」
―――弁当作ってもらったら悪いよ!うれしいけど!!
―――私のお弁当、きれいに食べてくれた!うれしい!
男性と女性は、いっぱい話をしました。
男性と女性は、いっぱい楽しみを共にしました。
男性と女性は、いっぱい同じ時間を過ごしました。
時折、男性と女性は、ケンカをしました。
「私はこれでいいと思う!」
「……僕もこれでいいと思うよ」
真実の口を持つ女性と、嘘の口を持つ男性。
「僕はあまり好きじゃない」
「私はいいと思うんだけど……」
嘘の口を持つ男性と、真実の口を持つ女性。
少しずつ、少しずつ…気持ちがずれることが多くなっていきました。
「もう、ダメなのかも…知れない」
―――言いたいことを言おうとすると、嘘が顔を出してしまう。
「そんな事言うあなたは嫌い!」
―――言いたいことを我慢できずに、真実が口に出てしまう。
少しずつ、少しずつ…口数が少なくなっていきました。
「ねえ、私、あなたが…好き」
―――こんなに好きになった人は、初めてなんだよ?
「僕は…好きじゃ、ない」
―――好き?違う、そんな軽々しい気持ちじゃ、ない!
少しずつ、少しずつ…距離が離れていきました。
出会って半年ほどたったある日の事です。
真実の口を持つ女性と嘘の口を持つ男性は、出会った公園のベンチに並んで…月を見上げました。
お互い、一言もしゃべらないまま、黙ったまま…月を見上げていました。
月がのぼる前から、お互いに言いたいことを言い合って…疲れてしまったのです。
真実の口を持つ女性は、真実を告げる事に疲れてしまいました。
嘘の口を持つ男性は、嘘を告げる事に疲れてしまいました。
二人は何も言わずに夜空を見上げていましたが…雲が広がって月を覆い隠した時、視線を落としました。
足元には、背後からほのかに照らす街灯の光で伸びた、二人の影がありました。
……影と影の間に、二人の距離を感じました。
どちらからともなく、手を、つないでみました。
……互いに温かさを感じて、胸が熱くなりました。
どちらからともなく、噤んだ口を、重ねてみました。
足元の、背後からほのかに照らす街灯の光で伸びた二人の影が、一つになりました。
……真実の唇と、嘘の唇が重なって、お互いの愛が伝わりました。
……嘘の唇と、真実の唇が重なって、お互いの呪いが分け与えられました。
唇が重なって、お互いが中和されました。
真実の口を持つ女性は、嘘がつけるようになりました。
「キライ…嫌いよ、あなたの事なんか」
嘘の口を持つ男性は、真実を語ることができるようになりました。
「でも、僕は…、君を、愛している」
夜空に輝く月が再び姿を現したころ、足元には、ひとつの影がありました。
背後からほのかに照らす街灯の光で伸びた、ひとつの影がありました。
真実の口を持っていた女性と嘘の口を持っていた男性は、たくさん、たくさん話をしました。
真実、嘘、真実、嘘、真実、嘘、真実、嘘……。
たくさんの言葉を、愛する人に囁きました。
愛、夢、嘆き、喜び、不安、楽しみ、憂い、感謝、幸せ、怒り、ときめき、笑い、戸惑い……。
たくさんの感情を、愛する人と共にしました。
やがて、男性と女性は家族になりました。
そして今、ふたりは、いいお父さんとお母さんをしているそうです。